『スマスマ』はなぜ20年も愛され続ける? 太田省一がSMAP流エンタメの特性を読み解く

 その後のSMAPの道のりも、決して平坦ではなかった。2001年には稲垣吾郎が、2009年には草彅剛がそれぞれ事件を起こして芸能活動をかなりの期間自粛するに至った。だがその際にも、復帰して自らの口から謝罪の弁を最初に述べたのは、『スマスマ』という場所だった。

 また、SMAPが社会に向けて何かを発信する場も『スマスマ』である。東日本大震災発生直後の2011年3月21日の緊急生放送では、まだ震災の深いショックがさめやらぬなか、視聴者から寄せられたメッセージとともに考え悩み、そして歌うSMAPの姿があった。

 そして2013年4月8日には、グループ結成25周年を受けて、SMAP5人で一泊旅行に出かけるという「SMAPはじめての5人旅スペシャル!!」が放送された。大阪の旅を満喫した5人が宿泊先の旅館でカラオケを楽しむ場面では、『BEST FRIEND』(1992)がかかった時、中居正広が思わず号泣する場面があった。それを見て、この曲の発売当時のSMAPがまだ軌道に乗れず苦しんでいたこと、そして『スマスマ』では森且行の最後の出演回や稲垣吾郎の復帰回でこの歌が歌われたことなどを思い出したファンも多かっただろう。

 こう振り返ってみると、『スマスマ』には、バラエティの演出とはまた違ったリアルなドキュメンタリー性がある。すべては今も進行中であり、物語は完結しない。高揚感、寂しさ、心配、そして希望とさまざまな思いを抱きながら、私たちはその未完のストーリーを見守り続ける。王道が醸し出す安心感と未完のストーリーだけが持つスリリングさ。この一見相反するような二つの面が共存するところに『スマスマ』ならではの魅力があるのだろう。

 番組が20年目に入った今年、「シャッフルBISTRO」が始まった。メンバーのひとりがゲストになり、オーナー役も毎回変わるという企画だ。これまでゲスト草彅剛にオーナー中居正広、ゲスト香取慎吾にオーナー草彅剛という組み合わせがあった。そのやり取りに、仕事のことはもちろん、他のメンバーも知らない私生活や人生観、メンバー間の関係性が垣間見える。そうして、『スマスマ』の王道的部分を象徴する「BISTRO SMAP」のなかで、SMAPという未完のストーリーがそれぞれのメンバーの視点から改めて掘り下げられ、別の光を当てられる。今私たちは、いったん原点に戻ったSMAPが、また新たなストーリーを紡ぎ出そうとする瞬間に立ち会っているのかもしれない。

■太田省一
1960年生まれ。社会学者。テレビとその周辺(アイドル、お笑いなど)に関することが現在の主な執筆テーマ。著書に『中居正広という生き方』『社会は笑う・増補版』(以上、青弓社)、『紅白歌合戦と日本人』『アイドル進化論』(以上、筑摩書房)。WEBRONZAにて「ネット動画の風景」を連載中。

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