市川哲史の「すべての音楽はリスナーのもの」第31回

渋谷公会堂、一時閉鎖へカウントダウンーー市川哲史が綴る、名物ホールの歴史と裏話

 耀け!!日本歌謡祭。ソナーポケット。モンゴル800。仲井戸麗市。LOUDNESS。木村カエラ。愛乙女★DOLL。前川清&クール・ファイブ。JUN SKY WALKER(S)。BONNIE PINK。南こうせつ。赤西仁。岡村孝子。氷川きよし。高中正義。そして沢田研二。

 この無節操な謎のラインナップ、勘のいい人ならピンと来るだろうか。

 建て替えを理由に10月4日をもって一時閉館する渋谷公会堂の、ラスト一ヶ月間の主な公演だ。最期が沢田研二3デイズ(!)というのがまた、しびれる。

 1964年の元祖東京五輪関係のインフラとして、在日米軍施設<ワシントンハイツ>の跡地に国立代々木競技場・NHK放送センター・渋谷区役所と一緒に建設されただけに、最初は東京五輪の重量挙げ会場だった。そして翌65年2月からコンサートホールとして長年、我々に親しまれてきた。

 そういう意味では築50年超の物件なのだが実は10年前に一度改修されており、「いま建て替えんでも」と思う声は多い。ところが渋公に隣接する区庁舎の老朽化がマジで尋常ではないため、ほぼ巻き添えで建て替えられる羽目になった気がする。不憫だ。

 そもそも2006年10月から5年間、ネーミングライツの関係で突然《渋谷C.C.Lemmonホール》を名乗らされたのも、理不尽だった。♪ザテレビジョ~ンかよ。つくづく不憫である。

 それでも、公園通りを挟んで対面にあるライブハウス《エッグマン》に出演するバンドマンたちは、一日でも早く渋公のステージに立つ自分の姿を夢見たものだ。安全地帯もCCBもレベッカもXも、マンスリーのプリンセスプリンセスもリンドバーグも福山雅治も、例外ではない。

 オールスタンディング超満員で350名のエッグマンに対し、渋公は2084席。しかしこのキャパの差以上に、横断歩道を渡ればすぐそこなのに、両者ははてしなく遠かった。

 アーティストの実力やランクを測る数字も、もっぱらライブの観客動員力に重きが置かれていたバンドブーム期。ゆえにバンドたちの設定目標も「アルバムをミリオン売る!」とか「シングルでオリコン1位を獲る!」なんて無謀な妄想ではなく、ひたすらライブ会場のグレードアップに尽きた。その泣く子も黙る《ロックバンド双六》がおなじみ、<ライブハウス→(日本青年館→)渋谷公会堂→日本武道館>だった時代だ。

 のちに数々のV系バンドから崇められ、特にBUCK-TICK櫻井敦司が<暗黒デカダンスの師>となつくISSAY率いる、まだ若いのに「伝説のカルト・バンド(苦笑)」だったデル・ジベット。業界からもマニアからも評価は高いのだけれど、アルバム・セールスは平均5千枚で主戦場のライブハウスはそこそこ満員――そんな彼らが3枚目のアルバムをリリースしたところで、たまたまキャンセルが出て貸料が値引きされたかなんかで急遽、渋公初ライブが決定する。大丈夫大丈夫、私は余裕で潜在的マニアの底力を信じた。

 だがしかし。

 開演時刻ぎりぎりで1階席に入るなり我が目を疑った。埋まっているのは1階席のわずか半分強、たぶん1000人そこそこの惨状だったのだ。

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