市川哲史の「すべての音楽はリスナーのもの」第29回
オックスフォードの轟音牧童・ライドが再結成 市川哲史が彼らのキャリアを振り返る
ついに<オックスフォードの轟音牧童>ライドまで再結成してしまったか。
今年の《FUJI ROCK FESTIVAL》参戦を見逃しそこそこ(苦笑)悔やんでたら、11月に単独来日公演ときたもんだ。なんか最近、邦洋問わず誰かが再結成する度に、いつしか脳味噌から抜け落ちてた記憶が蘇ってきて困る。死期が近いのだろうか。
ライドとは英国の<アカデミックだけど立派な田舎町>オックスフォード出身の轟音ギター・バンドで、デビューは1990年初頭。可憐な花だけがフィーチュアされたナイーヴな赤色ジャケと黄色ジャケも印象的な、2枚の英盤4曲入りEP――通称『赤ライド』『黄ライド』は、口コミだけで日本全国の輸入盤店で品切れるほど話題を独占する。もちろん本国のインディーズ・チャートでも、赤1位・黄2位と大ブレイクした。
特に「チェルシー・ガール」と「ライク・ア・デイドリーム」の代表曲2曲に象徴されるように、フィードバック・ノイズとエフェクターとディストーションに彩られた、メランコリックですらある轟音ギターの洪水の中で、ひときわセンチメンタルなメロが唄われるのだ。これぞ<無垢な思春期ロック>の決定版とばかりに、私も瞬殺された。
一応、音楽評論家っぽいことを書くと80年代後期の英国シーンは、米国産アシッドハウスに端を発するレイヴ・カルチャー全盛で、そんなクラブ・ミュージックとロックの融合が局地的に起きたマンチェスターから、ストーン・ローゼズやハッピー・マンデイズが登場した。その一方でマイ・ブラディ・ヴァレンタインやザ・ハウス・オブ・ラヴが、「これでもか」のフィードバック・ノイズで「懐かしくて新しい」サイケデリアを現出させる。
そしてその両者が渾然一体となった<轟音ギター・サイケデリア>が、ブラーやオアシスなどのブリット・ポップが出現する90年代中期まで英国を席巻したのである。のちに《シューゲイザー(←下を向いてひたすらギターを鳴らしてる連中、の意)》なるジャンル名で括られるが、そんなの関係ねえ(←死語)。
ちなみに米国の90年代は、早々からニルヴァーナによるグランジ一色だったけども。
とにかく、80年代末以降の<マンチェ→轟音ギターサイケ(笑)→ブリット・ポップ&グランジ>的潮流は、国籍問わず特に若い世代に熱烈歓迎されていた。
なにしろ80年代は、<MTVの日常化>と<ダンスフロア仕様の恒常化>によりレコード/CDが世界中で馬鹿みたいに売れた。つまりポップ・ミュージックがエンタテインメント・ビジネスとして過去最高に機能した10年間ではあったが、ロック的に面白かったかと訊かれれば「何も生まれなかった10年」と誰もが応えるしかなかった。それだけにこの全世界的なギター・サイケ現象は、待ちに待った<ロックの復権>または<初期衝動への回帰>としてやたら盛り上がったのである。