市川哲史の「すべての音楽はリスナーのもの」第23回

ジミー・ペイジの44年ぶりヒロシマ再訪 市川哲史が「伝説のツェッペリン初広島公演」を探る

 いまや大概の出来事がネットで瞬時に報じられるので、たとえば日本での知名度が圧倒的に低いであろう海外ミュージシャンの訃報なんか、本当に助かる。しかしネットレスだった時代は時代で、特に旧メディアの代表格である一般紙の朝刊なんかに洋楽ロックに係わる報道を見つけようものなら、気分は高揚し妄想は膨らんだ。

 単純なのだ、我々は。そしていまもなお。

 7月31日付の毎日新聞社会面に見つけたその記事の見出しは、《非核の階段 一歩ずつ――ペイジさん ヒロシマで献花》。おお。

その冒頭を引用する。

 <1970年代に活躍した英国の伝説的ロックバンド「レッド・ツェッペリン」のリーダーでギタリストのジミー・ペイジさん(71)が30日、44年ぶりに広島市中区の平和記念公園を訪れ、原爆慰霊碑に献花した。ペイジさんは、80年に解散した同バンドのCDの発売プロモーションのため来日。被爆70年の節目として再訪を希望した>。

 35年も前に解散したゼップの新作とは、昨年6月にスタートした全スタジオ・アルバムのリマスター/エクスパンデッド・リイシュー企画第3弾にして完結篇――『プレゼンス』『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』『コーダ(最終楽章)』の決定盤になる。

 オリジナル盤の全曲をリマスター音源で収録したCDのみの《スタンダード・エディション》に、プラス未発表音源集の《デラックス・エディション》、更にその両ディスクと同内容の重量盤LPとハイレゾ音源のDLカードとハードカヴァー装丁のブックレットなどを追加した《スーパー・デラックス・エディション》の、計3種類のフォーマットでリリースするアレだ。懲りろよ俺たちも。

 でもってビジネス感覚に非常に長けたペイジPは、日本の中年を骨の髄までしゃぶり尽くそうとわざわざ商談に来日するわけか。ちっ。そもそもこの男は21世紀以降、03・08・11(←震災で中止)・12・14年と頻繁に来日を重ねているが、毎回毎回プロモーション目的なのだ。どうだまいったか――。

 いやいや、今日はそんな下衆なネタを書くのではない。再び、記事の続きを引用する。

 <同バンドは71年の初来日時に広島市でチャリティーコンサートを開き、売上金約700万円を市を通じて被爆者に寄付した。当時、メンバーたちは「戦争を知らない私たちの心にも、人類が原爆を落としたことへの恥ずかしさがある」と語った>。

 実利目的の来日のついでだとはいえ、44年の歳月を経て再び原爆慰霊碑を訪ねたペイジを、人として見直さねばなるまいて。と同時に、あのレッド・ツェッペリンが1971年の初来日時に原爆ドームと原爆資料館を訪ねていたことは、意外に知られてないような気がする。やはりツェッペリンも「あの」60年代後期に誕生したロックバンドなのだ。

 にしてもそもそもヒロシマを真剣に訪ねた外タレって、ほとんどいないのではないか。せいぜい、原爆ドームで嫁と二人抱き合って泣いたエルヴィス・コステロと、「行く行かない」で散々悩み倒したあげく行かなかったノエル・ギャラガーのへたれ、ぐらいしか浮かばない。

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