復活作『シャンゼリゼ』インタビュー

モーモールルギャバンが明かす活動休止の真実、そして迷いからの脱却「音楽がスポーツになってしまっていた」

 

 モーモールルギャバンが、6月24日にアルバム『シャンゼリゼ』をリリースした。同作は、2014年5月にライブ活動無期限休止を宣言し、2015年3月に再始動した同バンドの記念すべき復活アルバムだ。従来通りのサイケデリックなアプローチは健在だが、これまでのどの作品よりもアレンジは必要最小限に、ゲイリービッチェ(ボーカル・ドラム)の歌を強調したものに仕上がっている。今回、リアルサウンドではメンバー3人にインタビューを行い、活動休止期間に起こった変化やアルバムのコンセプト、バンドシーンへの問題提起などを大いに語ってもらった。

「自分の思考回路を徹底的に断捨離しました」(ユコ)

――今回の作品を語るにあたり、外せないのは「活動休止からの復活」というトピックです。改めてライブ活動休止に至った経緯と、復活までに経験したことを教えてください。

ゲイリー・ビッチェ(以下:ゲイリー):単純に制作に専念する余裕がなくて。10年ぐらい突っ走ってきたので、このタイミングにしっかり向き合おうと思いました。

ユコ=カティ(以下:ユコ):別に深刻なミーティングがあったわけでもなく(笑)。休止前最後のツアーが終わった後は、しばらくそれぞれ自分のことをやっていました。連絡も一切取り合わない期間が4〜5カ月ほどありました。

T-マルガリータ(以下:マルガリータ):僕は「一回ライブ休止に入ったからにはスパッと離れてみようかな」と思い、ベースを触らない期間がしばらくありました。

――アルバムのコンセプト・構想はどこから?

ゲイリー:活動休止してからというもの、週8ペースで飲み歩いては「俺は何をやっているんだろう」という思い、沸々と湧いてくるメロディを紡ぎ続けていて。その時期を「制作」って呼んでしまうと世の真面目なミュージシャンから怒られてしまうと思うんですが、結果的にそうなりました。だからCDのサンプル盤が出来上がった時は、真っ先に飲み屋に送りました。

――飲み歩いたり、奔放な生活をすることであえて自分を追い込んでいた側面もありますか?

ゲイリー:僕という人間は、「楽しむ」ということに対してちょっと罪悪感を持ってしまう気質でして。ミュージシャンというのは『ドラゴンクエスト』でいえば「遊び人」で、それがいくら「勇者」や「戦士」になろうとしてもなれない。遊び人はどこまでいっても遊び人だから、そんな自分の書く詞を説得力のあるものに転換するしかないんですよ。だから欲求に忠実に生き続けつつ、世の中には何かしらの貢献をしたいと思っていて、その感情が『シャンゼリゼ』というアルバムに現れています。

――アルバム自体はキャリアの中でも一番シンプルで、変化球を入れながらも歌が前に出ており、スッと入ってくるような印象でした。これまでの作品で言うと『BeVeci Calopueno』に近いものを感じていて。制作手法は以前と変わらずゲイリーさんの弾き語りですか。

ゲイリー:最近のデモ作りではドラムも入れるようにしています。歌と歌詞に関しては、自分の書きたいものがちゃんとそのまま形にできましたが、ドラムとコード進行は、ユコさんが全部アレンジで変えたので原型が残っていません(笑)。普通はぶっ壊されるとストレスが溜まるものですが、彼女はストレスにならない形で、清々しくぶっ壊してくれました。

ユコ:そんなことないよ、守るものは守ったよ(笑)。

ゲイリー:土足で踏みにじられることが許されるのって、長くやっているバンドメンバーだけだと思います。何が相手にとっての地雷なのかを把握して「じゃあここは従おう」と判断したり、「そこのメロディは頼むから変えないで」と譲れない部分は伝えていました。これまでみたいに不毛な喧嘩がなかったぶん、作業自体はすごくスムーズで建設的に進んだ気がします。単純に年を食って大人になったし、週8で飲みながら作ったデモだからこそ、アーティスト気質を持たずに「もしよろしければ、料理していただけますか…」と謙虚に向き合えたのかなと。

――これまで通りのメッセージ性は込めつつ、結果的にちょうどいい力の良い抜け方になったと。

ゲイリー:そうですね。プロになってから、頭がガチガチに凝り固まって「あれもやんなきゃ…これもやんなきゃ…」と、積み上げることしか頭になかったので、快楽主義的な生き方は良い影響を与えたと思います。

ユコ=カティ

――ユコさんは、アレンジでどのようなことを意識しましたか?

ユコ:これまでの作品でもずっとアレンジを手掛けてきましたが、休止前くらいの時期から、自分が好む音やフレーズがすごく見えづらくなっていました。自分の中に摩擦がずっとある感じで、それがすごくフラストレーションになって。私も休止中はあまり楽器に触らなかったのですが、その代わり自分の思考回路を徹底的に断捨離しました。『シャンゼリゼ』の制作に入った頃には、デモを聴いて様々なアレンジが浮かんでくるぐらいポジティブな思考回路になりましたし、アレンジはゲイリーから「ここはこうだけど、あとは好きにして」という形で託してもらったので、楽しく料理していました。私はレコーディングに入ると、現場で色んな人の意見を聞きすぎてブレてくるという悪い癖があるのですが、今回は「ブレない、ブレない」と呪文みたいに言い聞かせながらやっていました。

ゲイリー:結構ブレてたよ(笑)。ホントこの人、急かすとすぐ怒るんですよ。全然地に足はついていなかったし、いつもどおりバタバタだったよね。強いて言うなら、前作より5パーセントぐらい地に足は着いてたけど、安定のユコ=カティでしたよ。

ユコ:うそ!? まぁ…終わってしばらくしたら「そうでもなかったな」と思ったけど…。

ゲイリー:でも、先ほど「『BeVeci Calopueno』と通ずるものを感じる」と初めて言われてビックリしたのですが、この作品って実は『BeVeci Calopueno』を作った時とまったく同じ作り方に戻したものなんです。

ユコ:私もびっくりした!

ゲイリー:あの作品はメジャー1stフルアルバムだったこともあり、気合も入っていましたが、やりたいことを詰め込みすぎて、お互いの持ち味を殺してしまったという反省もあった。出来ないことをやろうとしすぎて、スベってる感覚もありつつ、我々らしい作品として愛せるアルバムになったのが『BeVeci Calopueno』だったんです。そこからプロとしてやっていくなかで、自分の詩に全然自信が持てなくなって、人の意見を取り入れたらもっと分からなくなって、曲の作り方もメロディの書き方も見失う時期があって…。でも、「好きっていう気持ちを、プロとしての消費に耐えるレベルに上げないとダメだ」ということに気づいて、必死で向き合ってきたんです。休止を通してちょっと肩の力が抜けたタイミングで『BeVeci Calopueno』と同じ作り方をしたら、自然と各々が今の自分をしっかり把握して、無理のない形で融合させることができたので、今までで一番、完成した時の達成感はありました。

ユコ:『BeVeci Calopueno』では、私の指示が2人に伝わりにくかった部分もあると思うんです。アレンジにおいてどういう意図を込めてやっているかが伝わってなかった。

ゲイリー:ユコ=カティ語が理解できるようになったのは、ここ最近の話ですよ。スタジオでも「もっとブワッとした…エッジがあって強くて…大きいやつだよ!」なんて指示されて何回も戸惑いましたし。

ユコ:関西のおばちゃんみたいだよね。「あそこをピッって入ってグーって行ったら着くから」って道案内する感じ。でも、色んなチャレンジを経たことで、言葉にせずとも個人個人の好みや刺激してはいけないポイント、向き不向きが分かるようになった。だからこそ『BeVeci Calopueno』に愛着を持ちつつも、どこかにあった「もうちょっと突き詰めたかった」という部分が形にできたように思います。

――各々が自分のできることと、要求されるレベルのバランスが取れるようになったんでしょうね。

ユコ:今までは少し背伸びしていたよね。

ゲイリー:バランスは取れるようになったけど、130点の作品を完成させる気持ちじゃないと80点のものはできないから、背伸びするのは仕方ないよ。でもそれがストレスになって、「音楽を作るってハッピーな作業なのに、なんでこんなに煮え切らない顔をしているんだろう」と考えたこともあるけど。

ユコ:そんなこともありつつ、コミュニケーションの賜物なのか、今回はいつもより平和的というか、笑いが多い現場にはなりました。音にものびのび演奏していた感じが出ていると思います。

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