AKB48川栄李奈の卒業に残る“やりきれなさ” ピーク期を前にグループを去る彼女はどこに向かう?
ただ、今考えたいのはむしろ、グループを卒業して一人の芸能人として地歩を固めていく彼女のことである。メンバーがまだグループ内での最盛期を迎える以前から、各人の卒業後のキャリアを後押しするための種をいくつも蒔くことができるのが、AKB48グループという巨大組織の重要な利点である。かねてより女優志望を公言している川栄は、すでに2014年初頭の『SHARK』(日本テレビ系)で、グループから離れた単独でのドラマ出演を果たし、事件による療養から復帰後の同年10~12月には宮藤官九郎脚本のドラマ『ごめんね青春!』(TBS系)にも出演、AKB48の看板を外して活動するための準備を少しずつ整えている。もちろん、AKB48でより中心的な立場や高い知名度を経てから個人活動に移行した方が、一タレントとしては有利だっただろう。卒業への心境をつづったブログで川栄自身も「今私がテレビに出れているのはAKBだから」「AKBじゃなくなったら私をテレビで見かけることはなくなるでしょう」と、この先が必ずしも順調ではないとする認識を示している。しかし、グループ卒業後の活動の成功は、AKB48時代に頂点に立った者だけの特権ではない。川栄のようにまだキャリア半ばに見える段階で卒業したメンバーが、ソロとして順調に足場を築いていけるのならば、グループの今後にとってもポジティブなフィードバックになるはずである。また、グループのセンターやそれに近いポジションでパフォーマンスを続けてきたメンバーは、卒業後のキャリアとして「AKB48」のイメージをいかに外していくかが重要になる。昨年卒業した大島優子にとってそれは不可避の課題であるし、今年卒業へのカウントダウンに入る高橋みなみもまた同様だろう。川栄は人気メンバーではありつつも、まだキャリアのピークを迎える前に卒業することもあり、ファンの間での認知度はともかく、世間的にAKB48の看板を代表するアイコンになっていたわけではない。その身軽さは、彼女の今後の活動にとってむしろプラスになるのかもしれない。
イメージからの距離ということでいえば、先週4月4日に放送された『AKB48 旅少女』(日本テレビ系)もまた、AKB48所属ゆえの固定的なイメージを相対化するような役割を果たしていた。同じAKB48所属の木﨑ゆりあ、西野未姫とともに今後のAKB48や選抜総選挙の意義などを問い直すような会話をする中で川栄が吐露したのは、バラエティによってイメージ付けられた「バカキャラ」というある種の定型的なイメージへの静かな違和感や俯瞰的な視線だった。ともすればそのようなキャラ付けが先行する状況にあって、同番組が提示してみせた「キャラ」に対する距離感は、卒業を控える川栄を定型的なイメージからいくらか解放し、一人の芸能人としての奥行きを見せるような、良い効果をもたらしているように思えた。
川栄の卒業が他のメンバーの卒業にもまして、様々な感情を含みこまざるをえないことは確かである。けれど、川栄の言葉がすでに卒業後の活動を見据えたものであることは何より心強いし、ソロ活動の将来的な成功は、彼女自身およびAKB48という組織の強靭さを証明することになるはずだ。今回の卒業に関していまだ残るやりきれない感慨が、彼女自身のこれからの活動によってどんどん小さくなっていくならばこのうえなく喜ばしいし、そんな未来を願いたいと思う。
■香月孝史(Twitter)
ライター。『宝塚イズム』などで執筆。著書に『「アイドル」の読み方: 混乱する「語り」を問う』(青弓社ライブラリー)がある。