栗原裕一郎の音楽本レビュー 第8回:『ニッポンの音楽』
『ニッポンの音楽』が描く“Jポップ葬送の「物語」”とは? 栗原裕一郎が佐々木敦新刊を読む
「物語=歴史」の評価
以上が、佐々木敦が描出した「ニッポンの音楽」という「物語=歴史」であるわけだが、さて、どう評価すればいいかと考えると、なかなか判定が難しいところだ。
「歴史」を物語っているが「歴史書」ではない、と佐々木はエクスキューズをするのだけれど、歴史を書いていることは間違いないわけであり、とすると、「史観」というよりさらに恣意的な、まさしく「物語」と呼ぶしかない偏頗さが引っ掛かってこざるをえない。史料のセレクトにも恣意的なところがあって、実証性を重んずる向きには受け入れがたい杜撰さに映るかもしれない。
反面、恣意的といっても、自身の史観に合わせるための捏造や歪曲があるわけではなく(佐々木はそのあたり誠実というか律儀である)、「物語」としてはそれなりに説得力のある仕上がりになっている。ただし、その説得力には『ニッポンの思想』とペアで考えることが条件となっている面があり、この『ニッポンの音楽』単体で見た場合、牽強付会にすぎないと判断されるリスクを孕んでいることは否定しがたい。
だが、そのリスクは著者も重々承知のものであるので、結論としては、次作として予告されている『ニッポンの文学』を待ち、佐々木の「ニッポン」に対する史観が出揃ってからトータルで考えるべきであるということになるだろうか。締まらない結論だが。
手元にあるのは初版だが、いくつかミスを見つけたので、それらを指摘して終わろう。
松本隆が80年代に尾崎亜美を歌謡曲、アイドル・ポップスの世界に引き入れたという趣旨の記述があるが(P.109)、尾崎は70年代からアイドルへの楽曲提供を始めており、きっかけは自曲「マイ・ピュア・レディ」(77年)が資生堂のCMに起用されたことだったので、事実と異なると思われる。
「命題」が「課題」の意味で使われているが(P.41とP.60)、典型的な誤用である。
■栗原裕一郎
評論家。文芸、音楽、芸能、経済学あたりで文筆活動を行う。『〈盗作〉の文学史』で日本推理作家協会賞受賞。近著に『石原慎太郎を読んでみた』(豊崎由美氏との共著)。Twitter