NHK紅白歌合戦直前インタビュー

長渕剛が語る、命がけで表現するということ「本気でかかってくる者には、逃げるか、行くかしかない」

「トレーニングセンターで自分の音楽人としての傲慢な特別意識を叩きのめされた」

ーー音楽界のみならず、色んな分野において幅広く長渕さんのファンが多いのも、歌だけでなく、そうした衰えることのない欲求に向かう姿に魅せられているんでしょうね。

長渕:スポーツが凄く好きでね、「自分を高めていく」シンプルじゃないですか。だから僕は音楽の友達ってほとんどいなくて、格闘技選手、レーサー、そういう連中ばっかり。僕ら音楽人はどこか頭でっかちだから。昔は数多くの音楽人と夜通し語り明かしたこともありましたけど、「どうやったら売れる曲を書けるのか」という話ばかり。「一緒に徒党を組んで勝つ」「負けても諦めないで良い曲書こうな」という話が積み上がっていかないんですよ。出来立ての新曲を聴かせたら「良い歌だけど、売れないよ」「おまえ、売れた売れないばかり考えてるとろくな死に方しねぇぞ!」って激論を交わしましたけど。最後に「剛、なんかんだ言ってもベストテンに入らなきゃ意味ないんだぞ」と去って行く。お互いリスペクトする気持ちはあるんだけど、そこで道が分かれて行くんですよ。どちらが正しいじゃなくて、彼はその道を、僕は違う道を選んだというだけの話なんだけど。

ーーその道が、表現者としての欲求心をより強固なものへと導いていくわけですね。

長渕:20~30代の頃は水泳ちょこちょこっとやれば、ステージは出来るわけ。だけど、さらなる高みを目指したときにぶっ倒れちゃう。そこで、肉体というものがどれだけ大事かということを知りました。そんなとき、一番厳しいと言われるトレーニングセンター、サンプレイの宮畑会長とお会いする。そこで自分の音楽人としての傲慢な特別意識を叩きのめされるんです。「会長、自分音楽やってるんですけど、こんな重量は…」「いや、だって生まれ変わりたいんだろ」って。僕、逃げました。何が嫌だったかというと、重量よりも自尊心が邪魔になるんです。全国周って会場を満杯にする歌手だという意識がいざというときに出て来たわけですね。

 あらゆる格闘界のプロの集団のところに、それを知らずに行ったんですけど。相撲、空手、レスリング、もう野獣の館に歌手1匹。「俺は産まれてこのかた、ギターより重いものを持ったことがありません」なんて冗談言ってもニコリともしないわけ。誰も口も利いてくれない。めちゃくちゃ屈辱なわけですよ。「俺、こんなことやらなくたっていいじゃん」自分が志願したくせに自尊というものが邪魔をするんです。

ーーでも、その自尊に勝つことが出来た。

長渕:会長を喜ばせたい、あの野獣どもに有無を言わせないようになりたいと思って。どんどん肉体が変化していき、挑戦していくという気持ちが筋肉と比例して増幅されていくんです。そしたら、野獣たちが声をかけてくるようになったんです。「お、長渕さん、広背筋ついたね」「上腕二頭筋ついたじゃん」はじめて自分を認めてくれた、嬉しかったですよ。もしかしたら、武道館が初めて満杯になったときよりも嬉しかったかもしれない。歌手であろうが、アスリーターであろうが、同じフィールドに立てば平等だということを改めて思い知らされたんです。それが30代後半、自分が大きく変革したきっかけでもありましたね。

ーーその頃から色々変わられましたよね、精神的にも、歌も。

長渕:田舎者でバカだったからね。リンカーンのリムジンで全国周ったこともあるんですよ(笑)。ロックスターを気取ってね、まだそんなところまで来てないことは解ってるのに、その形を作ったり。今思えば穴があったら入りたい、恥ずかしいこともいっぱいしてきたんだ。基本的に僕らの歌は大衆の中に流れていってるものですから、自分も大衆の中の一人としてどうなんだということを客観視しないと、ついつい自分は凄いことやってると思いがちなんですね。

「『明日へ続く道』は、作ってすぐに、一夜で録りました」

ーー新曲『明日へ続く道』は、〈明日“あす”への用意をしよう〉〈明日“あした”へ続く道〉という、一曲の中で「明日」の読み方が違っているのが印象的でした。これにはなにか意図があったのでしょうか。

長渕:感性を通していくんで、“あした”でははなく、“あす”と歌う必然があったんでしょう、狙って作るわけじゃないんです。〈明日への用意をしよう〉という一行にしても、その前後の言葉によって、楽しい気分にも、逆に危機感を煽ることも出来る。でも、その前後を描かないことが普遍だと思うんです。固定しないということ。人によって明日の風景、情景が違いますから。〈明日への用意をしよう〉という響きをもって、それぞれの明日への道に流れていってほしいという、そこは僕の作家性だと思います。

ーーサビ頭の〈越えてゆけ〉と強いメッセージを感じながらも、“覚悟”ではなく“用意”、〈明日への用意をしよう〉の意味合い、語感の柔かさ含め、リスナーの明日を促すような優しさを感じました。

長渕:一緒に考えようよ、ということだと思うんですね。その先には「負けてもいいから諦めさえしなければ、必ず俺にもおまえにも明日は来るからな」って。それを泣きながら、抱きしめながら言いたいんです。祈るような想いがあります。

ーーこの楽曲は配信という形を取っていますね。

長渕:通常ですと、“いま”という衝動を歌にしたときに、アレンジが加わり、録音をして、そこからまたパッケージ化するためのプロセスがありますから、“いま”というときから半年ぐらい経ってしまうわけです。配信を使えば、今さっきそこのスタジオで録音した“いま”をすぐに届けることもできます。この歌はオシャレをすることが大事なのかを考える隙もなく、まさに「今だ!」と思ったから、みんなに早く聴いてもらいたいという瞬発です。作ってすぐに、一夜で録りました。

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