石井恵梨子が「音楽界のコトバ」を考察 第7回:椎名林檎『日出処』
椎名林檎の歌詞はなぜJ−POP界で異彩? “歌不要論者”だからこそ書けるコトバとは
この記事を読んで非常に合点がいったのだが、椎名林檎の歌詞は変である。変というのは、彼女が「職人」を自負する「J-POP」の世界においては、という前提なのだが、まず歌ありきで、共感できる言葉があればあるほど支持されるのがJ-POPだ。そして共感できそうな普遍的ワードを並べるシンガーが増えた結果、「会いたくて会えなさすぎ」「さくら舞いすぎ」「ひとりじゃなさすぎ」などと揶揄されているのが昨今のJ-POPだ。この世界の安っぽいコトバと椎名林檎のそれには、あまりにも深い断絶があると言わざるを得ない。
自分本来の考え方として「まず歌はいらない。歌が入ると風俗になる。歌が入るとそこに目が行ってしまう」と椎名は語る。だからなのか、彼女の曲は歌もメロディ楽器の一部であり、サウンドの中に歌が溶けこんでしまっている。普通のポップスでこんなにギターやドラムが鳴ったりしないでしょう、というくらいボーカル以外の楽器の存在が強いことも要因だが、そもそも歌がコトバとしてあまり耳につかないし、何を言っているかは断片的にしか聴こえてこない。ストーリーは歌詞カードを読まないとわからないのだ。
もちろん初期は違う。〈気まぐれを許して/今更なんて思わずに急かしてよ/もっと中迄入って〉などの扇情的な歌詞が社会現象になった「本能」などは、あえてコトバのインパクト(そして自作自演キャラの話題性)で勝負していたのだと思う。ただ、東京事変以降の椎名林檎は、はっきりと「歌のひと」ではなくなった。もちろん不思議キャラの人でもない。職人、という言い方はまさしく今の彼女の真摯な仕事ぶりを表すものだ。