大森靖子が提示する、J-POPの新たなスタンダードとは? メジャー初アルバム『洗脳』を分析

 内山孝洋がサウンド・プロデュースした「ナナちゃんの再生講座」は、ミュージカル風の優雅なサウンドに乗せて「隠語ばっかの世界史ね / 淫乱ばっかでせかい死ね」と大森靖子が歌う。あまい地獄だ。ライヴではエディット・ピアフの「愛の讃歌」を連想するほど歌いあげていた「呪いは水色」も、直枝政広のサウンド・プロデュースで適度に軽やかになり、それが逆に「私達はいつか死ぬのよ」という歌詞をより鮮やかに浮かびあがらせる。ストリングスは、星野源の編曲で知られる岡村美央によるものだ。「ロックンロールパラダイス」は、ヒップホップ畑のTaichi Masterによるサウンド・プロデュースで、プログラミングをベースにしたチャーミングなトラックに。直枝政広サウンド・プロデュースの「きすみぃきるみぃ」は、鮮やかに展開していくメロディーの美しさがソングライターとしての大森靖子の真価を実感させる。この楽曲では演奏が不意にフリー・ジャズのようになる瞬間があるのだが、やはり直枝政広プロデュースによる最後の楽曲「おまけ(ハートマーク)~スーパーフリーポップ~」でも終盤はインプロビゼーションへと突入していく。冒頭はセカンドラインのようなリズムとスライド奏法のエレキ・ギターが響いているが、中盤からテクノ化し、最後はこうなるのだ。突然のことで呆気にとられている私を残してアルバムは終わった。

 バンド・サウンドやプログラミングが並ぶ点で、『洗脳』はこれまでのアルバムと大きく質感が異なる。その中で1曲だけサウンドが大きく異なるのは、大森靖子自身のプロデュースによる「デートはやめよう」だ。これのみがアコースティック・ギターによる弾き語り。『洗脳』が従来のファンに波紋をもたらすとしたら、この点であろう。弾き語りをもっと聴きたい、という声も当然出てくるだろうし、それは大森靖子が一番理解しているはずだ。

 「デートはやめよう」を聴きながら、ふとひとりの女友達のことを思い出した。彼女は大森靖子のライヴになるとずっと泣いてしまうのだという。しかも終演後に大森靖子に「泣いてたね」と言われたので、気軽にライヴにも行けなくなったのだという。その女の子が『洗脳』を聴いたらどう感じるのだろう、とぼんやり考えた。

 大森靖子は『洗脳』でまた大胆に自身を更新してしまった。2013年のアルバム『魔法が使えないなら死にたい』のリリース後にインタビューした際、彼女がすでに次のアルバムの構想を語っていたことを思い出す。大森靖子は常に変化を志向する。「ギタ女」だの「サブカル」だのという世間からの馬鹿らしい形容も、痛快なスピードでさっさと置き去りにしてしまう。

 その一方で、彼女のライヴスケジュールには「弾語り」という文字が並ぶ。それは『洗脳』のリリース後も続いており、『洗脳』はライヴの場で彼女自身の手で解体されていくのだろう。前作『絶対少女』に収録されていたポップな「ミッドナイト清純異性交遊」が、弾き語りになるとまるで別の曲のようにメランコリックな表情を見せるように。

 『洗脳』は、無謀なほど全方位的な挑戦が、結果的に大森靖子の強度をさらに高めているアルバムだ。「自我」というものが近代の生み出した幻想なら良かったのだが、残念ながら私たちはそれを抱えながら生きている。そして『洗脳』にアクセスすることによって、それは容易に操作されうる。それは「ノスタルジックJ-pop」で「そんな歌くらいでお天気くらいで 優しくなったり悲しくなったりしないでよ」と歌われている通りの作用が、大森靖子の『洗脳』でも発生するということだ。そして『洗脳』がノスタルジックなものになるまで時間がかかりそうな予感がするのは、J-POPの新たなスタンダードを提示することに成功しているように感じられるからなのだ。

■宗像明将
1972年生まれ。「MUSIC MAGAZINE」「レコード・コレクターズ」などで、はっぴいえんど以降の日本のロックやポップス、ビーチ・ボーイズの流れをくむ欧米のロックやポップス、ワールドミュージックや民俗音楽について執筆する音楽評論家。近年は時流に押され、趣味の範囲にしておきたかったアイドルに関しての原稿執筆も多い。Twitter

■リリース情報
『洗脳』

発売:2014年12月3日(水)

価格:¥2,800(税抜き)



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