円堂都司昭が最新ベスト盤『PURE』を紐解く

「早すぎたポップ・スター」としてのマリア・カラス 20世紀オペラの伝説的歌唱を改めて聴く

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 アイドル、ロック、ボカロ、EDM、時にはジャズ、宝塚など、Real Soundは幅広いジャンルを扱っているけれど、ポップ・ミュージックを中心にした音楽サイトだとはいえるだろう。そのサイトで今回、オペラ歌手の故マリア・カラスをとりあげる。彼女はクラシックの世界に生きた人だが、その記憶のされかたは、ポップ・スターに近いところがある。クラシック通以外にも名前を知られ、広く聴かれた点では、ポピュラーな歌手だったのだ。

 生誕90周年にあたる今年、1940~60年代のスタジオ録音が、ロンドンのアビイ・ロード・スタジオのエンジニアによってリマスターされ、豪華なボックス・セットがリリースされた。また、日本企画として、やはり新リマスターによるSACDのリサイタル集13タイトルが11月、オペラ全曲集6タイトルが12月に発売される。一連の再発プロジェクトは、クラシック界でのカラス再評価の機会となるはずだ。同時に、このプロジェクトに伴って選曲された編集盤『PURE』は、オペラ初心者でも親しみやすい内容になっているし、ポップ・スターとしてのマリア・カラスを味わえると思う。Real Soundで話題にするには、ふさわしいアルバムだろう。

 カラスは、歌劇における演技力、役の心理の理解に優れた歌手だった。そして、実人生のほうも、芝居のようにドラマティックなものだった。1950年に歌劇『アイーダ』で注目された当初は、オペラ歌手らしい肥りかただったという。だが、女優オードリー・ヘップバーンへの憧れや、映画監督で舞台演出も行ったルキノ・ヴィスコンティの薦めから、54年には約30キロのダイエットで変身。その後、様々な舞台を成功させる一方、夫を捨て大富豪オナシスとの恋愛に走る。2人は結婚に至らず、オナシスは、暗殺されたケネディ大統領の未亡人ジャクリーンと再婚した。カラスは、派手な社交や恋愛でも知名度を上げた。

 カラスのスキャンダルは、それだけではない。イタリア大統領も臨席した58年のローマ公演を、第1幕のみで出演をキャンセルし、批判を浴びた。30代半ばからは喉が不安定になり、42歳だった65年には歌劇の舞台から引退。その後は、69年に映画『王女メディア』に主演したほか、舞台演出、音楽院の講師を務め、73~74年にフェアウェル・コンサート・ツアーを行った。77年9月16日にパリの自宅で心臓発作を起こし、53歳で死去。74年11月11日の札幌が、最後の公式ステージだった。

 オペラ歌手としての充実した活動期間は短く、51年からの7年間が全盛期、歌声に波があった60年代まで含めても10数年にすぎなかった。早すぎる衰えは、若い頃に難曲で喉を酷使したため、あるいはダイエットのせいとも不摂生のせいともいわれる。それに対し、出演キャンセルだけでなく、興行側と摩擦を起こしつつ舞台から遠ざかったのは、自分に要求する水準が高かったからだととらえる人もいる。恋愛に溺れた一方で、高度なテクニックを持ち、講師として的確に指導する知性もあった。カラスは多面的な人だったし、どの部分に焦点をあてるかで、彼女のイメージは大きく違ってくる。

 後の時代からさかのぼり、残された音源を聴くものとしては、紆余曲折のあった彼女の人生を、歌唱から感じとろうとする。曲自体のドラマだけでなく、歌い手のドラマが、そこに反映されていると思って聴く。波乱のある人生を送り、老いる前に死んだアーティストに対しては、どうしてもそうなる。ジャズのビリー・ホリデイ、シャンソンのエディット・ピアフ、ロックのジャニス・ジョプリンなどがそうだし、オペラのマリア・カラスもそうだろう。歌い手自身の物語やキャラクターの強さが、ジャンルを越えて聴かれる要因ともなっている。

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