栗原裕一郎の音楽本レビュー 第4回:『渋谷系』

「渋谷系」とは日本版アシッドジャズだった!? 若杉実の労作が提示する“DJ文化”という視点

渋谷系のすべて

 さて、そんな視点で書かれた本書は、まず70年代の渋谷から始まる。当時の渋谷を音楽的に彩ったのは、はっぴいえんどの風都市の拠点となった百軒店のBYGやブラック・ホークといったロック喫茶、道玄坂のヤマハなどだ。80年代に入る頃から輸入中古レコード店が登場しだし、その草分けのマンハッタンレコードが移転したことで、90年代、渋谷は宇田川町界隈を中心に「世界一レコード店が多い」街となりギネスブックに載るまでになる。HMVの開店は90年のことだ。

 西武と東急の開発競争により、渋谷が若者の街として急激に発展したことが背景にはあったわけだが、湾岸戦争を境に、バブルで円安傾向だったのが円高傾向に転じたことがレコード輸入販売業者にとって追い風になり、渋谷を世界一のレコード街にしたのだと著者は分析している。

 ともあれそのような土壌で、DJバーやクラブを舞台に、ラウンジやレアグルーヴといったDJカルチャーが花開くことになる。なかでも、91年8月にDJバー・インクスティックで開催されたイベント「サバービア」が極めて重大な事件として特記されている。

「この日ぼくは、最初にして最後、最大だったかもしれない渋谷系というものを全身で吸収することになる」
「『渋谷系とはなにか?』という問いかけに対する答えはそれほど自信があるわけでもない。しかし、記憶を映像化できるならこの1日の体験とともに『これがすべて』と胸を張って言える自信がある」

 主催者はフリーペーパー『サバービア・スイーツ』を発行していた橋本徹、バーのプロデューサーはいまや大御所のDJ小林径で、著者はその日、初対面の小林に誘われてこのイベントを訪れたのだった。

 エレベーターを降り、すし詰めの人をかき分けて店内に進んだ著者は、小沢健二と渡辺満里奈にいきなり遭遇する。著者の顔を見た満里奈は小沢に「あれ、田島〔貴男〕くんの弟?」と漏らしたそうだ。ゲストには、小沢に加えて、小山田圭吾、小西康陽、高波敬太郎、サエキけんぞう、高橋健太郎という、渋谷系のキーパーソンを含む面々が並んでいた。サエキもこの日のことを『ほぼ日刊イトイ新聞』の連載「総武線猿紀行」に記している(https://www.1101.com/saeki/archive/2001-06-21.html)。

 客の大半が床に座り込み、オーケストラやストリングス、効果音のようなものに耳を傾けている——「それまでヒップホップやレアグルーヴ、ディスコ系のクラブイベントしか知らなかったぼくにとって、こうしたスタイルが異質に感じられたのも無理はなかった」。

「サバービア」のこのイベントは、「渋谷系」という言葉で示されることになる価値の転換を、これ以上ないほどに体現した出来事だったということだろう。

 だが、91年のこの時点で、「渋谷系」という言葉はまだ存在していない。

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