中森明夫が『あまちゃん』と能年玲奈を語る(第1回)

中森明夫が『あまちゃん』を徹底解説 NHK朝ドラ初のアイドルドラマはなぜ大成功したのか?

――『あまちゃん』ってディティールの甘い部分がわりとあると思います。僕の立場的には現状のアイドルを描くのにSNSが使われてないとか、アイドルオタクの描写が80年代でストップしているとか。ただそんなディティールはドラマの本質には全く関係なくて。「能年玲奈が可愛い!」ということだけが本質だと、僕は本気で思っています。そして中森さんも、単純に“能年玲奈のかわいさ”が、『あまちゃん』が成功した大きな要因だと考えています。これにつながりそうな話として、中森さんは「多くの人が“アイドル映画の見方”を分かっていない」とも指摘していますね。

中森:僕はかわいい女の子が出ている映画を観るのが趣味で、『サブラ』(2010年に休刊)という雑誌で3年近く「美少女映画館」という連載をしていました。第一回目に取り上げたのは夏帆が主演を務めた『天然コケッコー』(2007年)。新宿武蔵野館で観たのですが、ロビーに映画評の切り抜きが貼ってあって、それを読むと朝日新聞の沢木耕太郎さん、日経新聞の中条省平さんなどが「大きな事件が起こるわけではないが、それがいい。かけがえのない日常と自然の中での輝きが……」みたいなことを書いていた。本当に愕然としました。えっ、夏帆がかわいいって書いてないじゃん!?って(笑)。何も起こらない日常? はあ? 夏帆がかわいいのは大事件でしょう。そこに、わざわざ映画館に行って金を払って観る価値があるんだから。

――スクリーンの大画面で夏帆を観る。

中森:小さな村に住む主人公の右田そよ(夏帆)と、東京から転校してきた大沢広海(岡田正大)の恋愛が軸になった話なんですけど、この作品はまさしく夏帆をかわいく見せる「少女映画」です。学校は少女をかわいく見せるための装置であり、夏帆は卒業式の日、黒板にキスをする。これは夏帆と岡田将生のラブストーリーじゃなくて、学校とのラブストーリーなんです。男が映画館の暗闇の中でじっと見つめていているわれわれだけが、そのキスを受け止める権利がある……そんなことを書きました(笑)。

 『恋空』(2007年)も見事なまでの「少女映画」ですね。ケータイ小説らしく、新垣結衣演じる田原美嘉が三浦春馬演じる彼氏の元カノの知り合いにレイプされたり、最終的には彼氏自身ががんで死んでしまったりと大きなことがたくさん起こる。映画はガッキーが電車に乗って旅をしているシーンで始まり、そこから回想に入って、再び電車に戻るという構成で、最後にミスチルの「旅立ちの唄」が流れるんですけど、彼女が電車を降りると、家族が迎えに来ている。つまり、どこにも旅立っていないんですよ。どんなにひどいことがあっても、決してガッキーに傷がつかない。でも、ガッキーがガッキーとして出演したいい映画って、これ以外にあまり思いつかないんですよね。

――そして、『あまちゃん』もその流れにあると。

中森:ゼロ年代の少女映画は、宮崎あおいと蒼井優から始まり、長澤まさみの『世界の中心で、愛をさけぶ』(2004年)、沢尻エリカの『パッチギ!』(2005年)などがあって、『フラガール』(2006年)あたりがピークだった。この世代がアイドル映画から卒業して、この数年でやっと出てきたのが『桐島部活やめるってよ』(2012年)の橋本愛であり、能年玲奈なんです。そこで生まれたのが『あまちゃん』だった。

――GMTの子もそうだし、『あまちゃん』は期待の“若手女優大集合”な作品でもありますね。舞台装置が能年玲奈をかわいく見せるために存在しているのも、「アイドル映画、アイドルドラマ」的です。

中森:能年玲奈もいいですけど、橋本愛との組み合わせですよね。東日本大震災がどう描かれるか、というのも視聴者の関心事になりましたが、作中で震災に遭うのは東京にいるアキ――能年玲奈でなく、ユイ――橋本愛だった。宮藤さんもそうとう悩んだそうですが、被災地の様子はほとんど描かれていない。唯一の描写は、列車がトンネルの中で止まり、ユイちゃんがトンネルから出て、震災の惨状を目撃するシーン。あれはドラマ史に残る名シーンだと思います。実際に何が起こっているかは描かれないが、橋本愛という少女の瞳の中には震災が映っている。この演出は本当にスゴい。

 震災をきっかけにユイちゃんは決定的に変わりますが、アキちゃんは変わりません。変わらないし、変わってはいけない――それが、宮藤さんが持っているアイドル観なんじゃないかと思いました。

左・岡島紳士氏/右・中森明夫氏

――そのアイドル観は、中森さんにとっても納得の行くものですか?

中森:ひとつの考え方だと思うし、それを貫いたのは立派だと思います。女の子の成長記であるNHKの朝ドラで、変わらないヒロインという新しいスタイルを作ったのもスゴい。ただ僕は、宮藤官九郎ではなく能年玲奈を見ているので、彼女自身の変化に注目しています。杉本哲太さんが、1ヶ月ほどのインターバルのあと、能年玲奈にあったら、「顔が変わっていた」と言う。実際、初回から観直してみると変化が分かります。年齢的に変わりやすいということもあるし、それ以上に、彼女は急速に女優としての変化を身につけている。変わらない女の子のドラマなのに、能年玲奈自身は変わってしまっているんです。続編のためのラストを書き換えさせられた、なんて話もありますけど、『あまちゃん2』はなくてもいいんじゃないか、というのが僕の考えです。
第2回「国民作家の地位は、宮崎駿から宮藤官九郎へ」中森明夫が論じる『あまちゃん』の震災描写に続く
(インタビュアー=岡島紳士/写真・文=編集部)

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