『ハクソー・リッジ』は戦争を題材にしたヒーロー映画だ メル・ギブソンが再現した地獄の戦場

『ハクソー・リッジ』“地獄の戦場”の意味

「沖縄戦」は、歴史のなかでも稀に見る凄惨な戦いとして知られる。太平洋戦争におけるこの地上戦で、日本側は兵隊と民間人合わせて20万人以上、アメリカ兵は1万2千人以上が死亡したと伝えられている。沖縄戦直後の写真を見ると、爆撃によって草木の一本すら死に絶えた、地獄のような風景が広がっており、戦闘の凄まじさを物語っている。

 そのような恐ろしい戦いの中に、宗教上の信念から、武器を持たずに前線に赴き、負傷兵75人を救出したことで知られる実在の人物、デズモンド・ドス衛生兵がいた。彼の献身的な活躍を娯楽作として描いた映画が、本作『ハクソー・リッジ』である。監督を務めるのは、ベテランのアクションスターで、映画監督としても評価が高いメル・ギブソンだ。『ブレイブハート』や『アポカリプト』などで、英雄の戦いや死を描き続けてきたメル・ギブソンは、この題材をどう描いたのだろうか。多角的なアプローチによって、本作が表現しようとした作品の「本質」をあぶり出していきたい。

地獄の戦場におけるイノセンス

 アメリカ映画の中の「戦争の英雄」の概念は、年々変わりつつある。軍を指揮したり敵を大勢撃ち殺し勝利に貢献するような人物を英雄視することは、現在の多様的価値観の中では反感を買う場合があり、アメリカ国内だけでも意見が分かれ物議を醸すのは必至となる。最近では、クリント・イーストウッド監督の、実在の狙撃手の活躍と苦悩を描いた『アメリカン・スナイパー』が、敵兵を大量に殺害した兵士を大筋で好意的に描き、敵対勢力を悪役として強調している部分があることで、マイケル・ムーア監督やセス・ローゲンをはじめ、リベラル派の映画人から批判を受けている。

 では現在、戦争を娯楽作として広く受け入れられるものにするにはどうすればいいのか。その一つの答えとして、『プライベート・ライアン』や『ミケランジェロ・プロジェクト』のように、戦局そのものとはまた別に、人助けをする人物を主人公にするという方法がある。その意味では、武器を持たずに銃弾の中をかいくぐり、負傷した兵の命を救い出す人物の活躍を描く『ハクソー・リッジ』も、その一つだといえるだろう。本作でアンドリュー・ガーフィールドが演じるドス衛生兵は、少し不気味だと感じるほど、天使のような微笑みをたたえたイノセントな存在として表現されており、彼が活躍する戦場が激化し、地獄の様相を見せるほどに、その純粋性はさらに際立っていくというつくりになっている。

時間を操るメル・ギブソンの演出手法

 メル・ギブソンの演出といえば、とにかくスローモーションの多用が挙げられる。私は「ヒーロータイム」と呼んでいるのだが、主人公が英雄的な行為をしているところを、じっくりとスローモーションで表現し、その偉大さを印象づけようとする手法は、本作でも多く見られる。この特徴的な演出というのは、メル・ギブソンの俳優キャリアの初期、オーストラリア映画に出演していた時代に、そのルーツがある。

 メル・ギブソン本人が述懐するように、『マッドマックス』のジョージ・ミラー監督、また『誓い』のピーター・ウィアー監督ら、オーストラリアの両雄である映像作家が、彼の映画づくりの師であった。とくにピーター・ウィアー監督は、「この方が優雅に見える」という理由から、通常のシーンにおいてすら、通常の「1秒間24コマ」よりも多いコマ数で撮影し、常に少しだけ遅く再生するという編集を施していたという。

 その手法を応用し、やや遅いスローモーションや、かなり遅いスローモーションまで6段階の速さを設定し、ひとつのシーンのなかでも、再生速度を遅くしたり速くしたり、細かく速度を操ることによって、メル・ギブソン監督の映画は、とくにアクションシーンにおいて、優雅さと躍動感を獲得している。ちなみに、これをさらに極端に強調しコミック風にしたのが、『300 スリーハンドレッド』のザック・スナイダー監督である。

 また、コマを意図的にカットすることで、ガクンと前のめった調子を作り出すことで、軽快さを生み出している場面もある。これは、宮崎駿も『もののけ姫』などのアクションシーンで使っている手法である。このようにメル・ギブソンは、映像的な運動神経によって作品内の時間を操ることで、映画監督としての評価を高めたのだ。

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