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『LOGAN/ローガン』は“名作映画”の領域にーー本物のドラマに宿るアメリカの魂

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 とうとうアメコミ映画に、名作と呼べる作品が生まれた…本作『LOGAN/ローガン』のラストシーンを観ながら、そのような感慨に耽っていた。

 若年層向けの娯楽という印象を持つ者も多かった、ヒーローが活躍するアメリカン・コミックを題材にした映画は、近年、原作となるコミック自体の進化もあり、重厚なテーマやシリアスな演出によって、かなり別のイメージのものへと変わってきている。そのなかでも、クリストファー・ノーラン監督の『ダークナイト』や、ルッソ兄弟監督の『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』など、さらにヒーローの映画の可能性を広げる、規格外の作品が出てきている。そして本作、『LOGAN/ローガン』は、それをまたさらに進ませたものになっている。ここでは、もはや「傑作」を超えて、すでに「名作」の領域に到達してしまった感のある『LOGAN/ローガン』の価値について、できるだけ深く追求していきたい。

 雨降る墓場の木陰に寄りかかり、酒をあおる。洗面台の前で露わになる、傷つき疲れきった肉体。この、アルコール依存症で、老いた髭ヅラの冴えない男が、かつて「X-MEN」として活躍したヒーロー「ウルヴァリン」の、作中の設定である2029年の姿だ。彼はその名をすでに捨て、ただのリムジン運転手「ローガン」となっている。しょぼくれたローガンを捉えたアンチポップな映像は、アメコミ映画というよりは西部劇の手触りである。アメリカのカントリー・ミュージックの代表的存在だったジョニー・キャッシュがカヴァーした、ナイン・インチ・ネイルズの「Hurt」が流れる本作の予告編を見たときから、何か凄まじいことが起きる予感があった。

 本作は、20世紀フォックスによる『X-MEN』シリーズのなかで、ヒュー・ジャックマンが演じて人気を博したキャラクター、ウルヴァリンが主人公となるスピンオフ作品の最終作となる第三弾である。しかし本作に限ってはスピンオフの領分を越えて、いままで描かれてきた『X-MEN』のドラマに区切りをつけるような、決定的な一作となっていた。その物語は、年老いたウルヴァリンの活躍が描かれるコミック『オールドマン・ローガン』を、大きく脚色したものだ。超人的治癒能力が衰えたローガンは、もはや不死身の肉体ではなく、ときに老眼鏡をかけ、往年の西部劇俳優ジョン・ウェインのように片足を引きずりながら、メキシコ国境沿いの廃工場で貧しい生活を送っている。本作は暴力的な描写からR指定となっており、彼がリースしている大事なリムジンのタイヤを盗もうとするギャングを、次々と殺害する冒頭の不穏なアクションシーンから、彼のヒーロー性が失われつつあることも類推できる。

 かつて「プロフェッサーX」として、人を超えた能力を持ったミュータントたちを指導した偉大なチャールズ・エグゼビアも、いまや認知症を患い、廃工場の倒壊したタンクの中で、生き残りのミュータントであるローガンとキャリバンに介護され、持病の発作を繰り返しながら、ただ死ぬことを待っているだけの存在になっている。もはや彼に敬意を払っている余裕など、ローガンたちにはない。多くのミュータントが死滅した時代、ローガンらは限られた生活費のなかで貯金をしながら、こつこつと労働し、食事を作り、老人の下の世話をして、ただ孤独に日々をやり過ごしていくだけなのだ。

 以前は不死の能力を持っていたローガンは、かつて第一次大戦、第二次大戦に従軍し、さらにX-MENとして敵対するミュータントらを倒して、アメリカを救ってきた。その末路が、老体に鞭打ちながらの毎日の過酷な労働と介護生活なのである。こんな地味なヒーローがいるのか。ここまで悲しいヒーロー映画があるのか。これはある意味で、いままで描かれてきたヒーロー最大の試練であるといえる。このような問題は、我々も必ず向き合うことになる「現実」そのものなのだ。それを正面から見据えたヒーロー大作映画というのは前代未聞だ。

      

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