>  > 『マギー』がシュワ史上最大の珍作たる理由

シュワルツェネッガー史上最大の珍作!  “戦わない”ゾンビ映画『マギー』が制作された背景とは

関連タグ
アビゲイル・ブレスリン
アーノルド・シュワルツェネッガー
ゾンビ
ヘンリー・ホブソン
マギー
洋画
牛津厚信
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

 珍作の誕生である。本作を観て激しく動揺した。自分が今の今までこの映画の存在を知らなかった無知さ加減にも驚いたが、いやそれ以上に我々は、この『マギー』であまりに多くの信じがたい表象を目撃することになるのだ。今の私の状況といえば、それは掘った穴に向けて、今しがた観たばかりの事実を必死に告発しているようなもの。果たしてそれをレビューと呼ぶのかどうかは皆目分からない。

 2015年はアーノルド・シュワルツェネッガーにとって俳優人生を左右する大一番の年だった。もちろんそれは『ターミネーター』シリーズの再起動を意味し、アメリカ本国ではそれほど良い興行成績は上げられなかったが、しかし中国での人気で底支えが働き、全興収の8割を海外で売り上げる結果となった。だがこの巨大な打ち上げ花火に隠れて、天下のシュワちゃんが『マギー』という線香花火に出演していたことはあまり知られていない。

20160205-Maggie-sub4.jpg

(c)2014 Maggie Holdings, LLC.All Rights Reserved.

 本作はゾンビ映画である。しかもシュワちゃん自身が脚本に惚れ込み、プロデューサーの役目まで買って出たという肝入りの一作。彼がプロデューサー業に乗り出すのは2000年の『シッックス・デイ』以来というから、感度のいい珍作インジケーターをお持ちの方ならばこの時点でもう、針先がビュンビュンと振れて色めき立っていることだろう。

 ゾンビ物、そしてシュワちゃんとなれば、観客はさぞ本編中で飽くなき死闘が繰り広げられることを夢想する。いつしか絶望的な状態に追い込まれた主人公がその腕力とマシンガンだけで一筋の突破口を開いていくような、荒唐無稽かつ気分爽快な一作を。でも予想は事実と大きく異なる。大ハズレだ。

20160205-Maggie-sub2.jpg

(c)2014 Maggie Holdings, LLC.All Rights Reserved.

 ここは近未来のアメリカ。都市はゾンビウィルスによって崩壊し、政府は感染者の隔離政策に余念がない。そんな中、農村部で暮らすシュワちゃんの娘マギーもまたゾンビに腕を噛まれてしまう。本来ならばすぐに収容されなければならないのだが、医師の許しをもらい、ゾンビウィルスが発症し“チェンジ”過程に入るまでの2週間あまり、自宅で最後のひとときを過ごすことに。少しずつ朽ち果てていく娘。胸に去来する昔の思い出。どうすることもできない無力感。タイムリミットが迫る中、父親としてできる最後の愛情とは何か。父娘の試練の時が訪れようとしていた……。

 ここまで読めばお分かりの通り、本作ではシュワちゃんは、戦わない。ただ寡黙に眉間にしわを寄せて、娘のためにできることをただひたすら考え続けている。もっとも、自宅内にいつチェンジするのか分からない娘を抱えながら「娘のために…」などと平然と構えていられるのはシュワルツェネッガーの強靭なフィジカルとメンタリティあってこそ、と言えないこともないのだが。上映時間は95分。あまり身構えることなく、仕事終わりにサクッと見れてしまう作品だ。けれど、なぜシュワちゃんがこんな作品を? という思いだけは、上映後もゾンビのように次々と増殖して頭をもたげてやまない。

     
  • 1
  •  

表示切替:スマートフォン版 | パソコン版