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『Music Factory Tokyo』スペシャルインタビュー

Flowerや乃木坂46、リトグリなど手掛ける人気作家・Carlos K.が語る“自身の原点”と音楽遍歴

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 音楽を創る全ての人を応援したいという思いから生まれた、音楽作家・クリエイターのための音楽総合プラットフォーム『Music Factory Tokyo』が、遊助やLittle Glee Monster、Crystal Kay、Flowerといったアーティストや、AKB48や乃木坂46、SUPER☆GiRLSなどのアイドルまで、多彩な楽曲を手掛ける音楽作家・Carlos K.のインタビュー記事を公開した。

 同サイトは、ニュースやインタビュー、コラムなどを配信し、知識や技術を広げる一助をするほか、クリエイター同士の交流の場を提供したり、セミナーやイベント、ライブの開催など様々なプロジェクトを提案して、未来のクリエイターたちをバックアップする目的で作られたもの。コンテンツの編集には、リアルサウンド編集部のある株式会社blueprintが携わっている。リアルサウンドでは、今回公開されたインタビューの前編を掲載。日系2世である彼は、それぞれの国で生活を送った過去も持っている、少し異色なキャラクターとポップな音楽性を持ち合わせた人物だ。インタビュー前編では、そんな彼が送ってきた奇想天外な半生を振り返りつつ、音楽作家としてデビューをすることになったきっかけや、通ってきた音楽遍歴などについて、深く掘り下げてみた。

「Every Little Thingのメンバーだった五十嵐充さんが大好きで、彼に憧れていた」

――Carlos K.さんは日系2世で、幼少期は海外で過ごしていたとか。

Carlos K:そうです。6歳で日本に移住するまではブラジルにいました。母は小学校の先生をしながら、セミプロのジャズベーシストとして活躍していたのですが、ツアーでたまたま北海道の阿寒湖に行ったとき、そこの八百屋で父が働いていて。会って間もなく父から「一緒にブラジルへ行きませんか」とプロポーズされ、母もそれを受け入れてすぐにブラジルへ渡ったそうです(笑)。父は音楽好きで、家はお金持ちではなかったけど楽器を沢山収集していたので、僕は小さいころからピアノを触っていました。

――音楽一家に生まれたわけですね。聴いていた音楽も早熟だったのでは?

Carlos K:自宅は、ボサノヴァやロック、フレンチポップも流れていたりしてごちゃまぜでしたね。でも、僕は聴いたら頭痛が治まるというくらい四つ打ちが好きで(笑)。ケミカル・ブラザーズやアンダーワールドなどを聴きつつ、加古隆さんやゴンチチさんも愛聴していました。

――ピアノの指導はご両親から受けていたのでしょうか。

Carlos K:母から教えられていました。彼女は学校の先生になるために、ピアノの教育を受けていたということだったのですが、弾けないわりに僕にはスパルタで教えてくる。あまりにも怒られるから、嫌になって小学3年生のときにピアノを教わるのは辞めてしまいました。

――そこからは独学で?

Carlos K:そうですね。そこからは親に教わらずにやっていました。もともと母からのレッスンで楽譜が読めずに怒られるのを回避するため、耳コピで譜面を全部憶えて弾いていたのですが、やってるうちに音感が身についていて。

――サボった甲斐がありましたね(笑)。

Carlos K:そこからは「誰かが作った曲を弾いているよりも、自分で作ったほうが面白いのかも」と思い始めて、半ば遊びのような形で作曲を始めました。中学一年生の時には、シンセサイザーを打ち込んで映画音楽のようなインストゥルメンタル曲を色々作って、音楽事務所に送ったりしていたんです。全然ダメでしたけど。

――そこからJ-POP的な楽曲を作り始めるまでに何があったのでしょうか。

Carlos K:実家が田舎だったので、CDを買うだけでカッコいいという価値観が周囲にありました。それで、小学校6年生のときに初めてCDを買ったんです。女の子と貸し借りして、コミュニケーションツールとして活用しようと思って……まあ、単純にモテたかったんですよね(笑)。それを機にJ-POPを聴くようになったのですが、両親からはすごく反対されました。両親が王道の日本文化を良しとしていなくて、テレビを見ているだけで怒られるような家庭だったので。

――ご両親がそこまで反対する理由はなんだったんでしょう。

Carlos K:本当に個性的な2人なんです。J-POPを意味なく嫌っていたし、父親は廃材を拾ってきて、山梨県の都会から遠く離れたところに家を建てるような人でしたから(笑)。

――それでも折れずにJ-POPを聴き続けたのですか。

Carlos K:聴いているうちに作りたくなって、中学校に入ってからはMTRで宅録を始めました。当時はEvery Little Thingのメンバーだった五十嵐充さんが大好きで、彼に憧れて作っていました。そこから高校・大学へと進み、大学生になってからバンドを組んだんです。自分がピンボーカルを取っていたのですが、全然人気が出なかったので諦めて。そこで将来の道についてすごく悩んだ結果、大学を休学してブラジルへ渡ることにしました。

――ブラジルでは何をしていたのでしょう?

Carlos K:マテ茶の工場で働いていました(笑)。バイトをしたお金でブラジルへ渡ったのですが、向こうで遊びまくっていたらお金が無くなってしまって、宿を貸してくれていた知り合いの勧めで、工場に住み込みで働くことになりました。当時はあまりにも貧乏だったので、パチンコを自作して鳥を撃ち落とし、焼いて食べていたことが強く記憶に残っています(笑)。あと、靴が無かったので裸足で歩いてたら、足に寄生虫が入って卵を産み付けられたり。病院もないので、そのときはライターでスプーンを炙って傷口を抉り、ウォッカで消毒していました。ピラニアやワニも食べたりと、日本に住んでいる人には考えられない生活をしていたのかも。

――音楽活動はしていなかった?

Carlos K:もちろん、やっていましたよ。昼はマテ茶の工場で仕事をして、夜は工場内で結成したバンドの仲間たちと、ボロボロの車に乗って街のスタジオに向かい、部屋を借りて練習をするという生活が続いていましたね。

――そのときのパートは?

Carlos K:ピアノでした。ブラジルで音楽活動をしていたと話すと、民族音楽的なものをやっていたと思われるのですが、向こうではボサノヴァやサンバもありつつ、バンドを組む人は大抵ロックをやっていましたよ。B'zさんのような、ロックテイストの音楽をブラジル人の感性で曲にして、ポルトガル語で歌っているような感じでした。

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