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リアルサウンド映画部 記事先行公開Part2

田中宗一郎が語る、『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』とアメコミ映画の現在

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宇野維正
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©Marvel 2015/7月4日(土)ロードショー/ウォルト・ディズニー・スタジオ・ジャパン

 映画の優れた書き手/語り手は映画の世界の外部にもいる。いや、むしろ外部にこそ刺激的で新鮮な視点を提示してくれる論客がいるのではないだろうか? それが『リアルサウンド映画部』を発足させる上での大きなテーマの一つだった。元『SNOOZER』編集長にして、現在も『the sign magazine』クリエイティブ・ディレクターとしての活動をはじめとして音楽シーンに根強い影響力を持つ田中宗一郎氏の登場は、その意外性も含め、きっとその目論見を正当化してくれるに違いない。長年、近いようで遠い、遠いようで近い場所で仕事をしていた田中宗一郎氏との会話は、アメリカのポップカルチャーとの出会いから、日本でも現在大ヒット中の『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』評、そして2010年代に入ってからさらなる空前の活況を呈しているシリーズ/リブートSF作品の今後に対する期待と懸念まで多岐に及んだ。(宇野維正)

「アメコミは自分が知らない世界への入り口だった」

――タナソウさんというと「音楽についての書き手、語り手」というイメージしか持っていない人がほとんどだと思うんですけど。

田中宗一郎(以下、田中):まあ、そうだよね(笑)。

――実は、映画の語り手としてもすごいんじゃないかって気になっていたんですよ。先日も「俺がずっとアメリカのポップカルチャーに惹かれてきた最大の理由は、何よりもそれが常に自己批判的であったからだ。自らの間違いを凝視し、それを内側から告発し、それを認め、反省し、常に昨日より少しだけ良くあろうとした。俺にとってそれは、人類が常により良くあろうとする態度の象徴だった」というツイートを読んで、自分がどうしてここまで強くアメリカ映画に惹かれ続けているのか、その理由を完璧に言い当てられた気がして。

田中:そのツイート、今、ニッポンに対して批判的な日本の作品をみつけるのがすごく難しいって憤りが発端なんだけど(笑)。いや、ただその辺りの意識が芽生えたのは随分昔の話で。自分が中学2年生だった1976年に『POPEYE』が創刊されて、その翌年にアメリカで『スター・ウォーズ』が公開された。日本での公開はその1年後なんだけど、その間にアメリカのSF雑誌『スターログ』の日本版が刊行されたり。10代の頃、自分はそういう動きから文化的な洗礼を受けたところがあって。1963年生まれだから、自分の世代は世界的にもオタク第一世代。と同時に、1967年のサマー・オブ・ラブ、1968年にパリで学生たちが起こした5月革命――そうした60年代末のユースカルチャーが激動した季節に乗り遅れた世代だっていう意識があって。

――そのことに、当時から気づいていた?

田中:自分より上の世代がビートルズの解散をすごく重大なこととして受け止めていることを知ったのがきっかけだったと思う。たかがバンドの解散が?っていう素朴な疑問が出発点。で、その後、60年代後半に海の向こうの社会がどれほど大きく変化したのか、そこにポップカルチャーはどのように関与してきたのか、そういったことを知る上で『POPEYE』の存在は大きかった。上辺としては当時のアメリカ西海岸文化――サーフカルチャーだとか、ファッションの紹介が軸になってるんだけど、中面の「POP EYE」っていうコラムのコーナーにいろんなポップカルチャー、カウンターカルチャーが紹介されていて。ロックもその中の一つだったし、その中の一つでしかなかったとも言える。そんな風にして、当時のアメリカの大学生たちが夢中になったSFやファンタジー、アメコミの世界にも足を踏み入れることになった。だから、大方、その『POPEYE』と『スターログ』という二つの雑誌の影響だと思う。で、中学生の自分が特に入れあげたのが『スタートレック』と『ピーナツ』と『指輪物語』。どれもアメリカの学生たちが大統領に選出しようって半ば冗談で半ば本気で言ってたキャラクターがいた作品。

――いずれも、21世紀に入ってから次々と映画化/再映画化されていますね(今年12月には3DCG映画『I LOVE スヌーピー THE PEANUTS MOVIE』が公開される)。

田中:当時はまさかそんなことが起こるとは想像してなかった。それに高校生になると、パンクに夢中になって、興味の対象が主にポップ・ミュージックに移行しちゃうから、アメコミを必死に読んだりしてたのは、ほんの1、2年の話なんだけど。ただ当時、月刊『スーパーマン』なんて翻訳雑誌もあったし、バットマンを改めて影のあるシリアスな存在に再定義することに一役買ったニール・アダムズって当時もっとも人気のあったペンシラーが書いた『X-MEN』の原書を手に入れたりだとか、それなりに詳しくはなってた。当時のアメコミって、同時期の『少年マガジン』なんかと比べても、圧倒的にアンダーグラウンドな存在で、社会的にも弾圧されてた。例えば、ロバート・クラム(漫画家。アメリカのアンダーグラウンド・コミックス運動の創始者の一人)の作品は、当時のアメリカの若い世代の社会や政治、セックスに対するフラストレーションを代弁していて。ジャニス・ジョップリンの1stアルバム(『チープ・スリル』)のアートワークを手掛けたのもロバート・クラムだった。だから、そういう風にして、音楽も映画もコミックもすべてがクロスオーバーしながら、時代のうねりを生み出してたことを実感として学んだんだと思う、その頃。卑近な例だと、(ポール・マッカートニー&)ウイングスにも、X-MENのマグ二ートだとか、クリムゾン・ダイナモだとか、マーベルのキャラクターを歌った曲があったり。「磁石屋とチタン男」って曲なんだけど。

――ヒドい邦題(笑)。

田中:そうやって、すべてのカルチャーが何かしら関係し合ってた。要するにサブカルじゃなかった。ロックにしろ、アメコミにしろ、SFにしろ、アメリカン・ニューシネマにしろ、どれも逃げ場所というよりは、自分が知らない世界への入り口だったし、自分もそうした時代のうねりのピースのひとつだと感じることで、とにかくエキサイトしてたんだと思う。でも、そこから30年くらい、そんなことはすっかり忘れてた(笑)。特にアメコミに関しては。ようやくきちんと思い出したのは、ディズニーがマーベルの権利の大部分を買い取って、毎年何本も映画化するようになってからの話。

「『アベンジャーズ』が描いているのは、まさに今、世界で起きていること」

――つまりは、『SNOOZER』をやめてから映画を観る時間ができたと(笑)。

田中:まあ、そういうこと(笑)。でも、そもそも90年代初頭にロッキング・オンに入社した時点で、一度映画を観るのを意識的にやめたんだよね。

――どうして?

田中:映画を観ると、つい映画について書きたくなるから(笑)。

――(笑)。

田中:あと、90年代にすべてがサブカル化したことで、カルチャー間の横断がなくなってしまったこととも関係してるかもしれない。でも、ホント当初は意味がわからなかったんだよね。00年代になって『指輪物語』が『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズとして若い世代から再評価されたり、サム・ライミの『スパイダーマン』シリーズが大ヒットしたり、『スタートレック』がよりにもよってJ.J.エイブラムスにリブートされたり(笑)。自分が10代の頃に入れあげた、もはや過去のものだと思ってたものが、何故ここにきて、世界的なポップカルチャーとして再浮上したんだろう?って、当初は不思議でたまらなかった。だから、そのことについて考えるようになって、当時、観たものを改めて観たり、読んだり、聴いたりし始めたのが、ここ数年。

――そんなタナソウさんは、マーベル・シネマティック・ユニバース最新作『アベンジャーズ:エイジ・オブ・ウルトロン』をどう観たのか、というのが今日の主題です。

田中:アメコミ映画がここまでマーケットを支配するようになった、現在まで続くこの現象の直接的な起爆剤はやっぱりクリストファー・ノーランの『ダークナイト』だよね。あの作品で、現代的なイシュー、社会的なイシューをテーマにした、現在のアメコミ映画のフォーマットのようなものが生まれた。実際、とても優れた作品だったと思うんだけど、自分としてはあの時の熱狂や絶賛に対して、ちょっと怪訝に思ってたところもあって。『ダークナイト』における、ジョーカーという絶対悪を置くことで正義というものを再定義しようという命題の立て方そのものがずっと腑に落ちなかった。何よりも、理解不能な絶対悪の存在という軸の立て方が。それって、00年代、10年代において、あまり有効な命題の立て方じゃないんじゃないか?と感じてた。例えば、今だとISIS(Islamic State of Iraq and Syria)の存在を絶対悪として位置付ける考え方もあるんだろうけど、実はそんなにシンプルなものじゃない。すべての発端は第一次大戦中のサイクス・ピコ協定にあるわけだし。一方で、『アベンジャーズ』シリーズというのはノーランの『ダークナイト』3部作のシリアスなトーンと比べると、すごく能天気な作品に映る。特に悪役の描き方だね。悪として設定されているのは、外宇宙からの侵略者だったり、人工知能だったり、言ってみれば、プレモダンな存在として描かれてる。というか、そこをきちんと描こうという意志があまり感じられない。とにかく悪役に魅力がない。

――悪役に魅力がある/ないというのは、ノーランのDCコミック作品とマーベル作品の最も際立った違いですね。

田中:サノスなんてまさにそうだけど、『アベンジャーズ』の悪は明らかに薄っぺらに映る。でも、実はそれには理由があって、特に『アベンジャーズ』2作品における悪というのは、あくまでもマクガフィン(物語上の仕掛け)でしかないってこと。だから、『アベンジャーズ』2作品が提示しているのは、きっかけとしての悪は確かに存在するんだけど、この地球でさらなる面倒を引き起こしているのは、いくつもの正義同士の軋轢なんだ、そういう視点だね。例えば、『アベンジャーズ』だと、ヒーロー同士がずっと争ってばっかじゃねえかとか、『エイジ・オブ・ウルトロン』でも、自分で蒔いた種の尻拭いをするだけの迷惑な話だろとか、そういう無邪気な反応ってあると思うんだけど、でも、実はそのプロットこそが脚本の肝になってる。言ってみれば、1作目の『アベンジャーズ』は「正義と正義は必ずぶつかり合う」ということを描いた上で「その正義は一つになれるのか?」ってことを問う作品だったし、今回の『エイジ・オブ・ウルトロン』は「正義が、友愛が、世界を滅ぼす」って話でしょ? 悲劇は正義によってもたらされるって可能性を示唆してる。そういう意味からすると、テーマとしても1作目からさらに踏み込んだものになってると思う。しかも、それって、まさに今、世界中で起きていることでもあるからね。冷戦崩壊以降、特にアメリカが防衛費の削減のために世界の警察の役割を降りてからの国際社会に関しては、まさにそうだと思うし。

――そう考えると、今回の『エイジ・オブ・ウルトロン』の舞台となった場所も象徴的ですよね。

田中:意識的に時代を反映させてる。東欧の架空の国であるソコヴィアは明らかにロシアのクリミア侵攻を連想させる。市民を避難させるつもりでやってきたアイアンマンのドローンが、市民から石を投げつけられる描写なんてすごく象徴的。アフリカの架空の国であるワカンダが舞台として浮上したのは、アメリカ国内でまたぞろ浮上してるアフロ・アメリカン問題がこれから先の作品ではモチーフになることを暗示してる。韓国が舞台なのは、もはや国際社会からは日本はアメリカの一部だと半ばみなされてることを反映してるとも言える。で、ウルトロンって、戦争の抑止力が暴走したってことでしょ? 日米安保法案とも無縁の話ではない。悪に魅力がないって言えば、安倍政権なんてまさにそうで、でも、ポイントはそれに代わるオプションを見出すために、いくつもの正義をどんな風にひとつの力にするか?ってところにあるわけで。いずれにせよ、『アベンジャーズ』シリーズからは、いろんなメタファーやアナロジーを汲み出すことが出来る。あと、作品のトーン&マナーにおいても、ジョス・ウィードンはより現代的だなと感じるところもあって。3分か4分に1回はユーモアが飛び出すでしょ? どんなに深刻な場面でもそれぞれのキャラクターが軽口を叩いて、互いをからかい合う、軽妙な会話劇のコメディだよね。実際、今の時代の世界の深刻さを娯楽作品として受け止めるには、そういうスタイルこそが有効なんだって視点もあると思う。しかも、それぞれのセリフが笑いを誘うと同時に、それぞれのキャラクターが表象する正義を相対化することに繋がっている。とにかくそこが最高なんだけど。

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