人間椅子、なぜいま絶頂期? 兵庫慎司がその特異なキャリアを紐解く

 ただし。人間椅子の場合、そうではなかった。ハードロック・ヘヴィメタルは好きだけど、全肯定はしない。だから、好きなところを残して疑問に思うところを変えていく。ヴォーカルはハイトーンではなく普通の声で(ハイトーンで歌うのが不可能だったから、ではないと思う。なら別にヴォーカル入れればいいし)。ギターはソロよりもリフを重視、速さも求めずミドルで勝負(このあたり、彼らのルーツであるブラック・サバスのテイストだ)。歌詞は日本語にこだわりたいし、ド派手な衣裳は着たくない。でもテーマとか世界観は、悪魔とかに代わる日本ならではの何かが必要。じゃあ江戸川乱歩がいいんじゃないか。着物がいいんじゃないか。ジェネシス在籍時のピーター・ガブリエルがいいんじゃないか──と、おそらくそのように、いいところは残してそれ以外は自分たち流に変えていくことが、当時の人間椅子にとっては自然なことだったのではないかと思う。

 そうして出来上がった人間椅子のスタイルは、それまでにもそれ以降にも他に例がない、とてもオリジナルなものだった。かつ、大変に個性的であったがゆえに、そしてそれまでのロックのセオリーからはみ出すような、個性的なバンドが揃った「イカ天」にとてもよくなじむものであったがゆえに、「ハードロック・ヘヴィメタルのバンドだと思ってもらえない」という弊害も生んだ。いや、弊害とは言い切れないか。だからこそ最初、ワッと人気が出たとも言えるので。のちの彼らも「イカ天」に関して否定的なコメントは一切していないし。

 そして、人間椅子の「ハードロック・ヘヴィメタルをそのままやらず自分たち流に加工する」というやりかたが、実は全世界的に見ても正しいものだったことが、そのあとあきらかになる。バンドブーム/「イカ天」「ホコ天」ブームの後期頃、世界規模で爆発したグランジ/オルタナティヴ・ムーヴメント。「うるさい音を好きならこの方がいい」とリスナーが大挙してそっちへ流れ、旧態依然としたハードロック・ヘヴィメタルは時代に置いて行かれることになったからだ。そしてグランジ/オルタナティヴに続く、ミクスチャー/ヘヴィ・ロックの波によって、よりいっそう置いて行かれることになる。

 たとえば、パール・ジャムにしても、アリス・イン・チェインズにしても、あのグランジ/オルタナティヴ・ムーヴメントを代表するバンドの中には、ハードロックをルーツにしていることがあきらかな音楽性のバンドがいくつもある。ただ、それまでのハードロック・ヘヴィメタル的な手法を使わず、違う見せ方や聴かせ方をした点が新しかった。

 というのと同じことを、人間椅子はやっていたのだ、とも言える。ただし、グランジやミクスチャーと同じように、その後人間椅子がシーンを席巻したのです──とは、ならなかった。バンドブーム/「イカ天」「ホコ天」ブームが終わると、人気は下がり、露出は減り、活動するのが厳しい状況になっていく。

 しかし、それでも彼らは止まらなかった。メジャーからドロップアウトしてインディーズになり、上舘徳芳→後藤マスヒロ(サポート)→土屋巌→後藤マスヒロ(正式メンバー)→ナカジマノブとドラマーが代わり、バンドだけでは生計が成り立たないのでアルバイトをしながら、そしてそのバイト先でデビュー前の毛皮のマリーズに出会ったりしながら(和嶋慎治の出来事。双方のファンの間で有名なエピソードです)、平均1~2年に1枚のペースでアルバムをリリースし、ライブを重ねてきた。「イカ天」出身バンドで、解散も休止もせずに現在まで活動を続けているの、BEGINと人間椅子だけではないか。

 なぜ続けられたのか。迷いがなかったからではないか、と推測する。人間椅子は最初からスタイルが定まっていた、つまり最初から完成していたバンドであり、自分のやりたいことを探して、試行錯誤しながら活動していくようなタイプではない。だからこそ、どんなに状況が厳しくても、バンドをやめるという選択肢はなかったのだろう。ほかにやりたいことなどないんだから。これをやるために生きているんだから。そういうシンプルな理由なのだと思う。そのシンプルさを貫き通すことがいかにすごいことであるかに思いを馳せたくなるが、とりあえずそれは置いておく。

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