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『Music Factory Tokyo』スペシャルインタビュー

kz(livetune)が明かす、プロの道に進んだ理由「オレより強いヤツに会いに行こう、と」

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 音楽を創る全ての人を応援したいという思いから生まれた、音楽作家・クリエイターのための音楽総合プラットフォーム『Music Factory Tokyo』が、2007年9月に初音ミクをボーカル音源として使用した楽曲を動画サイトにアップして以降、ボーカロイドブームを牽引する1人になり、2011年にはGoogle ChromeのCM曲「Tell Your World」で世界的な評価を受けたkz(livetune)のインタビュー記事を公開した。

 同サイトは、ニュースやインタビュー、コラムなどを配信し、知識や技術を広げる一助をするほか、クリエイター同士の交流の場を提供したり、セミナーやイベント、ライブの開催など様々なプロジェクトを提案して、未来のクリエイターたちをバックアップする目的で作られたもの。コンテンツの編集には、リアルサウンド編集部のある株式会社blueprintが携わっている。リアルサウンドでは、今回公開されたインタビューの前編を掲載。同記事では、彼の音楽遍歴やプロを目指したきっかけ、嵐やT.M.Revolution、桃井はるこにClariS、中川翔子などへの楽曲提供を行う際の心構えなどを語ってくれた。

「シリアスになっていくことで楽しさが失われるのが苦手だった」

――kzさんが音楽に触れたきっかけを教えてください。

kz:音楽に触れた、といっていいのかどうかわかりませんが、小学生の頃はいわゆる“CDが一番売れた時代”だったので、小室哲哉さんをはじめとしたJ-POPは良く聴いていました。音楽を作るきっかけになったのは、小学4年生くらいの時、両親に連れて行ってもらった坂本龍一さんのライブがきっかけですね。当時は今のようなピアノサウンドではなく、打ち込みがメインだったのですが、エレクトリックな音楽に初めて触れたため、インパクトがすごく、それを聴いて「音楽をやろう」と思いました。

――その後、どのように音楽にのめり込んでいったのでしょうか。

kz:ピアノを習ったりバンドを組んだりしたのですが、本当の意味でしっかり音楽を聴く機会はしばらくなかったですね。自己流でピアノを弾いて作曲しながら高校3年生まですごしていて、その時にたまたま読んだ『ロックンロールベスト名曲100』みたいな名前の雑誌の特集を見てなぜか興味を引かれ、そこに載っていた楽曲を1から100まで聴き漁っていったのが、恐らく初めて音楽を聴くことに夢中になった体験でした。当時はポップスでもマドンナのようにロックマインドがあるものが好きでした。

――ロックにも傾倒していた時期があると。そのときは打ち込みから離れた感じでしょうか。

kz:いえ、並行して作曲はしていました。自分の打ち込みサウンドのベースになっているのは『beatmania』(音楽ゲーム)で、中学生の時にハマって以来、打ち込みでの作曲はずっと続けていました。でも、クラブに行ける年齢でもなかったので、ゲームで紹介されているハウスやドラムベースを自分なりに解釈して作っていたり……(笑)。でも、当時参加されてたクリエイターにNYのクラブでレジデントを務めていたHiroshi Watanabeさんなどもいらっしゃって、そういったサウンドをお手本にしていたので本来のものとそこまで大きなズレは起こっていなかったと思います。初めて本格的にダンスミュージックに触れたのは2007年のジャスティスの『†』ですね。それまではアンダーワールドやケミカルブラザーズなど、ロックと親密な打ち込み音楽ばかりを聴いていたのですが、このアルバムを聴いてロッキンかつダンスミュージックなトラックなのに、歌ものはポップになっていると衝撃を受けたことを覚えています。

――ジャスティスの『†』は、たしかに当時のダンスミュージックシーンにとって極めて鮮烈な作品でした。そこからどのように現在の音楽性が確立されていったのでしょう。

kz:ジャスティスと同時期くらいに、友人が作曲で参加していた元気ロケッツが出てきて、よく聴いていました。この二組によって自分のサウンドの原型が作られたといっても過言ではないです。ロックサウンドが入ってこなかったのは、集団行動が苦手だったからかもしれません(笑)。バンドも好きで組んでいたんですが、ある時期を境に「これからは真面目にやっていこう」ということになって、練習が終わってから反省会をしたりするようになったんです。そんな風にシリアスになっていくことで楽しさが失われるのが苦手で……。それに、2000年を過ぎてから自分の好きなガレージ的な音楽をやるのには勇気が足りなかった。

――バンドはあまりご自身の性には合わなかったと。本格的にプロを目指すきっかけになった出来事はありますか。

kz:ギアが入ったのは小学校の頃ですね。中学時代にはすでにかなりの曲数を作っていたんです。そのまま音大に行き、DTMやPAレコーディングを学ぶ学科にいたので、進路は音楽以外にないし、その道が絶たれたらもう死ぬしかないと思っていました。大学を卒業したら、作家事務所に行って作曲家になろうとしたんですけど、大学4回生のときに初音ミクで投稿した楽曲をきっかけにビクターさんから声をかけていただいたので、「これでプロになれるならそれはそれでいいな」と。

――kzさんは各所で初音ミクについて「シンセサイザーのひとつである」ととらえていることを公言していますが、世間ではキャラクターがクローズアップされることが多い気がします。

kz:当時から、結局はキャラソングでしたね。ただ、とらえ方は人それぞれで、どれが正しい使い方というのはないと思います。僕はシンセっぽい使い方をして、たまたまみんながそれを面白がってくれたというだけなので。当時は、キャラの世界観を打ち出していく曲が大半でした。いまは、逆にそういう曲がほとんどなくて、「誰々のプロジェクトの歌を歌うボーカロイド」という立ち位置が多いと思います。ただ、ボーカルが全部一緒なので、どこで差別化するかというと、やっぱりクリエイターの記名性の話になるのかなと。たとえばOSTER projectやbakerさんやryo(Supercell)さんなどは、作曲家として評価されているし、その人をみんなが応援していく。そういう流れが2007年からありましたね。

――周辺のクリエイターで影響を受けた方はいますか?

kz:同人だと、ぼくが好きだったのは東方Projectですね。上海アリス幻樂団が作ったサウンドトラックをアレンジする音楽サークルがすごく多くて、トップクラスで活躍していた、REDALiCE(ALiCE'S EMOTION)とかMasayoshi Minoshima(Alstroemeria Records)には強い影響を受けました。先のジャスティスやKITSUNEが流行っていた時期だったので、ハードコアやエレクトロ、トランスなどをルーツに持つクリエイターが手掛けたアレンジが秀逸に聴こえたし、カッコいいゲームやアニメに対するアプローチの仕方も学びました。

     
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