矢野利裕のジャニーズ批評
いまV6を聴かなくてどうするーーデビュー20周年を前にした音楽的充実期
V6の活躍がめざましい。岡田准一は、大河をはじめドラマや映画に引っ張りだこだし、坂本昌行と森田剛は舞台役者としての評価が高い。井ノ原快彦はNHKの朝の顔で、三宅健もNHKで手話の番組を始めた。長野博はグルメリポーターとしての存在感が抜群である。
V6に限らず言えることだが、アイドルを長くやっていれば当然いつまでもデビュー当時のままではいられない。しだいに若いときには出せない味を求められるだろう。逆に言えば、そのような味を見つけたアイドルは、今後も新しい魅力を見せてくれるだろうと期待できる。V6は、メンバーがそれぞれ、まさにそのような次なる段階に入っている感じがする。だから、見ているのが楽しい。
ジャニーズのグループのデビュー曲を振り返ると、その時代の空気のようなものが伝わってくる。古くは、中村八大のコーラス曲でデビューした初代ジャニーズやGSを模したフォーリーブス。比較的新しいところでは、ラップを取り入れた嵐「A・RA・SHI」。忍者のサウンドがジャネット・ジャクソン『Rhythm Nation』のようだったのも、その時代の空気と言えばそうか。そういう点からすると、V6のデビューはなによりユーロビートの時代を映し出している。V6のデビューは1995年だが、この時期は、小室哲哉によって切りひらかれた国産ダンス・ミュージックを土台にしてユーロビートが展開していく時期である。同時期、V6と同じavexではMAXがデビューしており、直前には安室奈美恵 with SUPER MONKEY’S「TRY ME~私を信じて~」のヒットがある。デビュー会見がヴェルファーレでおこなわれたのも、特筆すべきことだろう。加えて言えば、V6が「ワールドカップ・バレー」のイメージキャラクターとして登場したこともジャニーズ史的に重要である。V6の登場は、現在まで続くジャニーズとバレーボールの浅からぬ関係の嚆矢となっている。
V6はデビュー曲「MUSIC FOR THE PEOPLE」から4曲にわたって、イタロ系のプロデューサーであるデイヴ・ロジャースを迎え、良質な国産ユーロビートを発表し、その後、ユーロビートのブームが一段落すると様々な楽曲に挑むようになる。なかでも、長万部太郎こと角松敏生による「WAになって踊ろう」などは、V6が歌ったことでジャニーズ屈指の国民的ナンバーになった。藤井兄弟による「GENERATION GAP」も、個人的に好きな1曲である。その意味で、90年代後半のV6は音楽的に充実していたと言える。しかし、CD自体の売り上げが下がってくる2000年代も後半になると、V6は少し苦戦していたように見える。もちろん、のちに後輩たちに歌い継がれる「HONEY BEAT」や見事にデジタル・シミュレートされた「GUILTY」など、重要曲・好曲はコンスタントに発表され、セールスも悪くなかった。しかし、正直かつてほどの勢いはないという印象を抱いた。