“ゲームデザイナーとしての自我”に目覚めたベネット・フォディ その後大きな影響を与えた重要人物とは

Bennett Foddyに影響を与えた人物とは

ゲーム開発コミュニティとしての大学

ブルックリンにある〈ゲームセンター〉のビル

 ゲームデザインを実践する開発者であることと、ゲームデザインを大学で教える教員であること。これらふたつの領域はフォディのその後の活動において渾然と混ざり合っていた。NYU時代のフォディの開発者としての活動には、NYUの関係者が影のようについてまわる。

 フォディの活動を現時点で区分するとすれば、交流の中心となるハブをどこに定めていたかで分けられるだろう。TIGSフォーラムでインディー開発者たちと交わっていた時期が前期、NYUに勤めて教員や学生と交わっていた時期が後期だ。もっとも、TIGSフォーラム時代の交友関係はおおむね継続していく。前期と後期で完全に別人へと生まれ変わったわけではない。

 TIGSフォーラム時代のフォディとNYU時代でのフォディとの決定的な違い、それは一部の例外を除いてほぼソロ開発者として通していた彼が、共作者を得たことだ。そのことはやがて、『Baby Steps』へと結実するだろう。

 いっぽうで、ソロ開発者としての代表作として『Getting Over it with Bennett Foddy』もこの時期に出ている。『Baby Steps』と『Getting Over it with Bennett Foddy』。後期フォディの歩みは、この二作品に集約されるといっても過言ではない。なので、後期からはこの二作品を中心に据える形でフォディの足跡を追っていこう。

 NYU時代のフォディについて述べる前に、そもそもNYUの〈ゲームセンター〉がどういった学科であるか、設立の経緯についての説明が要るだろう。

 〈ゲームセンター〉が設立されたのは2008年に遡る。NYUがゲームにフォーカスした研究を行うためのイニシアチブの一環として、ニューヨーク大学内部に存在するふたつの機関、アート系のティッシュ芸術学校(Tisch School of Arts)と技術系のポリテクニック校(Polytechnic Institute)が共同でビデオゲーム専門のコースを立ち上げた。当初はゲームデザイン学習、制作、そして学問としてのゲームスタディの三つを軸に本格的なゲーム開発者・研究者の養成を謳っていた。

 こうした方針には、〈ゲームセンター〉に先行して2000年代初頭に開設され、すでに『flOw』(そして後には『風ノ旅ビト』の)ジェノバ・チェンらを輩出していた南カリフォルニア大学(USC)の映画芸術学部 インタラクティブメディア&ゲーム学科を多分に意識するところがあったろうとおもわれる。

映像美が高く評価された『風ノ旅ビト』

 USCは映画学部を設けたアメリカで最初の大学で、初代の学部長に名優ダグラス・フェアバンクスを据え、アカデミアにおいて映画を学問としての正当な研究対象にするために尽力してきた歴史を持つ。

 長年ハリウッドの大手映画会社から資金的な援助を受け、規模と影響力を拡大。1970年代にはジョージ・ルーカスやジョン・ミリアス、ウォルター・マーチを中心とした同世代グループ・通称〈ダーティ・ダズン〉が映画界を席巻し、その後もロン・ハワードやジョン・カーペンターなど著名な業界人を数え切れないほど送り出し、いわば“映画教育の総本山”として君臨していた。

 USCのインタラクティブメディア&ゲーム学科も、この映画芸術学部に属している。そのため、カリキュラムでも「インタラクティブメディア制作には、映画やテレビといった伝統的なメディアのスキルの組み合わせと、インタラクティブ性が体験の質に及ぼす影響の深い理解が必要」と謳われ、必修授業に「映画入門」が組み込まれるなど、既存の映像分野と強い関わりを持っていた。

 対して、NYUのティッシュ芸術校もまたマーティン・スコセッシやスパイク・リーなどの巨匠を生みだした映画界の名門ではあるが、USCほどには映画にアイデンティティを偏らせていない。もともとは演劇と映画の両方の分野で、コンセルバトリー、すなわち芸能・パフォーマンスアート分野における技能的な専門教育を、学術的研究によって深めていくことを目指して設立された背景がある。

 まとめると、芸術における実践と研究の融合こそがティッシュ芸術校のアイデンティティであり、〈ゲームセンター〉もそうした思想を土台としていた。

 実践と研究の両面を睨んだ〈ゲームセンター〉の野心は、エリック・ジマーマンやイェスパー・ユールといった日本でも名高いゲーム研究者たちの名が初期の講師陣として並んでいることからもうかがえる。(*4)

 フォディのNYU着任を報じた当時の記事で、同僚となったジマーマンはこう語っている。「ベネットのゲームには、興味深く、インディペンデントな思考の持ち主である彼自身の特徴がよく表れている。彼の作品は〈ゲームセンター〉に欠けているものを補ってくれるだろう」

 たんに実作者としてだけでなく、ネットで培ってきたインディーの精神を学生に示す役割を期待されていたことがうかがえる。 

 さて、この〈ゲームセンター〉でトップ(Chair)の座にあったのがフランク・ランツである。彼はベテランのゲームデザイナーとして活躍する傍ら、〈ゲームセンター〉設立以前からNYUで教鞭を執っていた。〈ゲームセンター〉の創設に奔走し、その夢が実現してからは、学科の長として十数年に渡って君臨。その座を退いた現在も名誉チェアという形でセンターを見守っている

 〈ゲームセンター〉のゴッドファーザー、それがランツだ。教員としてではなく、開発者としてのキャリアにおいても、フォディはこのランツとの相互的な関わりを深めていく。

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