ベネット・フォディを中心に見るインディーゲーム小史 第三回
ベネット・フォディと初期インディーゲーム業界 訪れた“幼年期の終わり”を経て

「『ICO』はひどいタイトル」か?

フォディによれば、キャヴァナーははじめのふたつの部屋の名前を考えた。しかし、ものぐさな彼は三つ目以降の名付けを断念しようとした。その様子を見ていたフォディが「ちゃんと名をつけるべきだ」と容喙し、なかば無理やり部屋の命名を請け負った、という経緯らしい。
多少の誇張は含まれているかもしれないが、ウソではないだろう。というのも、実はキャヴァナーがフォディに部屋の命名を任せようと考えるだけの文脈も存在した。ベネット・フォディは「ゲームの名付け」についての権威だったのだ。
2007年11月、フォディはTIGSフォーラムにこんなスレッドを立てた。「ゲームタイトル・クリニック――あなたのゲームの名前を診断します」。
フォディはその最初の投稿で力強く宣言する。
「『パックマン』、『ディフェンダー』、『ジャウスト』。みなさんはこれらのタイトルをご存知のことでしょう。クラシック(古典)と呼ばれる作品です。あなたは、これらの作品が斬新でプレイしやすいからクラシック扱いされていると考えているかもしれません。が、それは間違いです。これらがクラシックなのは、良いタイトルを持っているからです……」
フォディは以下のように続ける。
タイトル名はひとびとに自分の作品をどのように認識すべきかを伝える。それだけではない。それが開発中のプロジェクトであった場合には、開発作業の質を向上させる。なぜなら、良いタイトルはゲームの方向性を、ひいてはビジョンを指し示すからだ。
悲劇的なことに、いまだに多くの開発者はネーミングの力をあまりよく理解していない。たとえ、残念なゲームであったとしても、タイトルさえよければ『ダブルドラゴン』や『ポスタル』のように商業的な成功を収めることだって可能だ。
逆に『ICO』は素晴らしい内容だったにもかかわらず、ひどいタイトルのせいで売れなかったゲームだ。おもうに、『Hold My Hand』というタイトルにしていたら初週50万本の大ヒットは固かっただろうに……。
「そこで、私はここにゲームタイトル・クリニックを開こう」と彼は宣言する。ゲームの概要とスクリーンショットと今のタイトルを投稿してくれれば、このフォディがタイトルを継続すべきかどうかの「診断」をくだそう。悪いタイトルだった場合には、代替案も提供するよ……と。
現在であれば炎上必至な、かなりクセの強い提言だ。事実、「『Hold My Hand』のほうが安っぽくて売れなさそうだろ」「いうほど売り上げにタイトルって関係してるか?」という反論リプライがついた(悲しむべきことに「『ダブルドラゴン』と『ポスタル』は、残念なゲーム”ではない」という擁護はなかった)。しかし、それらの投稿者でさえ「きみがスレッドでやろうとしていること自体はおもしろそうだな」と興味を示している。悪ノリ半分、本気半分の際どいユーモアが流通していたころの、小さなインターネットだ。
スレ主であるフォディはやがて飽きたのか、自作の制作に忙しくなったためか、翌年の暮れにはほぼスレッドへの出入りが途絶えてしまう(時をおなじくしてTIGSフォーラムそのものへの投稿頻度も減少していく)が、「ゲームタイトル・クリニック」はTIGSフォーラムの“名物スレ”として活況を呈しつづけていく。
さて、その「ゲームタイトル・クリニック」での試みにいち早く反応したのがテリー・キャヴァナーそのひとだった。
彼はフォディの試みをおもしろがりつつ、アクションRPGゲームのプロトタイプのスクリーンショットをアップし、「ザ・タワー」というタイトルにするつもりだと書きこんだ。

フォディは「ザ・タワー」を悪くないタイトルとしながらも、それは真に心を揺さぶる名ではなく、類似タイトルが多くて検索性も低いと指摘し、「『スパイア』のほうがよろしかろう」と提案した。キャヴァナーは「ザ・タワー」の曖昧さに同意しながらも「スパイア」はぜんぜんしっくりこないと返した。フォディは残念そうに「『スパイア』はいいタイトルなのにな。今の時代、他のゲームで一度も使われたことのない、短くてクールな響きのタイトルは稀だよ。きみのゲームの内容が『スパイア』にそぐわないっていうんだったら、内容のほうを変えるべきだ……」。
このおどけたやりとりに両名ともどこまで真剣だったかはわからないが、あるいフォディの助言通り、キャヴァナーは「スパイア」のタイトルにふさわしいゲームを作るべきだったかもしれない。『Slay the Spire』がインディーゲームの画期となるのはおよそ10年後のことだ。そして、キャヴァナーはStSと同様に『Dream Quest』から大きな影響を受けたローグライトデッキ構築ゲーム『Dicey Dungeons』をそれと同時期に出している。
さておき、そうしたやりとりの傍らでふたりはゲームタイトルの重要性について意気投合し、大作のタイトルについての軽口で盛り上がった。このときの記憶が、後の『VVVVVV』における起用につながったのではないだろうか。
当時の個人制作コミュニティでは、合作やコラボレーションが頻繁に行われていた。キャヴァナーもCactusことヨナタン・ソダーシュトロムと『Xoldiers』を、のちに『Stephen’s Sausasge Roll』でパズルゲーム界を風靡するスティーブン・ラヴェルとは『Judith』という短編を共作していた。TIGSは個人制作者同士を創作面においてもつなげる場だったのだ。

そもそもフォディとキャヴァナーとはTIGSフォーラム開設当初からやりとりを交わしていた仲であり、ともにビデオゲームにおける辺境の国(オーストラリアとアイルランド)出身で、業界未経験で、原体験である8ビットホームコンピュータ(『ZX Spectrum』と『Commodore 64』)に強い愛着を持つなど、多くの共通点があった。
さらにキャヴァナーの渡英後は直接的な交流もあったらしい。ケンブリッジでキャヴァナーはラヴェルと組んで小規模なゲームジャムをたびたび主催するようになり、そのさいにはフォディもオックスフォードから車で駆けつけて参加していたという。
実は『VVVVVV』の部屋の名付けにも、ふたりの8ビット時代に対するノスタルジーが含まれている。キャヴァナーのブログに寄せられたフォディのコラムでは、『Fantasy World Dizzy(DIZZY III)』という8ビットゲームを例に出して「かつての横スクロールアクションゲームではマップの切り替わりの部屋ごとにその名がつけられているのは珍しくなかった」と示される。
「『部屋の名前』というものは、ビデオゲームでよりスムーズなスクロールが登場したことによって廃れてしまいました。これらは(なにかしらネガティブな要因があったわけではなく)ゲームプレイの進化のために自発的に手放された、かつて人気だった機能の一つです」

つまるところ、『VVVVVV』における「部屋の名付け」はフォディにとって単なる余興やカメオ出演の類ではなかった。今まさに世界を変革せんと打って出ようとしているソロ開発者仲間へ手向けた、最後のピースだった。フォディのつけた部屋名は、いまや『VVVVVV』に欠かせない一部分となっている。
ちなみに、この時期のインディー開発者同士のつながりは、クレジットの「Testers(プレイテスト参加者)」を見るとよくわかる。当時のインディー開発者たちはコスト削減をかねて、身内や同じコミュニティのメンバーにテストプレイをさせがちだったからだ。
たとえば、『Hotline Miami』のテスター欄はいまやインディーゲーム界のオールスターの様相をなしている。ベネット・フォディとテリー・キャヴァナーを始めとして、先述のスティーブン・ラヴェル、エドマンド・マクミラン、『Ridiculous Fishing』『Nuclear Throne』のVlambeer(ラミ・イスマイルとヤン・ウィレム・ニマン)、『dys4ia』のAuntie Pixelanteことアンナ・アンスロピー、『Kentucky Route Zero』のメインクリエイターのひとりジェイク・エリオット、『Storyteller』のダニエル・ベンメ ルグイ、『I am Dead』のジョナサン・ホワイティング……。
これは『Hotline Miami』だけの、その名作性ゆえの現象ではない。同じ時期の他のゲームでも起こっている。かれらは互いの作品をテストプレイしあっていた。
フォディの証言によれば、スティーブン・ラヴェルはこの時期、TIGSから派生したクローズドなオンライン開発者コミュニティも主催していた。キャヴァナーはそこで『VVVVVV』のテストプレイを募っていたという。アンディ・ウォーホルの工房にして社交場でもあった〈ザ・ファクトリー〉にも擬せられたその創作コミュニティでは、ラヴェルの『Stephen’s Sausage Roll』や、フィンランドのペトリ・プルホらの『Noita』、そしてフォディの『Getting Over It』のプロトタイプもリリースされていたらしい。
この時期におけるインディーゲーム同士の謎めいたつながりを、フォディはダグ・ウィルソンのことばを引いて「相互依存的(Interdependent)」と呼ぶ。「インディー開発者は独立(Independent)こそを是とする」とみなしがちなわたしたちからすれば、奇妙に矛盾した表現であるようにおもわれるかもしれない。
だが、ビデオゲーム作品は孤立して存在しているわけではない。開発者(陣)によって作られ、開発者が人間であるかぎりは人間同士のつながりがある。年表にタイトルだけ並べても歴史は見えてこない。
インディーゲームとは、「人間の顔を持ったゲーム」のことだ。それはやがてフォディの作品によって証明されるだろう。そして、開発者同士のつながりのみならず、開発者とプレイヤーとのつながりにおいても、「名前」が重要な役目を果たすことも。
<第四回へつづく>
【脚注】
(※1……はじめはTIGSourceフォーラムにおける常連やモデレーター限定のスレッドで「バージョン0.8」がアップされ、のちに公開された。そこでの頻繁なフィードバックのやりとりがブラッシュアップ、ひいては2012年の完全版リリースへとつながったという)
(※2……もっとも、デレク・ユウはTIGS運営者としてだけでなく、『Aquaria』の時点で開発者としてもインディーゲーム界のセレブリティ視されていた)
(※3……ベッドルーム・コーダー。寝室や自室などプライベートの時間でプログラムをコーディングするアマチュア/個人開発者たちを指す)
(※4……マッチパズル。あらかじめ配置されたブロックの位置を入れ替え、おなじ柄のブロックを縦か横の直線上に3つ揃えて消していくシステムのパズルゲームの総称。英語ではMatch-Three Puzzleとも。始祖は1994年リリースの『Shariki』とされる。日本で流行した作品でいえば、『ZOO KEEPER』や『パズル&ドラゴンズ』『キャンディークラッシュ』などが挙げられる)





















