ベネット・フォディを中心に見るインディーゲーム小史 第二回

『QWOP』とゲーム実況の衝撃 ベネット・フォディの足跡から辿る、激動のFLASHゲーム時代

職業としてのインディーゲームクリエイター

 ところで、『Little Master Cricket』をリリースする1年前の2007年は、フォディにとって岐路となった年だった。

 インディー開発者コミュニティで鮮烈かつ慎ましやかなデビューを果たすと同時に、プリンストン大学で生命倫理分野のポスドク研究員に就き、職業研究者としての本格的なスタートも切っていたフォディ。この時点で彼は「ゲーム開発者」と「職業研究者」、どちらのキャリアに進もうと考えていたのだろうか?

 まともに考えるのなら、後者だろう。『Too Many Ninjas』の発表時にもTIGSourceで「自分の本業である哲学(の研究や論文執筆)を先延ばしにしてサボれるあいだはゲームのアップデートをしていきたい」と彼は述べていた。つまり、大学をいずれ戻らなくてはいけない「職場」と認識していたわけだ。

 先立つこと2005年に「Xbox Live」が登場し、パッケージレスなダウンロード販売網が整いつつあったものの、どこの馬の骨ともわからないような個人制作者たちに広く門戸が開かれているとはいいづらい状況だった。

 小規模開発インディーゲームの本格的な商業化が始まるのは2008年11月に「Xbox Live Indie Games(旧称:Community Games)」が登場した頃からで、現在のような裾野の広がりを見るのは2012年のSteamにおけるGreenlight制度の開始を待たねばならない(*2)。「ゲーム開発者」ならともかく、「インディーゲーム開発者」という職業は受賞歴を有するデレク・ユウのようなほんの一握りのトップ開発者以外、まだまだ見通しは暗かった。

 いっぽうで、ゲーム業界になんのツテもコネもないアマチュア制作者が2000年代に「ゲームで食べる」道もない訳ではなかった。

 その道の一つが、Flashゲームだ。NewgroundsやKongregateといったFlashポータルサイトとの契約や、自サイトに貼った広告の収益でそれなりの収入を得られた。2007年ごろからは主要Flashポータルサイトでクリエイターに対する広告収益の分配が開始され、たとえば、のちにインディーを代表するクリエイターとなるエドマンド・マクミランは、2008年に『Meat Boy』を含む10本のFlashゲームを公開し、3万ドルの広告収入を得たと述べている。

当時最大級のFlashポータルサイトのひとつだったNewgrounds。Flashコンテンツ制作者のコミュニティとしても機能した

 サブカルチャー研究者のブンタヴィ・シュヴィレが指摘するように、Flashの利点とは「あらゆるWEBブラウザ(とOS)でエンドユーザーが Flashコンテンツを閲覧できること。言い換えれば、コンテンツ・クリエイターがパブリッシャーを通さずにオーディエンスへと直に到達できるメディアプラットフォームだったこと」だ。

 もちろん、以前からフリーウェアを自サイトやオンライン・ソフトウェア・ダウンロードサイトなどで配布するという手段も存在したものの、よりダイレクトにリーチできる上にWEBサイトへの滞在時間もより長くなり、そのぶん広告露出も増えるFlashゲームは、当時成長しつつあったオンライン広告市場の波にうまく乗っていた。

 フォディも2008年時点で「ふたつのFlashポータルサイトからそれぞれ1000ドルの非独占的契約オファーが来た。Flashゲームでも生計は立つ」と主張している。また広告収入に関しても、『Too Many Ninjas』でGoogle AdSenseから収入を得て(最初の振込は2ドルぽっちだったが)、Flashゲームで稼ぐことに少しだけ色気を見せていた時期がある。

 だが、現実に安定した広告収入や契約を得るには、マクミランのケースに見られるように、相当な制作ペースを求められる。作品のジャンルも、Flashに搭載されているActionScriptの機能と、「ブラウザ上で気軽に楽しみたい」というオーディエンスのカジュアル志向に大きく制約されてしまう(*3)。

 そしてなにより、2008年以降の流れを知る我々だから指摘できることだが、まもなくFlashは死ぬ

 殺したのは、だれあろう、スティーブ・ジョブズだ。

 2007年にアップル社はiPhoneを売り出し、携帯電話業界のみならず、WEBの在り方をも一新した。そして、その仕掛け人であるジョブスは、Flashという規格を蛇蝎の如く嫌い、iPhoneから完全に締め出した。

 彼は2010年に「Thoughts on Flash」というオープンレターを公開した。「WEB上の動画の3/4を支配するFlashはAdobeによって独占された閉じたシステムであり、バッテリーも無駄に浪費するし、セキュリティにも不安を抱えている」などと猛烈にFlashを非難する内容で、「HTML5こそ未来の勝者だ」と締めくくられている。WEBの覇者としての地位を確立しつつあったAppleによるこの一撃は、すでに衰退のきざしを見せ始めていたFlashにとって事実上の死刑宣告にひとしかった。

 その後、iPhoneを中心として発展していったモバイルゲームは、今日ではPCとコンシューマを合わせた規模をも凌駕する巨大なアプリゲーム市場を形成するようになっていく。

 フォディの身近にもこうした「Flashからスマートフォンへ」の転換を体現した開発者がいた。『Too Many Ninjas』のスレッドにもコメントを残していたアダム・サルツマンだ。彼は2008年の8月に『Canabalt』というゲームをFlashで発表し、その直後にiOSにも移植した。『Canabalt』は2D横スクロール画面を自動的に走っているキャラスターをなるべく長く走らせつづけるために、ジャンプさせて障害物を避けるゲームだ。のちに多くのフォロワーを生み、エンドレス・ランナーと呼ばれるジャンルの始祖のひとつと見なされるようになった。

『Canabalt』

 操作はボタンひとつだけで、方向入力すら必要のないエンドレス・ランナーはタップ操作が基本のスマートフォンに水があった。『Canabalt』は、カジュアルゲームにおけるFlashからモバイルアプリへの移行期にあって「最初にFlashで無料版を公開して注目を集め、それからモバイルで有料版を出して収益化」というモデルの先駆となった。サルツマン自身は本作の成功とインディーコミュニティで気づいた人脈を足がかりに、やがてインディーゲーム・パブリッシャーのFinjiを立ちあげることとなる。

 そして、ゲーム界のその後を変えたゲームがもうひとつ、『Canabalt』とおなじ月に出る。当時37歳のジョナサン・ブロウがアートワークと音楽を除くすべてを一手にてがけたパズルアクション、『Braid』だ。

 リリース前から数々の賞を受賞して話題を呼び、Microsoftと契約を結んでいたこの期待の新作は、「Xbox Arcade Live」でリリースされるやたちまち話題を呼び、「Xbox Live Arcade」でその年(2008年)に二番目に多く売れたタイトルになった。

 『Braid』はAAAタイトルやいわゆる“売れ線”だったゲームとは一線を画しており、内省的な語りとメタフィクショナルな仕掛けを含んだ、反主流的でパーソナルな作品といえた。そんな代物が「今年最高のゲーム」という称賛を浴びて、数十万本のヒットを飛ばす。

『Braid』

 そういう世の中になりつつあった。インディー開発者たちの時代に。

 そのような激動期に、フォディもまた初めてゲーム史に刻まれるべきゲームを送り出す。2008年11月に登場した、『QWOP』だ。

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