ベネット・フォディを中心に見るインディーゲーム小史 第二回
『QWOP』とゲーム実況の衝撃 ベネット・フォディの足跡から辿る、激動のFLASHゲーム時代
インディーゲームの金字塔として知られる、“壺おじ”こと『Getting Over it With Bennett Foddy』をご存知だろうか。数々のゲーム配信者、VTuberがプレイし、「ゲーム実況の登竜門」として評価を受ける、インディーゲーム屈指の名作だ。
同作のタイトルには作者であるベネット・フォディ(Bennett Foddy)の名前が記されている。ゲーム実況を見るのが好きな人、VTuberを好きな人、あるいは『Steam』でゲームを遊んだことのある人なら、「なんとなく知っている」「聞いたことはある」であろう“壺おじ”だが、その作者の人となりについては、意外と知らない人が多いのではないだろうか。
そこで今回、リアルサウンドテックではSF作家にして批評家、そしてインディーゲームの熱心なプレイヤーでもある千葉集による「ベネット・フォディを中心に見るインディーゲーム小史」を、全七回にわたってお届けする。大流行するインディーゲームの現在の起源と、重要な役割を果たしたフォディの足跡を知る手がかりとなれば幸いだ。
第一回では、インディーゲーム開発と出会うまでのフォディについて解説をおこなった。第二回の今回は、そんなフォディが「ゲーム開発者」を職業として意識し始めるまでの経緯を辿っていこう。
ラグドール物理への異常な愛情
TIGSフォーラムに出会い、自身の「居場所」を見つけたフォディは、2008年に第二作『TOP SPINNER』をリリースする。タイトルはのちに〈リトル・マスター〉とあだ名されたインドの元プロクリケット選手サチン・テンドルカールにちなんで『Little Master Cricket』へ改題された。
同作は、『Too Many Ninjas』と構図的には似ているゲームだ。実際、最初は『Too Many Ninjas』の延長線上で「忍者がクリケットをやる」というコンセプトだったらしい。
『Little Master Cricket』では、プレイヤーはクリケットのバッターとして、画面右手から投げ込まれてくるボールをひたすら打ち返していく。打ち返した先の画面終端は色分けされていて、点数が割り振られている。基本的には真上や前方に打ち返せばポイントが貯まっていき、打ちそびれてボールを後逸したりすると即ゲームオーバーだ。
本作には、その後のフォディ作品に見られる特徴の萌芽が散りばめられている。まずは『ZX Spectrum』的なピクセルアートではなく、写実寄りのイラストを採用していること。それにともない、身体の動きが各パーツごとに連動すること。ちょうどこの時期にFlashのActionScriptに取り入れられた「Box2D」という2D物理演算エンジンによって、ボールなどがやや奇妙な物理的(ラグドール的)挙動を見せること。そして、なにより、主に操作に起因するむずかしさだ。
思いきり打ち返せば高得点ゾーンに入りやすくなるのだが、振り抜ききってしまうとテイクバックが遅れ、矢継ぎ早に放り込まれてくるボールに対応できなくなる。ならば、と野球でいうバントのようにバットを寝かせてコツコツ当てながら低得点ゾーン狙いで稼ごうとするとと、最初は安定するものの次第に画面内に勢いのつききらなかったボールが溜まっていき、やがては溢れ出してあらぬ方向へ転がり出してアウトゾーンに触れてしまう。
こうしたジレンマ的デザインが、反射だけでなく戦略や内省的なプレイ体験をうながし、ゲームを奥深いものにしている。
フォディはピクセルアートへの強烈な懐古趣味を持ち合わせている。にもかかわらず、彼の代表作として知られているのは『QWOP』や『Getting Over It』といった、主に物理演算に基づくラグドール・アクションのゲームだ。ラグドール趣味の目覚めとなったのは、2004年にネット上で見つけたJava製ゲーム『Ski Stunt Simulator』(2001)だった。ブリティッシュ・コロンビア大学のコンピュータ科学者、ミシェル・ヴァン・ド・ペンネが、カナダのゲーム・プログラマーであるセドリック・リーと組んで制作した横スクロールのスキーゲームだ。
同作は雪山でスキーのスタントを決めていくというコンセプトで、スキーヤーの身体の部位が細かく分割されており、その重心を360度のマウスジェスチャーによって精妙にコントロールしていくことによってトリックをきめていく。
スタント成功時の気持ちよさだけではなく、失敗時の奇妙なおかしみも人気を博し、Java版が30万ダウンロード、Flash版が1000万回以上プレイされた。本作で「シミュレーションにおいてはルールをかぎりなく単純にしてもゲームとして成立しうる」という気付いたフォディはラグドール・アクションに対する研究を深めていく。
ラグドール・アクションの利点についてフォディはこう述べる。
「なにせ、ゲームのメカニクスが物理エンジンから勝手に出てくるんだ。こっちはレベルデザインをするだけでいい。コードをほとんど書かなくてすむ」
開発者にすら予測不能な、“おもしろい偶然”をゲームに与える手段として、ラグドールはフォディの興味をそそった。それはやがて、「不服従なソフトウェア」という彼の思想的なコンセプトとして形をなすだろう。以降、フォディの作品はレトロなピクセルアート路線と、ファニーなラグドール路線の二本柱で展開されていくことになる。
振り返ってみれば、題材にクリケットを選んだのも興味深い。TIGSフォーラムの特色のひとつに、開発者たちの出身国がバラエティに富んでいることがある。NotchやCactusはスウェーデン、Hempuliやペトリ・プルホはフィンランド、キャヴァナーはアイルランド、『Storyteller』のダニエル・ベンメルグイはアルゼンチン、Vlambeerのふたりはオランダ、フィル・フィッシュはカナダ。いずれも当時のゲーム開発シーンにおいては傍流とみなされる国々だった(*1)。
TIGSをはじめとしたインディー開発者が集うWEBサイトは、こうした地域のゲーム開発志望者たちにゲーム開発の情報やツールへの門戸を広く開いたのだった。
とはいえ、TIGSは英語コミュニティだ。実際には、デレク・ユウを筆頭にアメリカ人がユーザーの多数派を占めていたものとおもわれる。じっさい、フォディは他の開発者とやりとりするなかで、オーストラリアという「周縁」国出身である事実をたびたび意識せざるを得なかった。
たとえば、『Amiga』だ。コモドール社製のホームコンピュータである『Amiga』はゲーム向けのコンピュータとしても80年代に欧州やオーストラリアのゲーマーたちから愛されたが、北米・日本といった当時の“ゲームの本場”ではあまり売れなかった。『ZX Spectrum』のあと『Amiga』に親しんだフォディは、TIGSフォーラムの友人たちが『Amiga』の名作を知らないことにショックを受けたという。
彼は自身の通ってきたふたつのゲーミングマシン(英国製の『ZX』とヨーロッパで流行った『Amiga』)から、たびたびオーストラリアのゲーム文化を「ヨーロッパに近い」と位置づけている。実際、フォディ作品における知的でありつつも諧謔に満ちたナンセンスなユーモアは、英国的なテイストをまとっている。『Jet Set Willy』に代表される『ZX Spectrum』全盛期の英国製ゲームたちが、フォディのテイストに影響したことは否めないだろう。
クリケットを題材に選ぶことで、フォディは無意識的に自身のルーツでもある英国(あるいは非主流派)へのシンパシーを表明したといえる。それもまた、当時のゲームを取り巻く文化的環境へのささやかなカウンターであったのだ。