堀江晶太×ヤマハSYNCROOM開発者×Emnyecaが語り合う、インターネットを介した音楽セッションの歴史
ヤマハ『SYNCROOM』開発担当 原貴洋氏(中央・上)、音響事業企画 千々和孝秀氏(中央・下)
バーチャル音楽コミュニティ「EMN Records」主宰 Emnyeca(右)
連載「堀江晶太が見通す『VRChat』の世界」第4回(前編)
普段は音楽家として活動しながら、VRの世界では“ひとりのユーザー”として『VRChat』を楽しんでいるという堀江晶太。本連載では、堀江の『VRChat』愛、そこで体験したさまざまな出来事、リスペクトする「注目のクリエイター」などについて語っていく。
第4回となる今回は、オンラインを介したバンド演奏やセッションを使う上で欠かせないツール、ヤマハ『SYNCROOM』の開発担当・原貴洋氏を招き、そのツールを日頃から活用するバーチャル音楽コミュニティ「EMN Records」の主宰・Emnyeca(アムニェカ)氏と堀江氏による鼎談を行った。インターネットを介したセッションの歴史からSYNCROOMの誕生秘話、そしてバーチャル空間の身体性と融合したときに生まれる化学反応まで、さまざまなトピックスについて存分に語り合ってもらった。(編集部)
堀江晶太が誕生した地、インターネットを介して行われる“ラジオセッション”
ーー今回の座組で「インターネットを介したセッション」について話をしていく上で、まずは「そもそも昔ってどうやっていたんだっけ」という所を振り返ってみたいと思うのですが、皆さんの中で、インターネットのセッションというとどのようなイメージがありますか? ネット黎明期には匿名掲示板の「セッションスレ」といったものもありましたし、ニコニコ動画の「演奏してみた」などもあり、結構歴史が長い分野ですよね。
堀江晶太(以下、堀江): 僕は、それこそ今挙げていただいた「セッションスレ」が始まりの地ですね。これは当時2ちゃんねるの奥底にあった「オンラインで一緒に楽器セッションしようぜ」といって色んな人が集まっていた場所なんですけど、もはやそこが「堀江晶太の出身地」と言ってもいいぐらいです。
地元が田舎だったので、中学・高校で一緒に音楽をやったりする友人とか、楽器をやっている人とか、音楽スタジオとかもあんまりなかったんです。だけど、どうしても音楽がやりたいなと思っていた時に、それに出会って……という流れです。
ただセッションといっても、昔ってお互いの演奏を聴きながら弾くわけじゃなくて、『ねとらじ』という、いわゆるインターネットラジオのサービスを利用していて、誰かが配信している音源をPCに取り込んで、それを聴いて自分も弾く。そしてそれをまた配信する……という一方通行型のやり方だったんですよ。
——非同期型というか、輪唱型というか……現代にはない不思議な方式ですね。
堀江:僕らはそれを「ツリー」と呼んでいて、これが結構面白かったんですよ。人が多くなってきたときに、そのツリーの下の方にいる人(後から参加した人)の演奏を聴くと色んな音が入っていて、まるでセッションしているかのように聴こえるという。しかも、“そこでしか得られない感覚”がめちゃくちゃあったんですよね。
“一緒に弾いてる風”なんだけど、自分の後の人が何を弾いているかは終わってみるまで分からない。後から一番最後に参加した人の録音を聴いてみると「あ、ここにギターが入ってたんだ」とか「あ、いつの間にか歌う人がすごい増えてる」とか、発見が沢山あって。僕はそういう場所で音楽をずっとやっていましたね。
<ツリー型セッションのイメージ>
【Aさん(ベース)】
┗【Bさん(ドラム)】
┣【Cさん(ギター)】
┃ ┗【Eさん(歌)】
┗【Dさん(ピアノ)】
┗【Fさん(サックス)】
——1発目からなかなかディープなエピソードですね(笑)。
堀江: 今思うと、なかなかエクストリームな場所でしたね(笑)。でも、学ぶこともすごく多かったです。一番上の方で弾くにしても、下の方で弾く人たちを「今この人がこの楽器を演奏しているな」といった形で少し意識してみたり、配信の音を一瞬聴いて「女性のボーカルが歌っているから、歌いやすいキーに変更しよう」とか、そういう読み合いがあって。
で、逆に下の方で後から参加すると全然知らない曲や弾いたことのない曲が流れてきたりするわけですよ。今でこそ、コード進行を載せているWEBサイトが沢山ありますけれど、昔はなかったので本当に勘で弾くしかない。もちろんミストーンばっかりになっちゃうこともありますが、そういう時はあえて弾かないことで“そういうアレンジ”にしちゃうとか(笑)。
でも、そういう少ない情報を元になんとか音楽に仕上げていく練習をそこで沢山させてもらったんだなと、振り返って思いますね。
——たしかに、その当時だからこそ培われる能力ですよね。普通は他の人の音も聴くし、ある種“究極のインプロヴィゼーション”だ……。
堀江:なので、その頃の経験は今もすごく生きていて、自分がミュージシャンとしていろんなスタジオ行ったり、楽器レコーディングやライブに呼んでもらった時に、一番胸を張って言えるのが「引き出しの多さ」で。現場で「面白いフレーズない?」「何か新しいフレーズない?」って急に言われた時に「これはどうですか?」「こういうのもあります」って無限に言える自信があります。
これは本当に、中高生の頃の僕がセッションスレに通って「無限に分からないことを弾く」というのをやっていたお陰だと感じていますね。今でもその当時できた友人とはちょくちょく会っていて、それこそSYNCROOMでセッションをしたり、中には『VRChat』に来た人もいますよ。20年来の付き合いなので、オフ会という感覚もないぐらいなんですが。
——堀江さんの原点というわけですね……。原さんとEmnyecaさんはいかがでしょうか?
ヤマハ・原貴洋(以下、原):私の場合はさらに昔の世代の話になるのですが、打ち込みでMIDIファイルを作って投稿する、みたいなカルチャーが流行っていた時代で。2000年前後だったと思いますが、ネットを介して合作で曲を作る、みたいなことをしていました。
堀江:へえー! それはオリジナルを作るんですか?
原:そうですね、オリジナルです。でも、今でこそ共同制作や合作って、全体の尺を決めて、ある程度方向性を決めて作るじゃないですか。私がやっていたのはもっとめちゃくちゃで、「なんかとりあえずイントロ作ったら、誰か続き作れ」みたいな投げっぱなしの文化で(笑)。
堀江: 面白いですね。今でこそ、色んな音楽家が一緒に制作をすることを「コライト(Co-Write)」って呼んだりしますけど、当時からやられていた。
原:それよりももう少しプリミティブな形ですけどね(笑)。今はワークフローもしっかりしていて、ツールも揃っていると思うんですが、当時は使っているソフトも違えば音源も違うなかで“なんとなく作る”みたいな、ゆるやかな形でした。自分が作ったものを誰かに渡したら、全然想像と違うものが出てきて「あ、こうなるんだ!」というのも含めて楽しむ、みたいな。逆に渡されたものに対して「そう来るなら、自分はこうしよう」と続きを作ったりして。
当時のツールでは限られた表現しかできないし、リアルタイムでもないですが、でも顔も知らない誰かと音楽を作れる、そこで気の合う人と何かをできるというのが、自分の「インターネットと音楽」というテーマに繋がる原体験だったのかなと思いますね。
2000年代の定番音楽サイト 現代の人気シンガーも輩出した『プレイヤーズ王国』
堀江:それこそ、ヤマハもMIDI音源を投稿するサービスをやられていましたよね。もう10年以上前だと思うんですが……。
原:『プレイヤーズ王国(※)』というサービスがありましたね。懐かしいです(笑)。
堀江:それです! 自分で投稿したこともありますし、友人がそこで活動していたりしていて。ヤマハの「XG音源」で再生ができたので、好きな楽曲のコピーとか、オリジナル曲とか、色んなものを聴かせてもらっていました。実際に弾いた音源を録音して投稿している人もいて、上手な人も沢山いたので“憧れの場所”でしたね。
※やなぎなぎは「プレイヤーズ王国」から音楽のキャリアをはじめている
原:今の音楽や動画の投稿サイトと、当時のMIDI投稿サイトで大きく違うところが一つあって、MIDIファイルって、中を見たら「どう打ち込まれているか」が分かるんですよね(笑)。だから、上手な人がどんな打ち込み方をしているのか、とか、ベロシティの付け方はこうしているのか、とか、夢中になって解析して。
堀江:全く同じことをやっていました(笑)。それこそ、昔って結構有名な作曲家さんがご自身のホームページでMIDIファイルを公開している方とかもいて。ある日、大好きなゲーム作曲家の方が公開しているのを発見したときは無我夢中で見てましたよ。「リリースって思ったよりもエッジがある感じのスピード感で終わらせていいんだな」みたいな。
原:そうそう(笑)。スネアはちょっと遅いところに置いてあるのか、とか、ゲートタイムをこんなに長く取っているんだ、とか……そういうのを見てすごく勉強しましたし、インターネットの良さを感じた印象ですね。
堀江:僕も、作曲とか編曲の面でいうと、楽器で学ぶのではなくMIDIの世界から学んだことも多いですね。しかも「スゴい! これ無料で学んでいいのか!?」という出会いが沢山ある世界だったなと思いますね。
コミュニケーション媒介としての「VOCALOID」
——Emnyecaさんはいかがでしょうか? MIDI・DTM畑なお二方とは対照的に、ジャズ出身ということで少し異なる部分も多そうです。
Emnyeca(アムニェカ):そうですねえ。そもそもがジャズの出身なので、「オフライン至上主義」みたいなところから生まれているというか(笑)。デジタルとは一番遠いジャンルと言ってもいいぐらいの所にいたので「インターネットを通じた音楽文化」みたいなものにはあまり触れてこなかったんです。
転換期になったのは、それこそVOCALOIDが流行ってきた時期でした。お二方と場所は違えど「音楽」をコミュニケーションとして捉えるところは同じだと思っているんですが、そういった面や文化形成という観点で興味を持って、後に自身も作曲をする……というのが、広義にはなりますが「デジタルな音楽」との出会いですね。
——てっきりジャズセッションなのかと思っていましたが、そもそもの原体験としてはVOCALOIDなんですね。コミュニケーション媒介としてのVOCALOIDに惹かれたというのは、なにかきっかけがあったのでしょうか?
Emnyeca:一番大きかったのは「piapro(ピアプロ)」と出会ったことですね。私の感覚ですが、VOCALOID文化が流行り始めた当時というのは、音楽と動画やイラストがそれまでよりもさらに密接に結び付き始めた時期だと思っていて。
音楽家とイラストレーターがそういう場所で出会い、協力して一本の作品を作り上げていく、みたいなものに触れたのが、私の「インターネットを通じた音楽文化」の原体験になっています。そうした体験を経て、Emnyecaがいます。