『ポケモン金・銀』で止まっているライターが 『ポケモンZA』で気づいた、“可愛い”だけではない世界

『ポケットモンスター 金・銀』が発売されたのは、1999年11月。筆者が6歳のころだ。同年には映画 『劇場版ポケットモンスター 幻のポケモン ルギア爆誕』が上映され、親と一緒に映画館に足を運んだ(いまとなっては信じられないが当時は立ち見システムというのがあった)。パンフレットも買ってもらい、同封されているルギアのキラカードに「かっこいい……!」と目を輝かせた記憶がある。
そんな映画の影響やルギアのスタイリッシュな見た目に惹かれ、筆者はクリスマスプレゼントに『銀』を熱望した。一緒に攻略本も買ってもらい、布団に持ち込んで夢中で遊んでいた。“ウソッキーの煩わしさ”と“じてんしゃの爽快感”はいまだによく覚えている。
それから約27年。32歳になった筆者は、年末年始の休みを使って久しぶりに新作を手に取り、ポケモンの世界に触れることにした。ポケモンのゲームに触れるのは、あのころ以来だ。
可愛すぎるポケモンたちとの邂逅
始めるときはかなり緊張した。ポケモンの世界にブランクがありすぎるため、ついていけるのかがまず不安だ。いまのポケモンのストーリーがどうなっているのかまったくわからない。いまでもジムリーダーを倒して四天王を倒すという流れなのだろうか。というか知らないポケモンも多すぎるし……。と思っていたのだが、そんなごちゃごちゃした不安はすぐに吹き飛んだ。
というのも、ポケモンが可愛すぎる!!! プレイして最初の数時間はひたすら「可愛い〜!」と言い続けていた気がする。当時に比べて映像技術が上がったのもあるだろうが、現代のポケモンゲームは、バトルをしなくてもいろんなポケモンと触れ合えるのだ。
今回の『Pokémon LEGENDS Z-A(以下、ポケモンZA)』は、「ミアレシティ」というひとつの街が舞台になっている。街には、ポケモンとともに暮らしている人がたくさんおり、連れているポケモンの反応を、なんとバトルをしなくても触れるだけで見ることができるのだ。ポケモンそれぞれの鳴き声や表情、仕草がとにかく可愛い! 筆者はしばらくメインストーリーそっちのけで、道ゆくポケモンと触れ合いまくっていた。
ポケモンといえば“バトル”という記憶が強かったのだが、『ポケモンZA』はバトル以外の側面で、ポケモンたちの性格や魅力を知るきっかけに溢れている。たとえば、カフェに行きたいペロリームについていくというサイドミッションがあるのだが、ポテポテと歩くペロリームが可愛すぎる。カフェに到着すると大量のマカロンを食べて機嫌が良くなるのだが、そんなちょろいところも可愛すぎる。
「なんだこの癒やされるだけのミッションは……」と戸惑いながらも、「君はマカロンが好きなんだね」と、ペロリームの新たな一面を知ることができた。というかポケモンがマカロンを食べることが筆者からすると衝撃だ。かつての『ポケモン銀』では、ポケモンたちの好きな食べ物や、ましてやカフェのテーブルで頬張る姿など見ることはできなかった。
ポケモンと人間の共生
今回の『ポケモンZA』は、“ポケモンとの共生”が大きなテーマとして掲げられている。たとえば、ゴミぶくろポケモンの「ヤブクロン」を、カフェの入り口からゴミ捨て場に連れていくというサイドミッションがある。ヤブクロンは口から悪臭を放つのだが、一方でゴミを食べてくれるという特徴もある。カフェの入り口にいると困るけれど、ゴミ捨て場なら人間もヤブクロンもどちらも快適に過ごすことができる。
プレイヤーは「おいしいゴミ」でヤブクロンを誘い、ゴミ捨て場に連れていくのだが、後ろをついてくるヤブクロンは思いのほか人懐っこくて可愛い。このように、ヤブクロンの生態や性格を理解することで、どうしたら私たち人間と共生できるのかを考えていくのだ。
筆者が『ポケモン銀』をプレイしていたときは、ポケモンはポケモンでしかなく、性格や好きなもの、普段何をして過ごしているのかなんて考えもしなかった。『ポケモンZA』では、同じ世界に生きている生き物として向き合うシーンが多かったように感じる。
共生するためには、まず相手のことを知らなければいけない。『ポケモンZA』をプレイしてすぐの筆者は、ひたすら「可愛い」「癒される」と盛り上がっていたのだが、ストーリーを進めるにつれてその一歩先、ともに生きていく難しさや、可愛がり仲良くするだけがポケモンとの関わり方ではないことを教えられた。
軽い気持ちで始めたが、想像していた何倍も奥深い世界であることを知った今回の体験。ちなみに本記事ではまったく触れなかったが、バトルも本作から新たな要素がたくさん盛り込まれ、よりリアルなポケモンバトルが楽しめる。
ポケモン、いや、ゲーム自体にしばらく触れていない大人も、ぜひ『ポケモンZA』で遊んでみてほしい。ポケモンの世界を作っている人たちがゲームを通して何を伝えたいのか、子どものころの自分とはまた違った視点で汲み取れる“何か”があるはずだ。




























