生傷だらけで自分と向き合うからこそ描けるもの 「カリギュラ」山中拓也が浮き彫りにする“人の心の闇”
ゲームクリエイターの創作ファイル:第9回
リアルサウンドテックの連載「ゲームクリエイターの創作ファイル」では、“ゲーム作り”にフォーカスしてクリエイターたちにインタビュー。その真髄に迫っていく。
第8回では、ジュブナイルRPG「Caligula-カリギュラ-」(以下、「カリギュラ」)シリーズに携わり、現在はフリーでアニメや音楽プロジェクトなどの企画・制作・脚本なども手掛けるゲームクリエイター・山中拓也氏が登場。
メジャーコンテンツで救われない人々を救う作品を作りたいという思いから生まれた「カリギュラ」の特異性や、“人の心”をテーマに扱ううえでの信念、さらにはそんな自身が感じている「生きづらさ」にいたるまでを赤裸々に語ってもらった。(山本雄太郎)
20代でプロデューサーデビューもクリエイターとして葛藤する日々
――大学時代は心理学を専攻されていたそうですが、どのようなきっかけがあったのでしょうか?
山中:カウンセラーを目指していたというか、僕は単に保健室が好きだったんですよ。学校という張り詰めた環境の中で、保健室と保健室の先生に救われていた瞬間があったので。そういう存在になれたらいいなと。だから最初は保健室の養護教諭になれたらいいなと思っていたんですけど、職業について調べていく中でスクールカウンセラーを目指したいと思っていました。
――開幕から山中さんの柔和なお人柄が伝わってくるようなエピソードでほっこりしました。ご経歴も含め、ゲーム業界では珍しい雰囲気をまとっている方だなという印象を受けます。
山中:ゲームを作る人間っぽくないですよね。よく言われます(苦笑)。
――山中さんとしては、ゲームクリエイターらしい雰囲気を持つ方に憧れがあったりするのでしょうか?
山中:もうちょっと威厳みたいなものがあったほうがいいのかなと思ったりもしますね。僕は20代のうちにプロデューサーやディレクターを担当させてもらう機会に恵まれたのですが、一般的には社内で地道に成果を積み上げて40代とかでようやくたどり着けるようなポジションなので。そういった方々と比べると、「やっぱり自分はいまだにゲームを作る人間っぽく見られないよなぁ」という若干の劣等感があります(笑)。
――業界の先輩方からも、愛のある指導を受けたりしましたか?
山中:ありましたね。「ゲームは◯十万本売ってようやく一人前だ」なんて言われたり。いや、大手のゲーム会社ならいざしらず、僕の勤めていた当時のフリューの規模感からしたら勘弁してくださいと返すほかなかったですね(笑)。
フリューはゲーム会社としては知名度も開発規模も小さかったので、苦労した開発人生でしたけど、だからこそゲーム作りに関わるあらゆることを自分でできるようにもなりました。それが今も自分で企画を立ち上げたり、脚本を書いたり、音響監督をやったり、そういった個人能力を磨くきっかけになったのかなと思います。
――個人的には、そういったワンマンアーミー的な多彩さもゲームクリエイターに求められる素養なのかなというイメージがあったので、むしろ“らしい”方に思えてきました。
山中:何でもやれるとなると、それはそれで何をしているか伝わりづらい部分もありますよね。愚直に机に向かっているタイプの方のほうが、僕としては神聖な向き合い方に思えるんです。僕自身は中身も作るし、売る方法も考えるし、人前に出てしゃべったりなんかもするから、作り手として純粋とは言えないんじゃないか……と考えてしまいます。だからこそ、完全にプロデュースだけに回ることはしたくなくて、企画も脚本もディレクションも自分でやる、現場にいるということへのこだわりが捨てられないのだと思います。
クリエイターとして多くを語らず作品のみで語ることへの憧れはあるんですけど、やはり自分でどんどん表に立って発信していかないと知ってすらもらえない時期を長く過ごしてもいるので。そこの折り合いはついているとはいえ、内面的にはずっと悩んでいる部分です。
とにもかくにも、ただ“いいモノ”を作るだけではなく、それの楽しみかたも一緒に発信していくというのが自分のスタイルになっていますね。
売れそうな要素を排除してでも、ユーザーの心に一生残るような何かを
――心理学を学んだ後、ゲーム業界に就職することを決断した経緯について教えてください。
山中:就職活動時に自分はカウンセラーに向いていないということがわかって、「自分の好きなものはなんだろう?」とあらためて考えたときにゲームが思い浮かびました。ゲームは好きだったけれど、作るという発想はそれまでまったくなかったんです。
本当に思いつきだったので格好よく語れることは何もないのですが、運よくゲーム会社に入社できていまに至ります。新卒で入社したのは大阪に本社があるユークスという開発会社で、たまたま四大卒の人材を欲しているタイミングだったようで。ゲーム開発に関して右も左もわからないなか、イチからプランナーとしてやっていくことになりました。とにかく苦労しましたけれど、あの時に心身共に限界まで働いたおかげで馬力がつきましたね。
――これまでのゲーム遍歴のなかで、特に印象的なタイトルを教えてください。
山中:特に印象深いのは『高機動幻想ガンパレード・マーチ』や『東京魔人學園剣風帖』で、当時のゲーム雑誌でいうと『電撃PlayStation』さんが特集していたような作品が好きでした。あのころの作品から受けている影響は大きいと思います。内容ではなく、在り方として、そういうゲームを作っていきたいと思っていますね。
――少しさかのぼりますが、学生時代は同人活動もされていたと小耳に挟みました。
山中:よく知ってますね。大学時代に暇を持て余してやっていただけなんですけどね(笑)。昔から趣味で絵の真似事みたいなことをしていて、授業で使うパソコンからインターネットへの道が開かれ、暇潰しに描いた絵によってネット上での交流が生まれ、じゃあ同人誌のひとつでも作ってみるかと。
当時は本当にただのファンアートで、現在のように何かを考えて描いていたわけではないのですが……。余談として、同じ本に原稿を寄せていた方の中に、現在商業でも活動されている方がいらっしゃいまして。その方が自分の携わったゲーム作品を好きになってくれて、たびたび話題にしてくれているんですよ。僕はハンドルネームだったから僕だけが一方的にその方を認識している状態でして、その方のポストをニヤニヤしながら眺めるのが密かな趣味です(笑)。
――なんとも奥ゆかしいご趣味ですね(笑)。そうした学生時代を経てユークスに入社後、フリューへと転職し「カリギュラ」を手掛けることになるわけですよね。
山中:転職活動を経て入社したフリューでは、当時、オリジナルゲーム開発を推し進めていこうという動きがありまして。それまでは版権モノの作品がうまくいっていたこともあり、オリジナルゲームの開発に手を上げる人は少なかったのですが、国内向けのオリジナル作品に携わりたいと考えていた僕にとっては願ってもないお話でした。
――いまなおファンからの根強い支持を受ける「カリギュラ」ですが、企画した経緯について教えてください。
山中:生意気なことを言うようですが、当時のフリューのものづくりは一種の王道感というか、王道的なゲームの形を踏襲して提供する手法が多かったように感じています。僕としては、限られた開発規模や予算のなかでいいモノを届けたいと考えたときに、そのやりかたは本質的な工夫とは言えないんじゃないかという思いがありました。大きな会社と同じやり方では、やはりリソース勝負になってしまうので丸ごと内包されてしまう。
それなら他のゲームにビハインドがある点は認めつつ、この要素だけは勝つぞというバランス配分にすべきだろうと。そのうえで、自分がやれることはなんだろうと考えたときに、自分のルーツやバックボーンを活かして人間心理や現実の人間への解像度を突き詰めたゲームを作るべきなのではないかということで「カリギュラ」が生まれたんです。
企画全体の構想や設定・展開を自身で考えつつ、『女神異聞録ペルソナ』などに携わった里見直さんにシナリオをお願いしたり、ボカロPの方々にサウンドコンポーザーをしてもらったりしながら、当時のゲームとしては珍しかった“とにかく現実を描く”ことを大事に取り組んで、いま振り返ってみても自分にはこれしかできないと思えるアプローチができたのかなと思います。
――大作ゲームをただ縮小させただけの作りかたではおもしろくないだろうと。ただ特化させるとなるとターゲットが狭まるというリスクもつきまといますよね。
山中:会社勤めの人間としては褒められたことじゃないのですが……僕自身が根本的に“今どれだけ売れたか”にそこまでの興味がないこともあり。売れそうな要素を排除してでも、遊んでくれた人の心に一生残るような何かしらの要素を入れたいという思いもありました。その積み重ねで将来的に会社やブランドを支えてくれるユーザーが生まれるものだと思っていたので。
一種、逆張りに近い思考だと思うんですけど、そういった自分のなかの面倒くさい思いを正直に表現したら、たまたまマーケットの空いている隙間に入り込むことができたんだと思います。いまだからこそ格好よく分析もできるとはいえ、たぶん偶然の部分が多かったと思います。
いつか訪れる“その時”を見据えつつ、最適化が進む時代へと抗う
――当時はオルタナティブな立ち位置のゲームだった『カリギュラ』ですが、たとえばそうしたものへの憧れを持つZ世代に対してなど、いまの時代ならばより広く求められる作品なのではないか、とも思ってしまいます。
山中:そうかもしれないですよね。ただ、仮に今作るとしても「カリギュラ」というゲームは時代に合わせて変えていかなければならないと思っています。たとえば初代は“人の心の闇”のような刺激的なモチーフが多く、続編を作るとなった際に「より刺激的で残酷な物語を見せてくれるんでしょ?」と期待を寄せてくださった方は多かったのですが、そこに迎合する気は一切ありませんでした。
大前提として「カリギュラ」もエンタメ作品ではあるのですが、人の心を描くからこそ、そこに潜む闇をキャッチーに誇張したり、「残酷でしょう?」と見せつけることは一番やってはいけないことだと思っていて。残酷勝負は他のコンテンツに任せて、「カリギュラ」にしか描けないものを描いた方が意義がある。
だから『Caligula2/カリギュラ2』をつくるにあたってはその時代にあわせてトレンドの少しだけ先取りのテーマを選びました。たとえばジェンダーの問題を描くとしても表面的にならないように、むしろ当事者からすれば「多様性だよね」と社会的な理解が進んだからこそ生まれる表面的な理解を受けることが一番しんどいよね、というところまで「カリギュラ」ならば踏み込まねばならないなと思って組み立てていきました。
エンタメとしては、すでに流行りきったものを描くのが正しいんですけどね。みんながわかるものじゃないと共感もできないですから。そういう意味では一歩早いテーマを扱うから作品としては正しいけれど、商品としては良くないんですよ。ただ、大衆の理解を一番に狙わない存在であり続けることが「カリギュラ」を「カリギュラ」たらしめているし、その姿勢こそが「カリギュラ」ファンへのお返しだと思っています。毎回「こういう感情があったか……」と言わせる義務がある。
――そう聞くと、本当に大変な在りかたをしているゲームですね……!
山中:シリーズを好きだと言ってくれている人のことほど、期待を外していかなければならない。ゲーム開発には長い時間もかかりますから、発売されるころの“現実”に即したお話を書かないと薄ら寒いものにもなってしまいますし……。
形だけ踏襲した続編をつくることもできますけど、僕は独立したがゆえに自分が作るものを選べる――ということは逆に作らないことも選択できるわけで。描くべき内容やそれを表現できる環境が噛み合ったときに作るべきだと思っています。
――ファンの期待に答える……もとい、期待を外すためにも機が熟すのを待つと。そこまでこじれていると、ファン心理としても「続編が出ないのはまだ時代が追いついていないだけ」的な受け入れられかたをしていそうですね。
山中:勘違いされがちなのですが、そもそもフリューの作品なので僕の一存でどうこうというものではないのは前提として(笑)。おっしゃるとおり「いまはまだ描くべきことがないんだな」と思っていただければいいのかなと。
――「カリギュラ」シリーズを制作される中で、山中さんご自身は人の心や物事の見えかたや考えかたに変化はありましたか?
山中:ありましたね。「カリギュラ」を作るおかげで「カリギュラ」を作ることがどんどんうまくなっていったのは、自己理解が進んだからだと思います。僕のなかで、キャラクターを生み出すことは“自分の欠片”を少しずつ渡していく行為だと思っていますし、ゆえに自分の気持ちとは常に向き合い続けなければなりませんでした。
最初と現在とでは自分というものへの理解も大きく進んだので、本当に「カリギュラ」に育ててもらったという感覚です。教科書的すぎる表現かもしれないですけれど、ものづくりというのは自分と向き合う作業であるがゆえに、自分のためにもなるのだということを実感しました。自分は何が好きで嫌いか、何にこだわり、何を捨てられるのかがすごくハッキリしました。それは別の作品を作る上でも間違いなく自分の柱になっています。
――そうした強い信念をまっすぐに、受け取り手のことも考えすぎなくらいに考え抜いていった結果、刺さる人にはとことん刺さるゲームとして「カリギュラ」が根強い支持を受けているのだと想像します。一方で、制作スタッフのみなさんにそうした思いを理解してもらうために苦労したことなどはなかったのでしょうか。
山中:僕はもともと個人のクリエイターさんと組ませてもらうやりかたが多かったので、そういった方々って商業主義的なものに対して、自分と近しい考えかたを持っているものなんですよね。最初から共鳴しあえる人とチームを組織できていたことは特徴かもしれないです。
たとえばキャラクターデザインでいうと、よくシルエットだけで性格も含めて判別できるデザインが素晴らしいとされていますが、あえてそういう記号化を排除しました。現実にいる人間って外見だけで内面までわかるものではないでしょうと、わかりづらいものを作ってみたり。わかりにくいからこそ、わかったときには忘れないと思っているんですよね。
セリフ回しについても説明的というか、いちいち相手の名前を明言したり、毎回主語が整っていたりするというのは現実の会話と比べたら不自然だし。極端な話、相手の呼びかただって気分によって変わっていいはずだろうと。
もしかしたら受け取り手からすると別に気にしない部分かもしれないけれど、僕はそうしたちょっとした違和感みたいなものも気持ち悪いと思ってしまうんです。
そうした創作におけるお手本に対してのひっかかりのようなものを自分もみんなも持っていたし、僕はそんな方々と巡り会えた運と、彼らを集めてチームとして整合性を取るという能力があったから、結果として他の作品にはできないようなことができたと思っています。
――日常のなかに気づきというか、気になってしまうことが多い方なのかなと想像しますが、自分の“嫌い”に嘘をつけない性格も含めて生きづらいなと感じることはありますか?
山中:そうですね。自分の中の“地雷”がものすごく多いので、ほかの人が気にせずやるようなことでも自分はそういう振る舞いをしたくないなとか。一例をあげると、SNSの投稿がバズった後に、自分の宣伝をするのとかなんとなくやりたくないなぁとか思いがちなんですけど。
そういった小さな“嫌い”を認識することが自分をより深く知ることにつながってもいて。自分を知ることで生きやすくなる部分もあれば、生きづらくなる部分もあるわけなんですが、恥を忍んで地雷の上を歩くことに向き合う日々を送っています。大なり小なり傷をつくりながら、しかも大多数の人にとっては傷と思わないものすら傷として向き合っていく人生ですね。
――山中さんの創作において、自分の“地雷”を一切踏み抜いてこないようなものを作るというのはひとつのテーマだったりするのでしょうか?
山中:そうかもしれないですね。もしくは、自分の中の“地雷”を踏み抜いていること自体を描くか。踏み抜いた痛みみたいなものを。
――その痛みにまで真摯に向き合うのであれば、それもまたひとつの解だと。
山中:だから、いつだって僕の書くお話は小さいんですよ。言ってしまえば地味だし、共感できる人も多くはないでしょう。けれども、「魔王を倒して世界を救う」といった大それたお話が他人事に感じられて共感できない人なんかには刺さるかもしれない。
いただく感想を眺めていると、現実と戦っている人に刺さることが多いですね。小さな欺瞞や自己矛盾に耐えたり、あるいは目を逸らしたり。「あのときのアレ、ムカついたなぁ」くらいの小さなお話を、本来は小さなお話ができないはずのゲームやアニメという媒体でやらせてもらうことに存在意義があり、生かしてもらっているような感じでしょうか。
――ゲームらしいゲームを求めている人には刺さらないかもしれないけれど、裏を返せばゲーム自体を求めていない人にすら刺さる可能性があるとも言えますよね。
山中:だから、実際は存在しないターゲットに対して弾を打ち続けているのかもしれないんですけれど、それでも僕は、むしろそういう作り手はいたほうがいいなと思うんです。僕が好きだった時代のPS1のゲームってまるでそうだと感じさせてくれるものが多かったじゃないですか。正解じゃないものも、存在がなくなってはならない。
ゲームユーザーがよろこぶゲームばかりを作るというのは、商業的には正しいけれど芸術分野としてはいいことなのかな? とひっかかってるのかもしれないですね。いまのゲーム業界は最適化がうまくなりすぎているからこそ、僕のようにロジカルじゃないものを残すことに踏ん張る人がいてもいいんじゃないかなと。