5人の識者が語るARGの進化史と、ポスト真実の時代における“ゲームと物語のあり方”

5人の識者が語るARGの進化史と、ポスト真実の時代における“ゲームと物語のあり方”

 ARG(Alternate Reality Game)というエンターテイメントがある。日本での知名度は今ひとつなところがあるが、アメリカでは映画やゲームの広告宣伝手段としてしばしば利用され、ときに大きな反響を生んでいる。

 ARGは「現実のすぐ裏に、現実と重なる物語がある」体験がそのスタート地点にある、しばしばにしてマルチメディア・トランスメディアなエンターテイメントだが、実際に「ARGとは何か?」ということになると、専門家でもなかなか答えに困る問いとなる。

 そこで今回はAI研究者・三宅陽一郎氏の提言に則り、ARGに詳しいクリエイターを招き、ARGの歴史や定義はもちろん、コロナ以降のARGや未来のARGという点についても大いに語ってもらうことにした(ちなみに三宅氏はユリイカ2020年6月号に寄稿した「デジタルゲームの地図をめぐって」でARGにも言及しようとして紙幅の都合で果たせなかったこともあり、今回の企画の発起人となっている)。

 3時間を越える長時間かつ濃密な座談会の模様をお届けしたい。

城島和加乃:E-Pin企画代表。1987年から続く「ミステリーナイト®」など、数々の参加型ミステリー・体験型イベントの先駆けとしてミステリーと旅をテーマに活動を続けている。ミステリー関連の活動はイベント制作のみならず、出版、ゲーム、シナリオ、評論に及ぶ。日本旅行作家協会会員、本格ミステリ作家クラブ会員。

石川淳一:1987年 (株)システムソフト入社。『大戦略』シリーズ、『天下統一』シリーズなど30タイトル以上のゲームデザイン、ディレクター、プロデューサーを歴任。1999年独立し、(有)エレメンツとして他社と共同でさまざまなゲーム製作に従事。ARG(代替現実ゲーム)にも積極的に取り組んでいる。「ARG情報局」編集人。

三宅陽一郎:ゲームAI開発者、立教大学大学院人工知能科学研究科特任教授、九州大学客員教授、東京大学客員研究員。IGDA     日本ゲームAI専門部会設立(チェア)、日本デジタルゲーム学会理事、芸術科学会理事、人工知能学会理事・シニア編集委員。著書『人工知能のための哲学塾』 シリーズなど多数。

竹内ゆうすけ:ラ・シタデールLLC. 代表、IGDA日本監事。アニメーション業界やITベンチャーを経て2009年に独立起業して以来、ARGをはじめとした体験型エンターテイメントの制作やコンサルティングに携わっている。「3D小説 bell」の体験型施策の企画制作などを担当。

えぴくす:ゲーム開発者。2009年頃にARGの魅力に取り憑かれ、本業のデジタルゲーム開発の傍ら、ARGの普及・啓蒙活動を行う。「3D小説 bell」のデジタル領域の新奇な仕掛け全般を担当。「ARG情報局」創設者。

——本日はお集まりいただき、ありがとうございます。長くARGの制作や研究に携わってきた皆様に、その歴史や未来のビジョンについてお話を伺えることに興奮しております。本題に入る前に、まずは簡単な自己紹介からお願いできますでしょうか?

石川淳一(以下、石川):福岡でビデオゲームのゲームデザイナーをメインの仕事としています。ARGについてはIGDA日本のSIG-ARG(ARG専門部会)のセミナーに参加してその存在を知り、それ以降はときどきARGを作りながら勉強もしてきました。現在、何の因果かSIG-ARGの世話人をしている他、ARG情報局という情報サイトでも執筆しています。

城島和加乃(以下、城島):現在はE-Pin企画の代表をしています。「ミステリーナイト」という観客参加型演劇を日本で最初に行いまして、これは「役者がいれば、それはどこでも劇場になる」という寺山修司的なコンセプトで、ホテルとコラボして演劇と推理を楽しむという企画でした。

 当初は劇団東京乾電池のイベントプロデューサーとして「ミステリーナイト」を担当していたのですが、20年前に参加型ミステリーイベント専門会社としてE-Pin企画を立ち上げ、それからはさまざまな手法で参加型イベントの企画を行っています。今は「日本のインタラクティブ」ということについて研究していまして、参加型における心理学的な側面も色々と研究しているのですが、まだ道半ばどころか「これって人生が尽きるまでに終わるのだろうか?」と感じているところです。ちなみに弊社HP上にはラビットホール的なものを集めたものがありますので、何かの参考にして頂ければ幸いです。

竹内ゆうすけ(以下、竹内):石川さんの前にSIG-ARGの正世話人をしていた者で、今では合同会社ラ・シタデールというARG制作会社の代表を務めています。ARGを知ったきっかけは、えぴくすさんの大学の先輩・後輩だったというのが主な理由ですね。これは面白いと思って実際の制作にも携わり、『3D小説 bell』の現実側における仕掛けを担当しました。

えぴくす(以下、えぴ):本業はデジタルゲームの制作をしています。個人の活動として、2009年に、ARGという新しいエンタメの普及・啓蒙を目標としてIGDA日本でSIG-ARGを八重尾昌輝さんと私とで立ち上げ、ARG情報局というブログでARGとその周辺についての情報発信を行ってきました。日本での現在に続く体験型エンターテイメントブームが花開くのは2010年代で、2009年当時は、まだリアル脱出ゲームのSCRAPさんもあまり知られていなかった時代です。

 その後、本業が忙しくなったのでSIG-ARGは竹内さんらにバトンタッチし、ARG情報局は石川さんがメインとなって動いてもらっています。作り手としてもARGを何作か作っています。代表作といえるのは、『3D小説 bell』でのデジタルとアナログの境界を使った仕掛けでしょうか。遊び手としてはたぶん日本で一番ARGプレイ時間の長いプレイヤーで、国内のARGと名のつくものにはほぼ参加しています。

三宅陽一郎(以下、三宅):普段はAIの開発をしています。物語形成や現実とデジタルが交錯するところに興味があり、2009年くらいから今回の座談会の参加者に教えてもらいながら、後ろについて参加してみたり、ときどきこの4人の運動に参加させてもらったり、という状況です。ARGを作ったことはないのですが、いつかは作りたいと思っています。

――さて、本日の座談会はARGがテーマということなのですが、特に現状、新型コロナウィルスの流行に伴いリアルイベント実施が難しくなっているという新しい問題が発生しています。その一方でネットを介してリモートでイベントに参加するといった、新しい試みも行われています。このような状況は、我々に「場所の持つ意味」を再考させるきっかけとなっていますし、また場所の持つ力と物語の力の関係性についても改めて考える機会となっているように思います。

ということで、今回のメインテーマは「コロナ以降のARG」なのですが、ARGという概念は日本ではそこまでメジャーというわけでもありませんので、まずはARGの歴史からおさらいしていきたいと思います。

えぴ:まず最初に言っておくべきことは、ARGのARはAR技術のARとは違う、ということでしょうか。AR技術のARはAugmented Reality(拡張現実)ですが、ARGのARはAlternate Reality(代替現実)、つまり「現実世界に重なるもうひとつの現実」というニュアンスを有しています。というお約束的なことを述べたうえで歴史を振り返ってみます。

 世界的に見たとき、ARGの始祖となりますと2001年、スピルバーグの映画『A.I.』のプロモーションとして行われたのが最初と言われています。これは「The Beast」と呼ばれるもので、ラビットホールと呼ばれる物語世界への入り口が、映画ポスターのスタッフ一覧に「Sentient Machine Therapist」という謎の肩書きがある、という形で仕込まれていました。ざっくり訳するなら「AIセラピスト」でしょうか。

 この「Sentient Machine Therapist」って何だ? と違和感を感じた人がネットでスタッフ名を検索してみると、その人はどこかの大学の先生だということが分かるのですが、その先生の書いた論文の発行日付はぜんぶ未来のものになっているんですね。かくして「この人は現実の人ではなく、未来人なのでは?」という疑念が生まれ、そこからAIにまつわる未来の殺人事件の物語がスタート。3ヶ月の期間の間に、数十のWebサイトと100近いパズルが次々と明らかになり、時には電話や電子メールで登場人物たちとやりとりする……という、映画『A.I.』の世界観を知ってもらうための大がかりなプロモーションが「The Beast」でした。

 このように、現実と重なったところにあるかもしれないストーリーがあり、それを体験していく参加者がいる、というのが、ARGの大体の構造と言えます。ただARGという概念は後付けでして、「The Beast」に衝撃を受けた人たちが「この新しいエンターテイメントに名前を付けよう」ということで生まれた名称がARGなんです。つまり「ARGとはThe Beastみたいなもの」というのが、生来の定義だったんですね。でもそうやって名前がつけば、逆順で「俺もARGを作りたい」「私もARGを体験してみたい」というユーザー層が生まれ、かくしてさまざまな試みが始まっていったわけです。このようにして生まれたのがARGなので、定義をひとつの定めるのはなかなか困難です。関係者ではしばしば議論になるんですが、結論がでないんですね。

 ともあれそうやって生まれたARGですが、国内でこれが大きく注目されるようになったのは2007年、映画『ダークナイト』のプロモーション用のARGである「Why So Serious?」がきっかけかと思われます。

 このARGは全世界で参加者1千万人以上という大人気を博しまして、カンヌライオンズのサイバー部門で金賞を獲得しました。かくして2008年には国内でも広告代理店をふくめた盛り上がりが生まれ、大手代理店の社内では当時色々と研究されていたそうです。また、この時期、慶應義塾大学の武山政直先生の研究室でもARGが専門で研究されていました。これはつまり「海外で受けているナウいプロモ手法であるARGを、日本でもやってみよう」という話であったと言えます。

 海外ではその後、ARGが世界観プロモーションの手法として定着していきました。TVドラマの新シーズンや長期運用のデジタルゲームの新バージョン登場時など、コンテンツの本体で新しい動きがあるときに、ARGを使って先行して盛り上げるというのが定番のやり方になっていったんです。でも日本では、そうはなりませんでした。端的に言って、「ARGはそれ単体でマネタイズすることが難しい」ことが、強く影響したからです。

 前述の通り、ARGはARGという概念が先にあったのではなく、「現実のすぐ裏に、現実と重なる物語がある」という強烈な体験としてスタートしました。「The Beast」の体験者は、この体験に魂をわしづかみにされたんです。だから初期のARG信奉者は、ARG原理主義が多数を占めていました。それを象徴するひとつの言葉がTINAG(=This Is Not A Game)で、これはARGを初期から信奉している人たちの合い言葉です。

 とはいえ「ARGはもうひとつの現実を楽しむものだから、作り物とは言ってはいけないし、ゲーム中では現実として扱うべし」というTINAG原則に則ったスタイルは、刺激的ではあるんですが、広がりを作るのが難しく、ビジネスとして普及しにくい構図だったりします。そうなると「じゃあなぜARGの先端性(=TINAG)を重視したアレとかコレとかが成功したのか?」という疑問が生まれるわけですが、この理由は簡単で、成功例の背後にはハリウッドの無尽蔵な予算があったからです。彼らはマネタイズとかを考えなくて良かったんですね。

 でも日本国内には、そんなカネはありません。予算がない中で手法だけ海外の尖ったARGの真似をしてもリーチが広がらず、マネタイズにしても強い構造が生まれない。少しお金をかけて挑戦した例「トヨタ×電通 ヴィッツARG」もあったんですが、短期間だったこともあり、ユーザーの獲得には苦戦する。国内のARGはそんな状況になっていきました。

 ですが2010年代に入り、国内ではSCRAPさんの『リアル脱出ゲーム』がブレイクします。Webで主にFlashゲームとして広く流布していた脱出ゲームを、リアルで60分で体験できるというこのエンターテイメントは、大変にすぐれた仕組みを有しています。参加者は自分で状況を体験しているかのような興奮を味わいつつも、そこには60分という明確な区切りもあれば、マネタイズもまた「参加費」という分かりやすいものです。かくして「自分のままで物語に巻き込まれる」という体験型エンターテイメントとして、日本ではARGよりも、リアル脱出ゲームが広まっていったわけです。

 「リアル脱出ゲーム」、言い換えれば「体験型の謎解きゲーム」は、フォーマットとして作りやすいものでもありましたから、その後もフォロワーは増えていきました。体験型エンタメを作りたいという意思を持った作り手を引き寄せ、制作者の大きなコミュニティが生まれ、ひとつのジャンルとして成立し、成熟していきました。

 成熟の結果、この3〜4年は「謎解きゲームという枠から外に出よう」という制作者の動きが見られ始めました。謎解きだけではなく、参加者が自分の体験として、さまざまな経験ができるエンタメを模索し始めたんです。これにより『のぞき見カフェ』のように、隣接領域に謎解き制作経験者が伸びていくという現象も生まれました。これは日本国内だけの、面白い状況です。

 しかるに、そこに対して新型コロナウィルスが強い制約条件となりました。「会場に集まれない」という制約が強く生じたわけです。しかし、元々新しいエンタメを作ろうという気質の強いジャンルですので、現状では、この制約を活かしつつ、どうしたら自分たちの強みを活かせるかの模索が進んでおり、ここで新しい体験型エンタメが生まれつつあると言えます。

城島:リアル脱出ゲームのヒットで、体験型エンターテイメントの作り手が増えたのは大きかったですね。面白いのは、「世界が狭くなった」ということでしょうか。日本でも客席と舞台をインタラクションさせるイマーシブシアター(体験型演劇作品)をやろうという試みは増えていますが、この大きなきっかけは『Sleep no more』(ニューヨーク初演:2011年)を沢山の日本のプランナーが体験したことにあると思います。でも「Sleep no more」という作品があるという情報や、「どうやらこのようなものらしい」という情報は、ネットでの情報共有なしには得がたいものです。

石川:イマーシブシアターのような形式は、昔からあったのですが、いま活性化した理由は、『Sleep no more』のヒットももちろんあるのですが、ビデオゲームなどの双方向性のエンターテイメントが一般的になって、その刺激が演劇界にも波及したという側面も大きいと思います。実際、このようなエンタメの相互作用というのはARGでは特に顕著で、ARGの歴史を追っていると、色々なエンタメが相互に作用しまくっているのを感じます。ARGの原型となった『オングスハット』を作った人は、フライングバッファロー社のPBM(Play by Mail、郵便を通信手段として行うネットRPG)の影響を受けていたりしますし。

 リアル脱出ゲーム系の謎解きゲームでもストーリー性が強くなったり、トランスメディア・ストーリーテリングを試みたり、ARGが持つ要素を上手く取り込んだりと、さまざまな試みが見られます。逆にリアル脱出ゲームや謎解きゲームを他のメディアが取り込んでいくということも起こっていくでしょう。

――PBMといえば、日本では代表的な作品として『蓬莱学園』があったように記憶しています。

えぴ:その点については、98年頃の蓬莱のプレイヤーでもあったので私が補足しますと、ARGは色んなエンタメがやろうとしてきた要素を内包しています。PBM『ネットゲーム90 蓬莱学園の冒険!』は1年かけて数千人で物語を紡いでいくという点で、ARGに繋がる大規模参加型物語体験の要素を持っていました。さらにその前身となる『ネットゲーム88』というPBMは、古事記など現実の文献を読み解き、リアルイベントは記者会見などの体をとっているなど、これはもうARGだなという内容だったと聞きます。

 また、TRPGという文脈でいえば、最初のARGのプランナーJordan Weismanは、TRPGの名作『バトルテック』や『メックウォーリアー』のデザイナーでもあります。     

 会話と想像力で物語が展開していくTRPGでは、ユーザーがどんな行動を取るかは、高確率でGMの予想を超えてくるんですね。そうやって逸れていく道筋を、どうGMが意図した筋道に戻すかは、TRPG業界にノウハウの蓄積があります。

 そう考えると、ARGをTRPGデザイナーが作ったのも、「コントロールできる」という目算があったのではないかと思います。最初と、最後と、ウェイポイントの設定で、全体の流れをコントロールしつつ、ユーザーの自由な発想を取り込みながらの即興演劇。そこはまさにTRPGのノウハウですね。

 「参加者が当事者となって架空の話を楽しむ」というアイデアは昔から色々な     形でありました。TRPGやPBMはその典型といえるでしょう。これがネットと触れてARGが生まれたというのは重要なポイントです。TRPGはテーブルを囲んで直接会話できる距離で物語体験を生み出すエンタメで、PBMはその距離がもっと広がり、より広い層に共同幻想を広めました。これがネットと出会うことにより、距離制限が消え、参加者数上限も消え、もうひとつの現実をより広くシェアできるようになったわけです。

 ただ、2001年には、まだスマートフォンがありませんでした。これは現代との大きな違いで、現代は現実の世界に重なるもうひとつの現実をより重ねやすくなっています。というのも、デジタルメディアはフェイクを紛れ込ませやすいからです。現実世界に架空のものを混ぜるのはとても大変なのですが、デジタルの記事や動画は簡単に架空の情報を混ぜ込めます。スマートフォン、そして来たるべきARデバイスの普及によって、ARGはこれからもっと面白くなるのでは、と感じています。

竹内:ARGの定義が定まらないのは、この「ネットとの出会い」という成り立ちのせいだとも思っています。えぴくすさんのおっしゃるとおり、ARGは、使える・普及した技術が増えるたびに可能性を拡張していき、「最適なゲームデザイン」も変容していく性質があるので、言葉で分かりやすい定義を定めることが難しいんです。個人的には、ARGと便宜上ラベルを付けているものの、その本質は「技術革新によって前時代には予算的・物理的に実現できなかったエンターテイメントの可能性」なのではないかと考えています。

城島:とはいえデジタルメディアを使って「フェイクを紛れ込ませる」というのも、慎重にやらなくてはならないですよね。実際、フェイクと一口に言っても、本当に悪意のあるフェイクニュースから、演出としてあたかも本当のように見せているWebサイトまで、色々あるわけですが、後者が前者として取り違えられたときのリスクは非常に高まっています。

 また、フェイクの使い方にも、2つの入り口があります。「本当のように作って驚かす」方向と、「フェイクと分からせつつ、その気にさせる」方向ですね。そこを作り手がどう定義して、どう楽しませるか。これを間違えると、とんでもない批判につながりかねません。「上手に作れるからやっちゃった」では危険だし、なにより参加者をガッカリさせることになりますよね。

えぴ:ご指摘通り、ARGでは細かく気にしなくてはならないものがあります。例えば数年前にインサイドで「ゲームライターが失踪した」という記事が出ました。これ、実際に記事を読んでみるとあちこちに違和感があって、読む人が読めば「ああこれはラビットホール(=ARGの入り口)だな」と分かるんですが、それでも体裁としては「失踪した」という情報なので、どうしても心配になるわけですよ。しかるにその後、「フェイクだ」と分かった途端に批判が湧き上がって、謝罪という流れになりました。

 このARGはデジタルゲーム『Caligula -カリギュラ-』のプロモで、ゲームの設定や世界観につながる構造ではあったんですが、「失踪した」というキーワードは強すぎました。また「失踪したライターのメンタルが不安定だった」みたいな表現も、精神疾患への偏見を助長するものとして、不適切だったと言えます。

城島:人間の感情と距離感をどれくらいに設計するかが大事ですね。そのフェイクニュースをフェイクと知らずに見た人は、感情や時間を「使う」んです。そしてそうやって使った感情や、使った時間(=考えた時間)に対して、ガッカリしたり、喜んだりします。だから人間の心に対しどうアプローチし、どれくらいの距離をとるかが、すごく大事なんですが、プランナーは「どこまでだませるか」をやりたくなっちゃうんですよね。

えぴ:幸か不幸かARGには失敗事例が色々ありますから、そこは蓄積と参照が必要ですね。例えば、多くのARGが「未来からのメッセージ」「宇宙人からのメッセージ」といった明らかにフィクションと分かる要素を入れるのも、配慮の一環です。

 これがテレビゲームであれば、ゲームはゲームソフトの中で完結します。あるいはクラシックな演劇であれば舞台の上で完結します。「ゲームソフトの中」「舞台の上」が、物語と現実の境界線になっているわけです。でも体験型ゲームはマジックサークル(=ゲームの範囲)が分かりにくいことが多いので、フィクションの空間がどこからどこまでか、というのを伝えないといけません。これが体験型ゲーム固有の必要となる配慮で、私がアドバイスを求められるときはこの点に言及するようにしています。

竹内:「Why So Serious」型の「狭義のARG」をやろうとすると、そのバランス調整が難しくなるんですよね。プレイヤー側も「ゲーム期間がどの程度で、参加にどれくらい時間と情熱をかける必要があるのか」が明示されない状態だと、コミットするか否かの判断をしづらい。リアル脱出ゲームが優れているのは、興行形式になっているため、チケットをもぎられてからゲーム終了までが「物語=もうひとつの現実」の境界となっているというのが、誰の目にも分かりやすいという点もあると思っています。「ここの中では何が起こってもOK」という現実と仮想の境界線が明白に組めて、マネタイズもしやすいんですよ。もっともその代償として、代替現実感は狭義のARGほどには高くならないのですが。

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