ボカロ文化は“一過性の流行で終わらない” kemuが『プロセカ』4周年アニバーサリーソングに込めた想い
2024年9月30日にスマホ向けリズム&アドベンチャー『プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク』(以下、プロセカ)が、4周年を迎えた。
毎年恒例の周年記念楽曲で賑わいを見せる『プロセカ』だが、今年の4周年アニバーサリーソング「熱風」は、2020年7月にDECO*27とのタッグで書き下ろしたテーマソング「セカイ」の提供以来、『プロセカ』と縁のあるボカロP・kemuが、作詞・作曲を手掛けたことでも話題だ。
エネルギッシュなバンドサウンドとは対称的な音色の静けさに隠れる感情の真意を、kemuに訊いた。現在に至るまで、kemuは、『プロセカ』に何を想い、4周年アニバーサリーソングにどのような願いを託したのか。
■堀江晶太(kemu)
作詞作編曲家、演奏家。
ボーカロイドクリエイター「kemu」として2011年から楽曲制作活動を行う。
また、5人組バンド「PENGUIN RESEARCH」のベーシスト、プロデューサーとして2016年のメジャーデビューから活動中。
アニメシーン、インターネットシーンを中心に作詞作編曲家、演奏家、プロデューサーとして多くのアーティスト、作品に携わる。
――DECO*27さんとの書き下ろしテーマソング「セカイ」の制作が始まる前に、kemuさんは『プロセカ』についてどのような印象を持っていたのでしょうか?
kemu:まず、デコさん(DECO*27)のチームから「セカイ」の楽曲制作のお話をいただいたんです。新しい音楽ゲームに、こんなキャラクターが登場して、初音ミクたちバーチャル・シンガーもストーリーに加わって、一緒にボカロ曲でコラボレーションしていくという構想を聞いた時は、「水と油を合わせることみたいで、うまくいくんだろうか?」と、率直に思いました。
僕にとってボカロ文化は、聖域のような存在なんです。迂闊に踏み込んではいけない、恐れ多いものというか。だからこそ、ゲームの中にボカロが組み込まれる上に、オリジナルストーリーまであるとなったら、ボカロを深く愛しているユーザーの方々の中には、僕と同じように少なからず抵抗を感じる人もいるだろうと。そういう感覚がずっとありました。
本当に意味のある融合をしないと、受け入れてもらえないでしょうし、「ただ有名な初音ミクの名前を使えばいい」という安易なやり方では、ユーザーはすぐに気づいてしまう。自分も、すぐに気づいてしまうだろうと。
もちろん、信頼できるメーカーさんからのオファーで、「ちゃんと考えて作ってくれるだろう」という安心感もあったので、「嫌だな」とか「うまくいくかな」といった心配よりも、違う文化を掛け合わせて面白くしようと挑む姿勢に「すごく高い山に登ろうとしているな」という印象が強かったですね。
――その懸念は、制作を進める中で変わっていった?
kemu:そうですね。初めてシナリオなどを読ませていただいた時に、「これは、大丈夫だ」と思った瞬間があったんです。懸念は、ある意味杞憂だったんだなと。
新しい世界として成立するように作られていることがわかりましたし、その後、リリースされてから、実際にプレイしている人たちを見たり、自分でもプレイしてみたり、公式で公開されているストーリー映像を観たりするうちに、「これは新しい場所として素晴らしい方向に向かってるな」と、段階的に納得していったというか。『プロセカ』だから、という理由で愛されて、ひとつの場所として育っているんだなと実感しましたね。
――各ゲーム要素が独自の存在感を持ちつつ、どの要素も本来の良さを損なっていないところが『プロセカ』の魅力でもあると思います。
kemu:いろんな要素を組み合わせる時、それぞれの要素がしっかりと調和していないと、どうしても中途半端な印象になってしまいます。『プロセカ』は、そういった難しさを乗り越え、丁寧にミクスチャーを高次元で実現し、面白いと思える作品になっていると感じました。
――そういった『プロセカ』の様々な要素を融合させる試みは、ご自身の楽曲制作と重なったところもあったのでは?
kemu:そうかもしれません。何もないところからメロディを生み出して周りを驚かせたり、ギター1本と歌だけで、誰も聴いたことのない感動的な音楽を生み出す才能のある人たちがいる中で、僕はどちらかというと、器用貧乏と言われるタイプでした。
当時、僕が作ったKEMU VOXX(kemuをコンポーザーとする、2012年に結成された4人組クリエイターユニット)の曲は、自分が好きだったゲーム音楽の影響を受けていました。RPG、スーパーファミコンや初代PlayStation〜PlayStation 2時代っぽい打ち込み音源をよく使っていて。人間が演奏することを前提としない、機械が生み出す無機質さと高揚感。そして、自分が好きな生身のバンドサウンドのロック。この3つを組み合わせたらどうなるんだろう?と思って、ただ組み合わせるのではなく、自分の中に落とし込んで、理解と愛情と自分なりの誇りを持って混ぜ合わせた。そうすることで、自分らしい作品が作れることに気づけたのが、当時の僕のボカロ曲でした。
どうしたら自分らしさが表現できて、自分が創作する理由を自分で納得できるか、20代前半はそのテーマとずっと向き合っていたので、『プロセカ』が、そういった融合を大規模なプロジェクトとして実現しようとしているのを見て、「応援したい」気持ちがずっとありました。
――『プロセカ』は今、ボカロシーンの重要な一翼を担っていると思いますが、その点について、どう感じていますか?
kemu:ボカロ文化への影響は、大きく分けて2つあると思っています。1つは、既存曲が新しい場所で、新しい感覚で再注目されていること。僕の作った曲も、『プロセカ』で知ってくれた人がたくさんいると聞きますし。
リバイバルの現象はボカロ文化でもいずれやってくると思っていたんですけど、想像していた以上に早かった。ボカロの歴史は20年にも至っていない。1つの音楽の歴史としては、すごく短い期間じゃないですか。そんな短い期間で、昔の楽曲に再びスポットライトが当たる循環が生まれているのは、スピード感のある文化だからこそだなと改めて思いました。
もう1つは、新しいクリエイターたちに夢を与えていること。彼らが「この曲を『プロセカ』で使ってもらいたい」という目標を持って楽曲制作に取り組める場所が生まれたことは、すごく大きな意味があると思っています。
自分も最近、若手の育成をしていて、新世代のボカロPと話す機会が多いんですね。その中で、「『プロセカ』に楽曲提供したい」という夢を持っている人が多いことを実感していて。基本的に創作は情熱がないと続かないし、生まれない。その矛先の一つとして『プロセカ』があることで、頑張れる人が増えているんだと思います。『プロセカ』が情熱の向かう先を示してくれたことは、この文化にとってすごくありがたいなと思いますし、重要な意味を持っていると、今もずっと感じています。
――リバイバルのスピード感は、トレンドの変化が早いボカロシーンの特徴とも関係しているのかなとも思いました。
kemu:そうですね。関係していると思います。循環のスピードがあることは、メリットでもあり、リスクでもあると思います。勢いがあるということは、それだけ衰えたり、傾いたりするのも早いということ。でも、僕がボカロ文化の将来について、あまり不安を感じていないのは、ボカロは圧倒的にかっこいいですし、ずっと昔から素晴らしい音楽を生み出し続けてきた文化だからです。何より、ボカロを愛している人が、作り手側にも、ユーザー側にもたくさんいる。
この愛情がある限り、ボカロは一過性の流行で終わることはないと思っています。実際に活動している若い世代のクリエイターと話していても、そう感じます。スピード感がありながらも揺るがない、ボカロ文化の強みは、そこにあると思います。