無差別刺傷事件を通して見えた“令和の20代”の葛藤 『透明なわたしたち』は誰のことなのか?
福原遥主演のABEMA連続ドラマ『透明なわたしたち』(全6話)が最終話を迎えた。本作は、週刊誌ライターの主人公・碧(福原遥)が、2024年の渋谷で起きた凶悪事件の犯人が、高校の同級生ではないかと気づき、事件を追い始めるところからはじまる。疎遠になっていたかつての同級生と連絡をとる中で、高校時代の記憶が甦ってくる。やがて、文化祭の日に起きた、ある事件のことが浮かび上がる。本作は、東京と富山を舞台に、2つの事件の真相を巡って巻き起こる、20代後半の若者たちの友情と葛藤を描いた社会派群像サスペンスである。
『透明なわたしたち』第1話において、東京で社長をしている洋介(倉悠貴)の誕生パーティーで、久々に再会した碧と同級生の風花(小野花梨)は、口々に「充実してる」「幸せ」と言い合う。その場にいない同級生・梨沙(武田玲奈)もそうだ。碧と風花が見る彼女のSNSには見るからに夢を叶えて「充実しているいま」が表示されている。でも実際にはそんなことはなく、高校時代記者に憧れていた碧はゴシップ誌のライターとして思うようにいかない日々を送り、女優に憧れていた梨沙はホステス、東京に憧れていた風花は地元富山で一児の母となり、平凡な日常をやり過ごしていた。そんな、誰もが虚勢を張って自分を大きく見せることで、何者でもない自分を偽り、他人のキラキラした偽物の「充実した日々」を見つめては溜息をつく時代が、SNS全盛期である現代であり、20代の「いま」なのかもしれない。
抉るような共感から始まった本作の脚本と監督を務めたのは、『Winny』の松本優作。『余命十年』『ヤクザと家族 The Family』の藤井道人がプロデュースを手掛けた。社会派の作品を多く扱う30代の監督と、福原遥、小野花梨、伊藤健太郎、倉悠貴、武田玲奈ら20代の優れた俳優たちが挑んだ、完全オリジナル脚本の社会派群像サスペンスは、多くの若い世代、もしくはかつて同じ道を辿った人々の心に刺さったことだろう。描かれるのは、20代の男女の葛藤であり、現代の姿である。SNSで実況しながら飛び降り自殺をする少女。トー横キッズ、闇バイト。社会から疎外された青年が起こす、無差別刺傷事件。それらのすべてが、居場所がないと感じている「透明なわたしたち」の思いに繋がっていく。美しい映像で描き出される現在の東京と登場人物たちの原風景である富山との対比が素晴らしかった。
出色だったのは、主人公・碧を演じた福原遥である。朝ドラ『舞いあがれ!』(NHK)や『正直不動産』(NHK)の印象が強い福原が演じたのは、富山の高校の仲良しグループの中で優等生ポジションだった碧。新聞部の活動に熱心で、大学進学後も不本意な職場で理想と現実とのギャップに苦しみながらも、「書くことで人の役に立ちたい」と変わらぬ思いを貫いている。そこまでは「明るく優しく、真面目」といった彼女の従来のイメージと変わらないのであるが、その一方で物語は、碧の「正しさ」や、自分の見たものが全てと信じて疑わない真っ直ぐな思いが時に暴走していく姿を、スリリングに描き続けた。碧がヤケになって高校時代に憧れていた一ノ瀬(金子大地)に絡む第5話のような意外性のある場面も印象的だったが、なにより、真っ直ぐに真実を見つめ、文章に変えようとする真摯な眼差しの裏に、真っ直ぐすぎるゆえの危うさを重ねて見せたのが素晴らしかった。