元AKB48センター、借金7000万円の過去告白 社長絶頂期から転落「やり手気取りだった」

 元AKB48の内田眞由美(30)が、2024年8月9日にABEMAで配信された『しくじり先生 俺みたいになるな!!』に出演し、焼肉屋経営で総額7000万円の借金を背負った過去を告白した。

 過去に大きな失敗をした“しくじり先生”たちが授業形式で自らの経験を語り、人生の教訓を伝授する同番組。AKB在籍時の2014年より焼肉店「焼肉 IWA」を経営する内田は「焼肉店経営でのしくじり 1日の客ゼロ! 借金トータル7000万円」と題した授業を開講した。

 2007年に14歳でAKBに加入した内田は、2010年に「AKB48 19thシングル選抜じゃんけん大会」で優勝し、シングル「チャンスの順番」で初のセンターを務めた。当時はメディアに引っ張りだこだったものの、直後に行われたAKB48選抜総選挙で圏外になるなど人気面で苦戦することに。この時17歳だった内田は「じゃんけんの運だけで人気ないんだと絶望し、アイドルを辞める気でいました」と振り返る。

 その後、AKBのコント番組で演じた「岩」の役でプチブレイクするも、相変わらず低空飛行を続け迎えた19歳のとき。不人気なAKBメンバーを対象に事務所で実施されていた「進路相談」を受けたという。そこで社長から「実家が焼肉店だし、焼肉店やったら?」と助言された内田は、「アイドル失格が確定しちゃった……」と残念に思いつつも、もともと女社長になりたいという憧れもあって「でもこれはチャンス。焼肉店を頑張るしかない!」と、前向きに捉えていたと明かした。

 決意を固めた内田は、東京・新大久保駅徒歩3分で家賃52万円、広さ55坪(約100畳)のもともとインターネットカフェだった物件を契約。内装業者に見積もりを依頼したところ、内装に3300万円、脱臭機に300万円、厨房機器に160万円、看板に240万円、初期費用に240万円がかかり、合計4500万円が必要になったという。当然内田一人で支払えるはずもない。そこで、両親と事務所の人に協力を仰いで事業計画書を作成してもらい、銀行から5000万円を借り受けることに成功し、開業後は売り上げから毎月100万円を返済することになったという。

 こうして、プロデューサー・秋元康の「(店名は)『岩』でいいんじゃない?」という鶴の一声で、店名を「焼肉 IWA」とした内田の焼肉店は2014年4月にオープン。現役AKBメンバーが経営する焼肉店との触れ込みもあって大繁盛し、初月の売上は1000万円、オープン1年の年商は1億円超に到達したとのことだ。

 見事大成功を収めた内田は「人生ちょろいな」と考えていたとし、「完全にやり手の女社長気取りでしたね。アイドル時代は不遇でしたけど、経営者としてはイケてるなと思っていました」と回顧する。しかも、当時はAKBに所属したままで、グループと焼肉店両方から給与がもらえる状態だったため、収入は「人生マックス」だったという。

 この好調ぶりから事業一本でやっていけると確信した内田は、2015年10月にAKBを卒業。ところが、現役AKBの肩書がなくなってからは客足が急激に遠のき、同店の売り上げは半分にまで激減したという。1か月の売上が500万円ほどになり、家賃で52万円、肉の仕入れで約130万円、人件費で約100万円、借金の返済で約100万円、その他の食材の仕入れや水道光熱費などで約100万円と合計480万円が月々経費として掛かるため、純利益は20万円ほどに減ったそうだ。

 そこで内田は「儲かっていたのは自分の力じゃなくてAKB48の力」と気付いたと言い、「セカンドキャリアでなにかを始めるとき、それまでの肩書や人脈のおかげでうまくいってるのに、すべて自分の力だと勘違いするとしくじってしまいます。私は経営者としてそこをしくじりました」と、人生の教訓を語っていた。

元AKB48の自称“23歳ニート“、人生初のマイカーを購入 機能的な内装に「めっちゃ快適」

元AKB48の鈴木優香が、2024年4月6日に自身のYouTubeチャンネルを更新。「23歳はじめての車を買いました」と題された…

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「コラム」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる