『エルデンリング』DLCに感じた“ソウルライクとフロム作品の未来”

 『ELDEN RING』のダウンロードコンテンツとなる『SHADOW OF THE ERDTREE』(以下、『SOTE』)が発売されてから1ヶ月以上が経った。すでにクリアしたという方も多いだろうし、まだまだ苦戦しているという方も少なくはないだろう。

 DLCといえば、これまでの「ソウル」シリーズ(『Demon’s Souls』、「DARK SOULS」3作に加え、別のIPではあるが本稿では『Blooodborne』と『SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE』を含む)では『DARK SOULS III』の「Ashes of Ariandel」と「The Ringed City」、『Bloodborne』の「The Old Hunters」のように、基本的には本編で描かれなかった要素(特にストーリー面)を掘り下げるという役割を持った存在だった。それは『SOTE』においても概ね同様ではあるのだが、実際に遊んでみると、このDLCにはそれ以上の目的があるのではないかと感じられる。本稿では、主にDLC全体の構造や戦闘を中心に、「フロム・ソフトウェアは『SOTE』によって何を達成しようとしたのか」について掘り下げていきたい。

戦いではなく、探索によってレベルが上がる。ユニークなDLC専用成長システムの導入

 『SOTE』における最も大きな特徴の一つは、ある種の“DLC専用レベルシステム”とも言える「影の地の加護」(「影樹の加護」(アイテム入手によるプレイヤーキャラクターの攻撃力/カット率の上昇)と「霊灰の加護」(アイテム入手による霊体と霊馬の攻撃力/カット率の上昇))を導入したことだろう。実際のところ、『SOTE』においてはほとんどの敵の火力が非常に高く設定されており、特にボスキャラクターに関しては「影樹の加護」をある程度上げていなければ、たとえどれだけレベルが高かったとしても2、3回ほどのダメージで“YOU DIED”に直行してしまう。一方で、ある程度加護を上げていれば、それまで圧倒されていた相手ともフェアに対峙できるようになる(少なくとも本編よりやや難しい程度には)。

 つまり、極端な言い方をすると、「超火力でプレイヤー全体のステータスを相対的に均一化し、もう一度はじめから成長を味わってもらう」というのが『SOTE』における基本的な考え方だ。しかも、これらの「加護」を上昇するためのアイテムを敵がドロップするというケースはほとんどなく、探索による収集が前提となっているのも重要なポイントである。これまでのように敵を倒してルーンを稼ぐのではなく、広大なマップを探索することによって、『SOTE』のプレイヤーは成長していくというわけだ。ほかの作品におけるDLCの多くが、プレイヤーが最大まで強化されていることを前提にして、新たなスキルツリーやアビリティを導入するケースが多いことを踏まえると、DLC専用のレベルシステムを導入した『SOTE』の方針はなかなかに異質である。

対個人ではなく集団戦を前提とした、まるでMMORPGのようなバトルデザイン

 『SOTE』におけるもう一つの大きな特徴としては、作品の目玉でもあるボス戦における方針の変化が挙げられる。恐らくほとんどのプレイヤーが最初に対面する重要ボス(追憶をドロップするボス)となる「神獣獅子舞」に顕著だが、『SOTE』の重要ボスの多くは、かなり広範囲に及ぶ超火力の攻撃を仕掛けてくることが多い(本編における最序盤の重要ボス「忌み鬼、マルギット」と比較すると、その違いが分かりやすい)。また、対個人の攻撃においても、同じく序盤の重要ボスとなる「双月の騎士、レラーナ」のように矢継ぎ早に連続攻撃を仕掛けてくるパターンが多く、なかなか隙が見えずに防御に徹する場面が少なくない。だが一方で、重要ボスの大半には金サイン(協力NPCを召喚する)が配置されており、ほとんどの場合はオンラインプレイを行わずとも協力プレイができるようになっている。

 こうしたバトルのデザインからは、根本的に『SOTE』の重要ボスが集団戦を前提に設計されているということが分かる。実際、協力NPCや霊体が防御に徹している間に攻撃を仕掛けたり、全体攻撃の予兆が見えたら対策したりといった戦い方は、従来のフロム・ソフトウェア作品よりも、むしろ『ファイナルファンタジーXIV』のようなMMORPGに近い。もちろんソロでの攻略も不可能ではないが、その難易度は『SEKIRO』のような1対1を前提としたものとは異なるベクトルで高く、実質上の縛りプレイのようなものになっている。本編においても「星砕きのラダーン」のように集団戦を前提とした重要ボスは存在していたが、『SOTE』ではより作品全体にわたってその考え方が反映されているように思う。

 こうした『SOTE』のバトルのデザインを最も象徴しているのが、後半に待ち構える「エニル・イリム」で繰り広げられる大規模な集団戦だろう。この戦いは物語の面においても一つの山場となっており、まさに集団で戦うことにこそ大きな意味がある。異なる個性やバックグラウンドを持つキャラクターたちが一同に会して戦いの火花を散らす光景はこれまでのフロム・ソフトウェアの作品では味わったことのない、それでいてファンタジーの世界観とも合致した高揚感に満ちており、『SOTE』のハイライトと言っても間違いないだろう。この戦闘は、まさに『SOTE』が個人ではなく集団に重きを置いていることを示している。

より探索を、より集団戦を促す『SOTE』が示す、『ELDEN RING』本編が抱えていた課題

 このような、探索をベースとしたDLC独自のレベルシステムや、集団戦を前提としたボスのバトルのデザインからは、フロム・ソフトウェアがDLCという手段を使い、『ELDEN RING』における過去の「ソウル」シリーズとの違いをより強く打ち出そうとする姿勢を読み取ることができる。

 『ELDEN RING』は広大なオープンワールドをのんびり探索したり、遺灰や魔法/祈祷などの使える手段を全部使って戦うのか、それとも「ソウル」シリーズのようにストイックにリニアに進めるのかによって、全体の難易度はもちろん、体験の密度においてもまるで異なる作品となっており、それが過去の作品との大きな違いとなっている。とはいえ、『Demon’s Souls』から10年以上に渡ってこのフォーマットに親しんできた私たちは、どうしても従来と同様のプレイスタイルを続けてしまうのも実情だ(協力NPCや霊体を召喚するときに、つい「なんか負けた気がする……!」と感じてしまうのは筆者だけではないだろう)。今回の『SOTE』には、そんな状況に対するフロム・ソフトウェアなりの打開案が反映されているように思えてならない。

 それは、7月末に配信されたVer.1.13アップデートの方針からも感じ取ることができるだろう。細かな調整は置いておくとして、特に大きなインパクトを与えたのは遺灰における“「写し身の雫」以外の遺灰を全強化”という大胆なバランス調整だ。「写し身の雫」といえばプレイヤーの姿や装備をコピーして戦ってくれる霊体であり、その使い勝手の高さから、大量に実装されている遺灰の中でも、ほとんど一強状態に近い圧倒的な人気を誇っていた。このバランス調整は明確にこうした状況を反映したものであり、端的に言えば「ほかの遺灰も使ってほしい」ということなのだろう。

 オープンワールド化したことによって従来のリニアなゲームデザインから離れ、探索やビルド、戦闘やストーリーテリングなど、あらゆる面において大幅な自由度の高さを実現し、「ソウル」シリーズの持つ新たな可能性を提示した『ELDEN RING』だが、(筆者を含め)多くのプレイヤーはどうしても過去の「ソウル」シリーズの遊び方が頭の中に染み付いてしまい、これまでのやり方を踏襲してしまう。ほかにも楽しみ方はたくさんあるのに、自分自身に対して「もっと頑張れ(git gud)」という言葉を向けてしまう。そんなプレイヤーたちに対して、『SOTE』では「さらなる高難易度化」というなんともフロム・ソフトウェアらしいサディスティックな手段によって、異なる遊び方を提示しようとしているのである。

DLCから読み解く、フロム・ソフトウェアの現在と未来

 『SOTE』におけるアプローチの変化は、現在のフロム・ソフトウェアをめぐる状況ともつながるものだろう。昨年の『ARMORED CORE VI FIRES OF RUBICON』でも、どこか「ソウル」シリーズに近い手触りを感じることができたように、現在のフロム・ソフトウェアは世界屈指の高い評価と人気を獲得している一方で、その印象や期待が「ソウル」シリーズと不可分になっているという厄介な問題を抱えている。極端な言い方をすれば、オープンワールドになったとしても、異なるIPだとしても、プレイヤーがフロム・ソフトウェアに対して期待しているのは歯ごたえのあるボス戦なのだ。「DARK SOULS」シリーズが完結し、長らく待ち望まれていた「ARMORED CORE」の新作がリリースされ、『ELDEN RING』も一区切りというこのタイミングで、プレイヤーの考え方をさらにチューニングし、もっと自由に楽しんでほしい、あるいは次の作品をより自由に作れる環境を整えたいという思惑が『SOTE』を開発するなかでの根底にあったとしても不思議ではない。

 とはいえ、その目的が『SOTE』でしっかりと達成できているのかというと、必ずしもそうではないと言わざるを得ない。説明不足に定評のあるフロム・ソフトウェアらしく、「影樹の加護」や「霊灰」が『SOTE』において重要な役割を果たすということは、実際にある程度ゲームを進めてみなければ分からない。最初のうちは「いくらなんでもボスが強すぎるのでは?」と困惑し、本編と同様に寄り道を試みたものの「コイツも強すぎるのでは?」とさらに困惑してしまったプレイヤーも少なくないのではないだろうか。また、探索のモチベーションにおいても、縦に長い立体的な構造のマップにはワクワクする一方で、広いわりには密度の薄いエリアが少なくない(「青海岸」、2箇所の「指遺跡」、「ラウフの麓」など)ために、「来るのが大変だったわりには...」と徒労感を抱いてしまうこともある。一方で、特定のボスを倒した後に向かうことのできる「影樹の聖杯」というエリアに5つも「影樹の破片」が落ちていたり、最終ダンジョンの「エニル・イリム」にやたらと「霊灰」が落ちていたりと、「影の地の加護」関連のアイテムの配置場所自体にも偏りがあることは否めない。

 また、多様なビルドを試すにしても、『SOTE』を進められるくらいのレベルであれば、武器も遺灰も最大まで強化しなければ使う気にならないのが実情だろう。そのために大量の強化アイテムを使用するのは、時間的な意味でもリソース的な意味でもハードルが高く、結局は使い慣れたビルドに依存したり、攻略サイトやYouTuberが語る「最強武器・遺灰」に直行してしまうのは当然といえば当然だ。総じて『SOTE』での新たなアプローチが正しく機能しているとは言いがたく、その要因は、やはり同作がこれまでの「ソウル」シリーズらしさをベースとしたうえで作られているからであるように思う。この方針をより確実なものにするためには、より根本的なゲームデザインの見直しや変化が必要であることは間違いない。

 ここまでいろいろと書いてきたが、『SOTE』が失敗であると言いたいわけではない。本編以上にダークな美しさに満ちた広大な世界を駆け回るのは素晴らしい体験で、やっとの思いで「双月の騎士、レラーナ」や「串刺し公、メスメル」を倒したときには部屋の中で思わずガッツポーズをしてしまった。少なくとも筆者は最後まで『SOTE』を楽しむことができたし、その体験を通してもう一度本編を遊びたくなって、いまは新たなデータでDLCパートも含めた冒険を進めている(『SOTE』を経てプレイする本編の余裕といったら!)。もし、フロム・ソフトウェアの次作が『ELDEN RING』の方向性を順当にアップデートした新作になるのであれば、筆者は間違いなく飛びつくだろうし、批評・セールスの両面で大きな成功を収めるのも容易に想像できる。

 だが、もしさらにその次の作品も似たようなものだったとしたら、ソウルライクが『Another Crab's Treasure』や『SIFU』のように豊かな進化を遂げていることも踏まえると、これまでと同じような結果にはならないのではないかと思えてならない。これまでに築き上げてきた「ソウル」シリーズらしさに作品もプレイヤーも縛られ、漠然とした「変化が必要なのではないか」という空気が漂っているなかで、なんとか打開策を見つけようとしているようにも見える『SHADOW OF THE ERDTREE』は、これからのフロム・ソフトウェアの向かう先を示唆する存在なのではないだろうか。

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