次世代の覇権を握る「量子コンピューター」開発最前線を追う スイス現地レポート

スイスでユニークな研究をする日本人

 では、スイスで量子コンピューターを研究している人はどう考えているのだろうか。スイス連邦工科大学ローザンヌ校で研究する河野信吾博士は「とても環境がよくスイスに来られてよかった」と語る。研究に没頭できる環境を与えられ、非常に充実した日々を送っているそうだ。だが、それ以上に、日本で研究していた研究者がスイスにやってきたことに意味があると話す。

 「科学や技術は、人の流動があることで全体的に高まっていくものです。僕は日本で得た知識や研究をここに持ち込みました。そしてスイスで研究したことを日本に持ち帰れる。日本の研究者は海外への移動が少なく、また海外からの研究者も少ない。研究水準が低迷してしまうと感じています」

 河野氏のチームは量子コンピューターの研究の中でもかなりユニークなものらしい。GoogleやIBMは1量子ビットを増やして量子コンピューターにする研究をしているが、河野氏は1量子ビットの性能を高めることで、将来的に量子コンピューターが必要とする量子ビットを減らしたいのだという。

 「金属を置いている太鼓のような部分の凹みが振動しますが、この振動の寿命が自分たちの作った量子ビットよりも10~100倍の寿命があるとわかりました。この太鼓の振動に量子情報を刻んだり制御したりできれば、量子ビットの性能を上げられるだろうと考えているのです」

 だが、この制御が非常に難しく、「ほとんどの量子コンピューター研究者がやろうとしない」とのこと。だが、河野氏は機械振動子の制御技術に長けているグループに属しており、長く研究していたそうだ。「量子コンピューターが未来のコンピューターだとすると、僕らが研究しているのは、未来のさらに先の未来の技術になります」。

 私たちがいま使っている古典的なコンピューターの計算能力はいずれ限界を迎えるとされるために、さらに複雑な計算が可能になる量子コンピューターの研究·開発は必須だ。だが、その量子コンピューターですら、いつ完成するかわからないと言われている。河野氏らは、EPFLでそのさらに未来の技術を研究している。研究成果が得られる時間的な見通しはあるのだろうか。

 「目標はありますが、それをいつまでにやらなければならないという時間の制約はありません。できることを早く、正確に、高いレベルでやるだけです」

 決められた時期までに成果を出さず研究に集中できるのは、研究者にとって素晴らしい環境だといえるだろう。河野氏が「ずっとスイスにいたい」と言うのもうなずける。

 この記事を執筆している2023年度12月末時点におけるEUとスイスの関係は不安定であることは否めない。だが、スイスは自国にとってイノベーションやテクノロジーの発展が重要であることを理解しているし、ピンチをバネにさらなる飛躍を目指している。そのための投資も惜しんでいない。

 第2回のレポートでは、たったひとりのエンジェル投資家による巨額の資金で実現する「街ぐるみの量子コンピューターエコシステム」を紹介する。

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