荒削りで巨大な『Starfield』に感じる、ベセスダRPGが取り戻した「原点」

 「『この世界では、何もしてもいいんだ、どこへ行ってもいいんだ』という気持ちにさせてくれるんだ。そしてその道中で発見したアイテムは、とてもユニークに感じられる」

 これは、2018年に制作されたベセスダ・ゲームスタジオ(以下、BGS)のドキュメンタリーのなかで、トッド・ハワード氏が『The Elder Scrolls: Arena』(1994年)について語ったものだが、筆者が同作から29年後にリリースされた『Starfield』をプレイしてしばらく経ったときに、ふと、その言葉が頭をよぎった。

ベセスダゲームスタジオの歴史 - Elder Scrolls/Falloutドキュメンタリー

 個人的に『Starfield』をプレイしていて一番好きなのは、宇宙を無邪気に旅しているなかで、なんとなく選んだ惑星に降り、その景色に魅了される瞬間だ。お気に入りの惑星を見つけたときには(資源はあまり気にせずに)基地を建設し、道中で一緒になったクルーたちを招き、しばらくの間はその場所を拠点にしてサブクエなどの活動に勤しむ。そのとき、画面に映っているのは、自分だけが知っている場所、自分だけの宇宙船、自分だけの基地、自分だけのクルー、すなわち自分だけの物語だ。広大な宇宙を誇る本作の規模を踏まえれば、きっと同じような体験をしている人はほかにいないだろうと確信できる。正直、一つのゲームとして見たときに「痒いところに手が届かない」と感じる場面は少なくないのだが(それは本作の現時点での評価にも表れている)、この感覚は他の作品では味わえないものだと強く思う。

『Starfield』公式ゲームプレイトレーラー

10年以上も遊ばれ続ける「ベセスダRPG」とは何か?

 2002年に発売された『The Elder Scrolls III: Morrowind』(以下、『Morrowind』)以降、BGSは基本的に同じようなRPG作品だけを作り続けているといっても過言ではない(それまではホッケーやボウリングのゲームを作ることもあった)。それはつまり、オープンワールドで、一人称と三人称視点を切り替えることができて、膨大な世界が広がっていて、そこにギッシリとキャラクターやクエストやアイテムが詰まっていて、プレイヤーはどこで何をしても良いということだ。もちろん、その中身は作品によって異なっているが、物語がリニアに進行したり、レベルを上げないとメインミッションを進めることができなくなったり、一つの生き方を強制されるようなことは起こらない(一方で、いつまで経っても車に乗ることはできないし、ミニマップは不便なままだし、近接攻撃はかなり荒削りである)。『Morrowind』でこの手法を確立した同社だが、その根底にあるのはまさに冒頭で引用した感覚を作り上げることにあるだろう。そんな「ベセスダRPG」は世界中のプレイヤーを魅了し、今なお有効であり続けている。

The Elder Scrolls III : Morrowind Trailer

 最も象徴的な例は、2011年に発売された『The Elder Scrolls V: Skyrim』だろう。似たような世界観を持つファンタジーRPGはこの10年以上の年月で数えきれないくらいリリースされ、二世代分の性能の進化を経ているにも関わらず、同作はいまだに遊ばれ続けている。優れたアクション性や魅力的なレベルデザインを誇る『ELDEN RING』(2022)や、サブクエストも含めて極めて重厚な物語を描いた『ウィッチャー3 ワイルドハント』(2015)、探索やアプローチにおける自由度の高さを誇る『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』(2017)などの傑作が登場しても、その需要が途絶えることはなかった。言い換えれば、アクションも、レベルデザインも、ストーリーも、グラフィックも、探索やアプローチの自由度の高さも、必ずしも『Skyrim』あるいはベセスダRPGに強く求められているものではないと考えることができる。

 では、「ベセスダRPGに求められているもの」とは何なのだろうか。もちろん、その答えはプレイヤーに応じて分かれているのは間違いないが、筆者個人としては「その世界の一人の住人として生きる感覚」であると感じている(この問いに対する恐らく最も一般的な回答はMODコミュニティの存在だが、それも言い換えれば「ゲーム内の生活をより楽しむ」ことに重きが置かれていると捉えることができるのではないだろうか)。たとえば、筆者は『Starfield』のサブクエストをかなりの数こなしているが、その中で記憶に残っているものは(派閥クエストを除いて)ほとんどないし、覚えているにしても「レアな本を他の惑星まで取りに行かされる」とか、「届かない荷物の様子を見に行く」といったどうでもいいものでしかない。だが、むしろそんな取るに足りない日常こそが、そこでの生活にしっかりとした手触りを与えてくれる。だからこそ、拠点を作って、特に目的もなくダラダラとサブクエストをこなすのである。もし、それ以上のことがしたくなったら、別のゲームを遊べばいいのだ。タイパが重視される現代において、「無駄」といえばそれまでなのだが、少なくとも筆者個人としては、この体験を味わえることにむしろ大きな喜びを感じるのである。

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