AIの進化は我々に「人間とは何か」を問うているーー佐久間洋司らが語った“生成AIが拓くエージェントの未来”
後半の質疑応答でも質問が活発に挙がり、AIの使用者に対する責任や法整備についてのトピックスが飛び交った。また、現行のChatGPTは「西洋的リベラルな価値観」を強く宿しているとされ、これに拮抗するオルタナティブなAIの登場が期待されているという話題もあがった。
さらには、もしも人間がAIを主体として認めるのであれば、利益を追求するために「まず企業の意思決定を委譲するということが起きるかもしれない」と安野氏。玉置氏は「旧Twitterはコードを公開することで透明性が担保されるとしていたが、(そうした時代においては)公平性よりも『気まぐれ』や『何となく』という不完全な人間性が注目されるのでは」とした。
最後のまとめとして発言された、それぞれのコメントも興味深い。
「社会にどう適用させるかよりも技術の進歩が早い状況。でも、AIをどのように受容していくか、主体を認めるのか、という心の変化が社会を変えるボトルネックになると思います。研究の道を志す学生さんには、そこも考えてみていただきたい」(安野)
「AIは『エージェント』と呼ばれます。しかし、人間の人格もまた『エージェント』なので、今後その解釈やアプローチの幅が広がり、AIの開発にフィードバックされるのではないでしょうか。また、完璧さよりも社会のコミュニティに共感を及ぼす“クセの強いエージェント”により関心が向いていくと思います」(玉置)
「この10年、学習データを多くしただけでものすごい言語モデルができました。それは今後も続いていくと思いますが、もっと画像や音声と融合して便利なものが出てくるでしょう。ただ、技術者としては、企業のシステム上でロックがかかると難しいのではないか、と感じます。制限の部分については、柔軟に対応してもらいたい」(高瀬)
本シンポジウムは生成AIをテーマにしたものではあるが、技術的な話題よりも「意識とは/主体とは/法整備をどうするか」という、概念的・哲学的な議論が中心となっていた印象だ。
さらに、佐久間氏が中盤のコミュニケーションについての整理で「我々のATフィールドは溶けない」という発言をしていた場面も記憶に残っている。全員が自然と頷いているのを見るに、研究者たちのベースにアニメ・マンガ的発想やテクニカルタームがあるのは疑うべくもない。つまり人文知だ。新たな変革の時代、ただ技術を考え理解するだけでは取り残されてしまうだろう。もっと深く考えなくてはならない。
こうしたことを踏まえれば、あきらかにLLMや生成AIといったテクノロジーは「人間とは何か?」という、非常にオーセンティックな哲学的命題をふたたび人類に再び突き付けているといえるだろう。
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