キズナアイから現在まで、バーチャルYouTuberを支える影の立役者 cort氏とライブカートゥーン社のこれまでとこれから

VTuberを支える影の立役者・cort氏インタビュー

 2017年から2018年にかけて、一気にVTuber、バーチャルYouTuberが話題になってからはや5年。当時は“珍しいもの”として見られていたバーチャルYouTuberも、いまではコンビニの棚にコラボ商品が並んだり、地上波のテレビ番組に登場するまでの存在になった。

 そんなバーチャルYouTuberを支え続ける人物がいる。辻昇平、あるいはcortの名で知られる3DCGクリエイターだ。2016年に合同会社ライブカートゥーンを設立、キズナアイ誕生にたずさわり、これまで数えきれないほどのバーチャルYouTuberの活動を支え、いまも日々3Dライブや配信の裏側で活躍している。

 裏方ゆえ、彼の存在が目立つことはあまりないが、バーチャルYouTuberとファンの大切な時間を支えてきた“影の立役者”のひとりである。

 黎明期に「キズナアイ」の立ち上げに参画し、今なおバーチャルYouTuberブームの最前線を支え続ける彼の活動は、それ自体がVTuber史におけるひとつの軸といえるだろう。今回は、彼にキズナアイの誕生以前からこれまでの活動遍歴、その中で感じてきたこと、ライブカートゥーン社の取り組みと今後について伺った。

■cort(こーと)

本名は辻昇平。合同会社ライブカートゥーン代表。最初期からバーチャルYouTuber事業にたずさわる。詳細は本文。
・合同会社ライブカートゥーン https://www.livecartoon.net/
・ブログ https://ameblo.jp/cort-blog/entrylist.html

バンドマンからMMD・MMD杯・3Dライブ・テレビアニメ制作 「ビジネスできないか」の先見性とバーチャルYouTuberのルーツ

ーーcortさんと言えば『MikuMikuDance(以下、MMD)』(※1)でバンド演奏を再現した「shiningray」や「I sing for you」など、「MMD動画」を制作されていた方という印象が強いです。MMDを始めたきっかけはなんだったんでしょうか? 以前はバンド活動をしていたと伺いました。

cort:そうですね。もともとはバンド活動をしていて、そのバンドが解散して暇になり、『MMD』をさわり始めました。当時、「初音ミク」という存在を知って面白いなと思ってて、でもなぜか自分は作曲側の人間ーーいわゆる「ボカロP」にはならなかったんですよね。曲を作る方にあまり興味がわいてなかった。

【MMD】shiningray【PV】
【第4回MMD杯本選】I sing for you【MMD-PV】

【※1 MikuMikuDance……樋口優が制作したCDCGソフトウェア。様々なキャラクターの3Dモデルを操作し、映像制作ができることでニコニコ動画で流行した。】

ーー作曲ではなく、3DCGに興味をもったきっかけは何かありましたか?

cort:『MMD』の前、ussyさんという方が『六角大王』(※2)で作った「melody…」のMVを見て「3DCGってすごい」と興味をもって。ただ、当時使っていたノートPCでは『六角大王』が動かず、自分で制作するのは諦めていたのですが、『MMD』が発表されて試してみたら動いたんですよ。それをきっかけにのめりこんでいったって感じですかね。ぼくもすごい作品を作ってやろうと。

【※2 六角大王……1992年より開発されていたフリーの3DCGソフトウェア。現在は配布を終了し、後継ソフトの『CLIP STUDIO MODELER』がセルシスより提供されている】

【初音ミク】melody...3D PV ver1.50

ーー最初に投稿された作品は2008年3月の「MikumikuDance で ウッーウッーウマウマ(゚∀゚)」でしたね。当時の思い出などがあれば伺ってみたいです。

MikumikuDance で ウッーウッーウマウマ(゚∀゚)

cort:当時の『MMD』にはカメラを動かす機能が無くて。どうやってカット割りするか考えてたらJamiroquaiのMVを思い出して、カメラの代わりに被写体を動かして作ったのを覚えています。

Jamiroquai - Virtual Insanity (Official Video)

ーーcortさんの動画はバンド演奏を再現したものが多かったですが、そうした動画を作ろうという意識は最初からあったんでしょうか?

cort:最初は無かったんです。でも、当時はストリークPさんの「初音ミクだけで野球」とか、自分の得意なことや経験のあることを初音ミクにやらせるのが流行っていて、自分が楽器を弾いてたので、軽いノリで楽器演奏をさせてみたら、大きな反響があって。それからそういう動画をよく作るようになりました。

初音ミクだけで野球(完成版)

ーーニコニコ動画で開催されていた『MMD』クリエイターによるオンラインイベント「MMD杯」は、かんなPさんが2008年に始め、2010年の第5回からcortさんたちが運営を引き継ぎました。どのような経緯だったのでしょうか。

cort:かんなPさんが「運営をおりるから、誰か代わりにやらないか」と言っていたところに「ぼく、暇だからやりますよ」と手を挙げたんです。当時は4人ぐらいのチームで運営していて、自分はフロントマンとして広報的な役割を務めていましたね。

 いまだからこそ言えますが「MMDでビジネスができないか」という思惑もありました。「MMD杯」には、外部のゲストを呼び、心に刺さった作品を選んでもらう「選考委員制度」というものがあるのですが、この枠に企業を誘致したいと思っていたんですよ。『MMD』文化の認知を広げるとともに、それでビジネスができないかと、そんな腹積もりで運営になりました。もちろん根底には「『MMD』の面白さを広げたいという思いがありつつ、一方でビジネスの目線でも見てもらえないか、と考えていましたね。

ーー当時からそこまで考えていたんですね。その後cortさんは『直球表題ロボットアニメ』を始めとするテレビアニメの制作にも参加し、ライブカートゥーン社を立ち上げるに至っています。当時の思惑がつながっているのが素晴らしいです。テレビアニメ制作に参加するきっかけはどのようなかたちだったんですか? その頃ですと『GUMI誕生祭2012 in ニコファーレ』などのイベントもプロデュースされていましたよね。

cort:そうですね。アニメ制作にたずさわる前段のお話からすると、『第8回MMD杯』の閉会式を「ニコファーレ」(※3)でやらせてもらって、そこでニコファーレが持っていたAR技術のシステムを使わせてもらったときに『GUMI誕生祭』の企画を思いついたのが始まりかもしれません。当時、ニコファーレはユーザーの持ち込み企画でも面白かったら無料で貸してくれていたので、ぼくも同じように持ち込んでユーザーイベントとして開催していたんです。

【第8回】MikuMikuDanceCupVIII INFINITY 表彰閉会式【MMD杯】

(参考:『MMD杯 in ニコファーレ』

 ARは配信にしか映らないので、現地で観る人は「虚空を見ている」とか言われていたんですが、当時ニコファーレの技術担当をしていたMIROさんが試行錯誤してくれて、現地では透過スクリーンの映像、配信ではARでGUMIの姿を見られる仕組みを考えてくださったんです。

【※3 ニコファーレ……「ニコニコ動画」を運営するドワンゴがかつて運営していたイベントスペース。】

ーー「GUMI誕生祭2012 in ニコファーレ」は当時見ましたが素晴らしいイベントでした。その後もニコファーレや「ニコニコ超会議」、『Animelo Summer Live 2012 -INFINITY∞-』での初音ミクステージなど複数のイベントでプロデュースを担当されていたと伺っています。

cort:はい。その頃はそうしたコンサート制作ばかりしていて、そこでいろんな知り合いが増えたんですね。そうしたら、「ヤオヨロズ」(※4)の福原慶匡プロデューサーから「アニメ作れない?」といきなり話をふられたんですよ。やったことはないけれど、こうやれば作れるだろうな……ってものが見えて「できるよ」と答えたんです。その結果、いきなりデビュー作でアニメーション監督をやらされました(笑)。

【※4 ヤオヨロズ……かつて存在した日本のアニメ制作会社。寺井禎浩、石ダテコー太郎、たつき、福原慶匡によって設立され、一時期は生放送でアニメーションを放送する「生アニメ」を手掛け、のちに「けものフレンズ」を生み出した。】

ーー(笑)。2013年放送の『直球表題ロボットアニメ』以降、石ダテコー太郎監督作品に相次いで参加されています。それぞれの作品でクレジットにばらつきがありますが、それぞれどのような仕事をされていたのでしょうか。

cort:『直球表題ロボットアニメ』のアニメーション監督は、映像部分の制作はほぼ全てを担当しました。カット割りや編集、各クリエイターに作ってもらうカットの割り振りなどもしました。『てさぐれ!部活もの』に関してはすぐ『みならいディーバ(※生アニメ)』の作業に移動することになったのであまり話せることはないのですが……MMDのクリエイターが参加していて、彼らが慣れないところのサポートを担当しました。『みならいディーバ(※生アニメ)』ではオープニングと、毎回1時間の生放送内で作詞を仕上げて「今日のエンディングテーマ」を完成させる構成だったので、毎週異なるエンディング映像を制作していました。それから、転換の間にはさむ4コママンガみたいなノリの、1分くらいのアイキャッチ動画も量産していましたね。

ーー『みならいディーバ(※生アニメ)』は生放送でキャラクターがしゃべって動いて、SNSにもリアルタイムで反応するなど、バーチャルYouTuberがおこなうライブ配信のルーツのようなアニメ番組でした。このときのモーションキャプチャを担当していたのは永松正さんのチームですか?

cort:はい。当時『MVN』を利用して永松さんが開発された「DL-EDGE」(※5)を使用していました。

【※5 「DL-EDGE」……セガサミーグループのライブエンターテイメント向けCGシステムで、『みならいディーバ(※生アニメ)』でリアルタイムCGプロデューサーを務めた永松正氏らが開発した。XSens社(当時)のモーションキャプチャシステム『MVN』を使用している】

 そのシステムを見て、近しいものを別のアプローチで作れるな、と思って、それで生まれたのが「魔法少女?なりあ☆がーるず」で使用した「Kigurumi Live Animator(KiLA)」というシステムです。

 「KiLA」はゲームエンジンの『Unity』で作ったんですが、人間の体の動きをコントローラの入力情報として、ゲームのアプローチに持っていけばもっといろんなことできないかな、みたいなことを漠然と思っていて。でもぼくはプログラミングができないので、『Unity』を触りながらニコニコ生放送で生配信をしていたら、後にライブカートゥーンを協同で立ち上げることになるほえたんが「ぼく作れるよ」ってコメントをくれて。ほえたんとは『ボーマス(THE VOC@LOiD M@STER※6)』で隣のブースになり、互いの作品を交換したのがきっかけで、ぼくの生放送に来てくれるようになった縁です。ほえたんが「ぼくだったらcortさんが作ろうと思ってるもの作れるよ」と言ってくれたことが、「KiLA」誕生のきっかけでしたね。

【※6 THE VOC@LOiD M@STER……VOCALOIDオンリーの同人即売会。略称、ボーマス。】

ーーモーションキャプチャシステムの「Perseption Neuron」との出会いも大きかったのではないでしょうか。

cort:「KiLA」は最初、Microsoftの「Kinect」ベースに開発しようとしてたんです。ですが、ほえたんから「こういうのあるよ」とKickstarterの情報をもらって。当時は『Prio VR』など装着するタイプのモーションキャプチャデバイスの情報が海外でちょこちょこ出るようになっていた時期で、あちこち応援して、その中で「Perseption Neuron」だけが完成して、現物が手元に届いたという流れでした。

Perseption Neuron

ーー実際に使ってみた印象はいかがでしたか?

cort:感動しましたね。装着に一手間かかるのは『みならいディーバ(※生アニメ)』で分かっていましたし、このコスト感でこれだけ動かせるのはすごいな、と。

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