「人間関係が破綻しても編集で対応できる」 ABEMA・高橋弘樹Pが語る『世界の果てに、ひろゆき置いてきた』番組制作の裏側

 長年、テレビ東京で映像ディレクターやプロデューサーを務めたあと、2023年3月にABEMAへ入社した高橋弘樹。

 ABEMAにて“平社員”として働く傍ら、自身の会社「tonari」の代表も務め、YouTubeチャンネル登録数40万人を誇る経済メディア「ReHacQ」を運営するなど、マルチな活動を続けている。(2023年8月28日時点)

 コンテンツの企画で心がけていることや、地上波からネット放送局へ転職した理由、ABEMAオリジナルコンテンツ『世界の果てに、ひろゆき置いてきた』の裏側まで、語ってもらった。

月に400回以上のロケを敢行 「労力」と「時間」をかけた番組作り

――高橋さんは2005年にテレビ東京へ入社後、数々の番組制作に関わってこられましたが、どのようなことを意識してコンテンツ作りを行っていたのでしょうか?

高橋弘樹

高橋:「世間をあっと言わせたい」と常に考えながら、番組制作に取り組んでいました。普通にやっても面白くないというか。人が驚くようなテレビ番組を作って、「昨日のテレビ見たよ」と話題に上がるような楽しい企画を考えることを意識していました。仕事中にふと感じたことや、日常生活で感情が強く動いたシーンから、企画のアイデアが思い浮かぶことが多かったように思います。

 かつて、『文豪の食彩』(テレビ東京)というドラマを制作したことがあるんですが、それは会社の上司に腹が立っていた感情をそのまま脚本にしたものですね。

――『家、ついて行ってイイですか?』(テレビ東京)は取材承諾してくれる人をひたすらハントしたり、月に400回以上のロケを行ったりと、かなり労力がかかる番組だったと聞いています。

高橋:僕は「労力」と「時間」をかけて、面白い番組を作るのが好きなんですよ。『家、ついて行ってイイですか?』の制作クルーは最盛期には70人くらいいて。また、『世界ナゼそこに?日本人~知られざる波瀾万丈伝~』は2週間くらい取材対象者の日本人に密着し、素材も100ロールくらいになっていて、編集もすごく大変でした。それでも、労力と時間をかけて番組を作り上げるスタイルは、この頃から培われてきたものだと思います。

「テレビ東京でやれることを大体やりつくした」

――2021年にYouTubeチャンネル「日経テレ東大学」のプロデューサーに就任した際、これまでの地上波とネットのコンテンツ作りにおける差分で感じていたことや、苦労した点があればお聞きしたいです。

高橋:視聴する世代を意識してコンテンツのストーリーや笑いの質、言葉の使い方を少し変えるくらいで、根本的な演出はそれほど変えていませんでした。ただ、ネットの方はアバン(オープニング前に番組の総集編を流し、つかみを得る手法)やPRの仕方など、アルゴリズムやマーケティングを考えながら、ターゲットとなる若い世代の視聴者にどうコンテンツを届けていくかを心がけていました。

 どちらかと言うと、“ハック”に近い感覚で取り組んでいました。あとはネットの場合、地上波のように途中からの流入を気にしなくていいんですよ。動画配信サービスは、ユーザーのほとんどが頭からコンテンツを見る傾向にありますから。

――2023年2月末にテレビ東京を退社し、同年3月からABEMAへ転職されましたが、新天地で働こうと思ったのはどのような理由があったんですか?

高橋:「日経テレ東大学」のチャンネルが終了したこともそうですが、「テレビ東京でやれることを大体やりつくした」というのが、ABEMAヘ転職する大きな要因になっています。 深夜帯やゴールデンタイムなど、さまざまな番組制作に携わり、地上波のテレビマンとしてできることはほとんどやりきったのもあり、新たな挑戦がしたかったんです。

 テレビ東京を辞めた後、自分の会社を立ち上げて独立したわけですが、エンタメという文脈において「ReHacQ」ではまだお金をかけて面白いコンテンツを作れる力がなく、自分の年齢的にも次第にチャレンジできる幅が狭まってくる。なのでいまこの瞬間に、自分のやりたい番組を作れる環境もほしかったんです。

 自分のなかで興味のあったOTT(Over The Top)の企業へ入ろうと考えたときに、英語が話せないことから、外資系企業へ行くのは難しいかなと思って。一方、ABEMAは勢いがあり、すごくチャレンジ精神を持っていると感じていました。自分もその環境に身を置き、成長や進化を追いかけていきたいと思って転職を決意しました。

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