“人を殺してなければ出演OK?” 街録ch・三谷三四郎が語る YouTube戦略と語り手の選定基準
2022年11月に登録者100万人を達成した『街録ch〜あなたの人生、教えて下さい〜』では、多種多様な生き方をしてきた人たちの人生を覗き見できる。
ひろゆきや中田敦彦といったそうそうたる有名人だけでなく、元薬物中毒者や元闇金業者など、日常生活ではほぼ確実に関わらない人たちの人生は、聞くだけで非日常を体感でき、なんとも言えない刺激を与えてくれる。
動画を投稿する度にネットニュースで名前が載るほど、今勢いに乗っている同チャンネルを立ち上げた三谷三四郎さんに話を聞いた。
YouTuberデビューのきっかけは”テレビ業界の明るい未来”を想像できなくなったから
――まずYouTuberになる以前について教えてください。
三谷:大学生のとき、松本人志さんの著書『遺書』を読んだり、お笑い芸人のDVDを見たりして、「芸人さんと一緒に仕事をすると楽しいかも」と思って、番組制作のためADを派遣する会社に新卒入社しました。とはいえ、「伝説になる番組を作りたい!」という野心があったわけではなく、一般企業では順応できそうもなかったので、消去法ではあります(笑)。
――その後は順調にキャリアを積んでいったのですか?
三谷:ADからディレクターになるのが一般的なのですが、僕が担当していた番組が終わってしまい、ディレクターになかなかなれなかった。ですので、「フリーのディレクターになろう」と思い、28歳のときに退職しました。
ただ、当初は全く通用せずに必死に食らいつきました。そのおかげで、実力もついて周囲から認められるようになり、お金に困ることは次第になくなりましたね。
――順風満帆のフリーランスディレクターからなぜYouTuberを志したのですか?
三谷:長年テレビ業界に在籍していると、自分が作りたい番組を作るためには、テレビ局の権限を持った人に気に入られる必要があることを知りました。また、フリーランスという立場では持てる裁量にも限りがあることが、フリーランスディレクターの先輩を見ていると徐々にわかってきたんです。
――自分の未来が明確に見えてきてしまったと。
三谷:そうです。なにより、“お金のためにやる仕事”と“楽しい仕事”の違いにモチベーションを保てなくなっていたこともありました。その楽しい仕事は観光地など人の集まる場所に行って、ちょっと変わった人にインタビューをするものだったのですが、その番組が終わってしまったんですよね。一応、将来的には総合演出になることを目指していたのですが、いろいろなきっかけから、テレビ業界に明るい未来を見い出せなくなりました。
――なぜYouTubeを次に主戦場に選んだのですか?
三谷:企画書を書いて誰かに許可を取ることもなく、YouTubeでは好きに撮影・編集できます。例えば、フワちゃんの動画はとても自由で、かつ個性的。YouTubeの動画を見ていて、「羨ましいな~」とよく思っていました。
――YouTubeへの羨ましさと、仕事への気持ちの変化が重なった。
三谷:はい。“好きな仕事”は自分自身も手応えのある内容だったので、「なんとか続けたい」という思いもあり、街録chの開設を決めました。