「Midjourney」などのAIはクリエイターの仕事を奪うのか? 国立情報学研究所教授に聞いてみた
AIの時代になっても、演奏スキルは評価される?
――組み合わせるセンス自体がより重要になってくるのかもしれません。
山田:そうです。ただ、どういうフレーズやモチーフがあるのかを知っておく知識、「これとこれを組み合わせたら良さそう」といった今のところ人間しか持っていない直観力が必要になるため、完全に“代替される”ことは不可能です。医療現場同様、こちらもあくまで人間の活動をサポートする、という使われ方になります。
とは言え、知識やセンスを洗礼させる必要がこれ以上に高まることは事実です。テクノロジーが進歩したおかげで、技術面の障壁が圧倒的に下がり、誰でもツールを活用すれば創作できるようになりました。ですので、知識や食感力、センスなどをより磨かないと、オリジナリティあるものは生まれず、“研鑽を積む”という必要性・前提は変わりません。
興味深いことに、AI研究においても似たような傾向があり、よくも悪しくも、他の研究者の開発した機械学習のライブラリを組み合わせただけの研究が氾濫しています。
――ただ、AIがクリエイティブ分野で普及すると“人間らしい作品”は生まれにくくなるのではないですか?
山田:人間が何かをクリエイトする際、適度な制約が重要になります。たとえば、ピアノの作曲の場合、腕が10本なければ弾けない曲を作ることは可能です。ただ、ライブなど「目で見る」場合、”腕が2本”という制約があるからこそ、その音を通して見る側も感動することができます。こういった物理的制約が“人間らしさ”を担保しており、AIは本質的にそのような物理的制約(『身体性』と呼ばれます)を持つことができません。しかし、人間の不自由さも学習することはできるため、“人間らしさ”の表現も表面的には可能になっていくでしょう。
――ちなみに今後知識や直観力といった頭を使うスキルが重視され、演奏力やデッサン力とった技術面のスキルはあまり評価されなくなったりすると思いますか。
山田:評価されなくなるというよりは、スポーツ競技のような見方にシフトしていくのではないかでしょうか。100m走にしても車や新幹線、飛行機といった機械のほうが絶対速いにもかかわらず、人間が走って競争する姿に感動しますよね。サッカー選手を見て「あのシュートはすごい」と思うような感覚で、ピアニストの演奏を見て「なんて指の動きはなんだ!」という見られ方になると思います。
なぜ、現代人はAIを敵視し過ぎるのか
――山田さんは今後、AIがクリエイティブ分野に着々と一般化していくと考えていますか?
山田:そう思います。しかし、AIを敵視している人は多いじゃないですか。AIはあくまでコンピューターのソフトウェアにもかかわらず、『ターミネーター』や『サマーウォーズ』のような映画で、頻繁に“AIの反乱”が描かれているからなのか、AIに悪い人格を持たせて考える人が多い印象を受けます。それを言うなら、「車だって家電だって性格がある」と捉えても良いのに、AIだけはなぜか擬人化したがります。加えて、“AIが創ったもの”と聞かされると急にシャッターを閉じる人も多く、どうしても壁を感じやすいです。
――心理的なハードルを取り除かなければ、普及は難しいですね。
山田:定着するためには、一般のエンドユーザにに意識して使ってもらえなければいけません。ここは研究者や企業の領域であり、AIと一般人・一般社会の橋渡しをキチンとできるかがとても重要です。とは言え、SNSでは「Midjourney」で制作した絵を投稿する動きも見られ、浸透の兆しを見せています。また、それはAIが作り出したものであることがしっかり意識されている点が重要です。
このようにクリエイティブ分野からAIを活用したケースが増えると、AIに対する敵視も緩和されるでしょう。「AIは雇用を奪うから危険」「いつか人類を滅ぼす可能性がある」という認識もアップデートされ、AIが私たちの生活を豊かにする未来につながりやすくなると思います。