システムで人々を魅了したゲームたち:『デス・ストランディング』の“ソーシャル・ストランド・システム”が広げる助け合いの絆

 世に出てからというもの、ビデオゲームは技術力の向上とともに日々進化を続けている。少し前はテキストファイルのような数十KBの世界で作品が作られていたと思いきや、いまでは100GBに迫るボリュームのタイトルも珍しくない。ドット絵やフォトリアルなどさまざまな表現方法が使われ、RPGからアクション、シミュレーションにアドベンチャーといったジャンルもさまざまだ。

 目まぐるしく変わるゲームだが、いまのところプレイヤーがコントローラーを通して遊ぶという点は変わらない。傍観者ではなく、当事者になれることはゲームの強みであり、ほかの娯楽とは違った体験をもたらしてくれる。漫画や映画はめくるなり見るなりするだけでいいのに、ゲームがプレイヤーにわざわざコントローラーを求めるのは、まさにそのためだろう。

 コントローラーを通してプレイヤーを楽しませるために、古今東西のゲームにはさまざまなシステムが盛り込まれてきた。本稿では、小島秀夫監督が独立後に初めて手がけたゲーム『DEATH STRANDING(デス・ストランディング)』を取り上げ、本作に実装されている“ソーシャル・ストランド・システム”の仕組みについて紹介していく。

殺し合うのではなく助け合う

 本作の舞台は、“デス・ストランディング”という現象によって壊滅した北米大陸。その影響で世界は分断されてしまい、人々は触れたものの時間を奪う“時雨(ときう)”、あの世からやってきた存在“BT”から逃れて建物に引きこもり、外の脅威に怯えていた。

 主人公のサム・ポーター・ブリッジズは、アメリカ合衆国の再建を目指す組織“ブリッジズ”の要請で、北米大陸を横断しつつ孤立した拠点をつなぎながら、はるか西部の“エッジ・ノットシティ”を目指す。そして、そこに捕らわれた次期大統領候補、サマンサ・アメリカ・ストランドを救出する。

 大陸横断という長旅では、道中、プレイヤーはサムを操作して多くの荷物を誰かに届ける。荷物を背負ってただ歩くだけでなく、体勢を崩さぬようバランスに気を付けなくてはならない。舗装されていない道を走り回ると転ぶし、そうなると荷物が傷ついてしまう。

 荷物を持って歩くのも大変だが、アメリカ再建を阻む“分離破壊主義者”や、配達物を奪おうと襲い掛かる“ミュール”、そしてBTといった脅威にも晒される。彼らから逃げたり戦ったりしながら、廃れた建物が残る荒れ地、勾配が急な雪山などを進み、待っている人のためにひたすら歩く。サムの懐には、BTの存在を感知できる“BB”という赤ちゃんがいるが、なにぶん赤ちゃんなので具体的なやり取りはできず、さらに自分を収めているポッドが急に揺れたりすると泣いてしまうため、配達していなくても動き方には気をつける必要がある。配達自体はシンプルだが、届けるまでが難しい。

ハシゴを足場にしたり、角度を見極めて安全な坂を登ったりと、プレイヤーによってさまざまな配達ルートが選べるのも本作の特徴だ。

 各地に点在する拠点“シティ”で“Qpid”というデバイスを使うと、周囲一帯の“カイラル通信”を復旧させることができる。これにより、本稿のテーマであるソーシャル・ストランド・システムが開放される。

 このシステムの範囲内では、オンライン上でつながっているプレイヤーたちの設備が自分の世界にも反映される。谷間に架かる橋や雨宿りのための休憩所といったものが、それまでなにもなかった場所に現れるという安心感は、初プレイから3年近く経ったいまも根強い。困難だらけの旅のなかで、自分と同じように闘っている人が世界にたくさんいるのだと分かると、今日はもう少し頑張ってみようと思えるものだった。

温泉で泳ぐBB。無邪気な仕草に癒される。

 設備を作るには資源が要るので、ソーシャル・ストランド・システムによって誰かが共有してくれるのは大きい。高低差の激しい山岳地帯は行き来するのも一苦労だが、誰かが建てたジップラインがあればあっという間。バッテリーを充電できる場所があれば、充電が切れそうなバイクや車を乗り捨てずに済む。

 プレイヤー間で設備を融通するのは便利だが、このシステムで誰かが実益を得るわけではないのも重要だ。自分が苦戦した場所にハシゴを架けたり、誰かのことを思って小さな拠点を作っても、報酬としてもらえるのは“いいね”という評価くらいで、お金がもらえるわけでもない。だが、いいねをされたら嬉しくなるし、今度は使った設備に対して自分もいいねをあげたくなる。誰かの役に立ったことがうれしくて、共有するための設備をもっと作ろうと思えてくる。そうした善意のつながりが、ソーシャル・ストランド・システムの核なのだろう。

 すでに書いたように、このシステムを利用するにはカイラル通信を復旧させておく必要がある。大陸全土で最初からプレイヤーたちの助けを借りられるわけではない。まずは独りで大陸を歩く過酷さを体験させつつ、その後ソーシャル・ストランド・システムでプレイヤー同士のつながりを噛み締める。ゲーム的なバランスなどもしっかり考慮されていた。

 『デス・ストランディング』の発売前後では、小島監督はさまざまなメディアで本作を説明する際、安倍公房の『なわ』と、そこで用いられている“棒”と“縄”という概念を引き合いに出している。すなわち、棒とは武器であり、相手を攻撃したり危険を遠ざけるためのもの。反対に縄とは、大切なものや良いものをつないで留め、あるいは引き寄せるためにある。ゲームは棒を使って攻撃し合うタイプが大半で、だからこそプレイヤーたちが縄でつながる作品を作りたかったようだ。ゲームやSNS上での『デス・ストランディング』の盛り上がりを見れば、監督の思いが結実しているのは間違いない。

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