『東方ダンマクカグラ』特集 Vol.1 「東方音楽とクラブミュージック」
kz(livetune)×REDALiCE×まろん(IOSYS)が語り合う“東方音楽とクラブミュージック”
「東方Project」の楽曲で遊ぶことができるスマートフォン向けリズムゲーム『東方ダンマクカグラ』。本作のハーフアニバーサリーを記念して、東方音楽の歴史や文脈に迫る本特集企画。その第一弾として、kz(livetune)、REDALiCE、まろん(IOSYS)による鼎談を行った。
長らく東方アレンジを手がけ、個人レーベル〈ALiCE'S EMOTiON〉から数々の東方リミックスCDをリリースし、同人音楽の一大イベント『MEGA PEER』を主宰していたREDALiCE。東方文化に影響を受け、いまTikTokで話題の「スカーレット警察のゲットーパトロール24時」を制作した音楽レーベル〈IOSYS〉へと新規加入したまろん、ボカロPとしてニコニコ動画経由でブレイクし、アレンジのほかにもいちファンとしても東方文化を見つめてきたkz(livetune)。この三名によるトークのテーマは「東方音楽とクラブミュージック」。
同人音楽としてマニアックなジャンルも取り入れ、さまざまなリスナーにとってクラブイベントやクラブミュージックの入り口として機能した東方アレンジ楽曲について、3人の視点から考えてもらった。(編集部)
「東方には何でも受け入れる懐の広さがある」
ーーまずはじめに、皆さんと東方楽曲との出会いをお話いただけますか?
REDALiCE:結構考えたんですけど、東方楽曲と初めて触れあったのがいつかは正直わからないです。気付いたら周りのみんながやってるから気になっていた、という感じなんですよ。
kz(livetune):ゲームと音楽、どちちが先でしたか?
REDALiCE:自分は音楽ですね。何の曲だったかは忘れちゃったんですが、まず曲を聞いてそれが気に入ったので、ゲームの方もプレイするようになりました。東方ボーカルアレンジブームの全盛期にIOSYSさんに声をかけてもらって、2007年にCDアルバム「東方萃翠酒酔」に収録した「taboo tears you up」が、僕のほぼほぼ初の東方アレンジ楽曲です。
ーー2004年にCOOL&CREATEの「東方ストライク」がリリースされ、そのころからボーカルアレンジが増えて、2007年くらいになるとかなり増えていたという印象です。
REDALiCE:そうですね。最初は珍しかったですよね、ボーカルアレンジは。
ーー当時はkzさんも、東方のコンテンツには触れていたのでしょうか?
kz:あのころはみんな見てましたからね。僕も多分そのぐらいの時期にニコニコ動画とかで見て曲を聞いて、その後に『東方妖々夢』などの作品に触れました。
ーー同人ゲームの音楽が、音楽だけ抜き出されて流行る現象が起こっていましたが、当時はどういう感覚でしたか?
REDALiCE:自分も始めは音楽ありきで、そのあとにゲームに触れるという順番だったので、不思議な感じですね。普通は逆ですから。でもやっぱりゲームもすごくよくできています。
kz:そもそもゲームがおもしろくなかったら流行らないですからね。僕は当時、『東方永夜抄』のスペルプラクティスモードをひたすらやっていました。繰り返しプレイしていると曲も何度も聞くので、愛着がわきますね。
ーーまろんさんはいかがですか? IOSYSと東方の最初の接点はなんだったのでしょうか?
まろん:僕は2016年にIOSYSに加入したので、最初はいちファンとして触れていました。IOSYSとの出会いはやっぱりニコニコ動画のランキングですね。文化としてはニコニコ動画の前身に「おもしろフラッシュ」が流行した、という背景があって、IOSYSもそういうFlash動画をMVで作っていたところから、より親しみやすかったのかもしれないです。インターネットの動画カルチャーの過渡期をつないだのが、当時のIOSYSが制作した、Flash的な手触りの動画だったのかなと思いますね。
kz:まろん君が東方に触れたのはいつごろなの?
まろん:13~14歳ぐらいのときに、東方の原作曲のゲームを遊んだのが初めてでした。そこからいろいろ調べていくうちに、東方原作やIOSYS、COOL&CREATEにたどり着いて、当時流行ってた同人サークルさんの曲もほとんど調べました。
kz:やっぱりあの当時のIOSYSが原点の人は多いよね。あのころはニコニコのランキングもわかりやすくて、みんな1位の動画はだいたい見てたんですよね。もちろん曲もすごくよかったし。
まろん:そんな中でも、IOSYSの曲は異質でしたね、いろんなネタを盛り込んで。
ーー当時流行のミームを片っ端から取り入れていましたし、今でもその熱量が持続しているのはすごいことですよね。
まろん:僕は、東方界隈が勢いづいて全盛期を迎えていたころのIOSYSを、そのまま現代に持ってくるイメージで制作しています。
kz:たしかにまろん君の曲は、あの当時のIOSYSを感じさせるよね。新参の感じがまったくしない。
ーー歴史も長く、ずっと覇権を握り続けるコンテンツですが、東方の音楽がご自身の制作に影響を与えていると感じることはありますか?
REDALiCE:直接的な影響ではないですが、東方アレンジの活動を通して、クリエイター同士の交流の幅は一気に広がりました。自分で『MEGA PEER』というライブイベントを企画して、kzさんに出演してもらったこともあったし。細々と活動していたら絶対に出会えない方と繋がって、大きな企画を一緒にやれたのは楽しかったですね。
kz:東方には何でも受け入れる懐の広さがあるので、僕も界隈外の人ながら、イベントに呼んでもらっていました。同人音楽の界隈って、身内で固まってしまいがちなんですが、輪を広げてもらえたのはすごくありがたいです。Alstroemeria RecordsのMasayoshi Minoshimaさん(編注:「Bad Apple!!」などを手がけたクリエイター)やIOSYSのARMさん(編注:「チルノのパーフェクトさんすう教室」などを手がけたクリエイター)など、そこで出会えた方々と10年後のいま、一緒に仕事ができるのはすごく大きい。
ーーそういう場があったからこそ、いまのコミュニティがあるわけですね。
kz:ちなみに赤さん(編注:REDALiCE)が東方の前に活動していたジャンルでは、クラブイベントなどはありました?
REDALiCE:オリジナル系の小規模なやつはたまにありましたけど、同人のいちジャンルのみで、クラブイベントを開いたっていうのはほとんど見たことがないですね。
まろん:ないですよね。いまでこそアニソンクラブイベントが浸透しつつありますが、これも元々はカラオケのオフ会の進化系なので。当時、クラブでイベントを開いたジャンルというのは東方が先駆けだったと思います。
ーーボカロではそういうイベントはあったんですか?
kz:ありましたね。『MEGA PEER』ほどの規模のものはなかったですけど、コミュニティはあったので。やっぱり巨大なコミュニティがないと、イベントって打てないんですよね。そういう意味では、2006〜2008年ころがすべてのターニングポイントです。
REDALiCE:界隈がバーッと盛り上がっていて、みんな何かやりたい衝動に駆られてました。
ーー東方アレンジのライブイベントでいうと、『Flowering Night』の1回目が2006年ですね。
kz:新宿ロフトで開催されて、すぐにチケットが売り切れていましたよね。そのあとが川崎のCLUB CITTAか。
REDALiCE:そのあとには幕張メッセだもん、本当にすごいよね。
kz:東方界隈じゃなくても、『MEGA PEER』と『Flowering Night』の話はめちゃくちゃ聞こえてきてましたからね。あんなに巨大なイベントをやっているジャンルなんてほかにないじゃないですか。
REDALiCE:しかも、いち個人でやってるようなものだもんね。
kz:傍から見たら異様な状況ですよね。あの規模のイベントって、企業が関わらないと普通はできないですよ。だから当時その規模感とか、盛り上がり方を外から見ていたクリエイターもみんな、「何らかの形で東方に関わってみたいな」と考えていたと思う。そんな中で僕は赤さんに誘ってもらえて、すごくありがたかったです。
REDALiCE:ほんとですか? 良かった。
kz:当時めちゃくちゃコミュ障だったから、俺は(笑)