絶対実現できないと思われた「ソラ参戦」 そこに至る『スマブラ』と桜井政博の「参戦史」を追う

独立後、再び岩田と共に『スマブラX』へ

 だが『スマブラ』の「オールスター」が実現した究極的な理由は、岩田の人脈でも、桜井の大胆なプレゼンでもなく、ひとえに桜井が物心ついたころから開発者としてのキャリアを歩み始めた後も、心底ゲームを愛し続けるゲーマーだったからだろう。

 マリオ、リンク、ドンキー、ピカチュウ……それぞれ全く別のゲームが原典でありながら、『スマブラ』という舞台では名キャラクターたちがほとんど違和感なく、しかもゲーム上のバランスも問題ないように忠実に移植され、同じ画面の中に動く。そんなことが可能なのは、天才的なゲームデザイナーにして、何より、その原典全てを遊び尽くしてしまう筋金入りのゲーマーである、桜井政博を除いては不可能だった。桜井は「オリジナルを作った人たちの顔が浮かぶ」と当時語っているように、『スマブラ』にはゲーマー桜井のリスペクトが今も込められ続けているのである。

 かくして実現したのが、後に20年以上世界に愛されるゲーム『スマブラ』だった。

 初代『スマブラ』にマリオとピカチュウが共演する……そんな奇跡の実現によって、『スマブラSP』に「ソラ」が参戦するに至ったのかと思えば、桜井政博の歩んだ道のりは計り知れない。なお初代『スマブラ』は発売されるや否や、すぐに話題となり日本だけで約200万本、世界では約555万本を売り上げている。

 2年後、ハル研究所は続編となる『大乱闘スマッシュブラザーズDX』を発売。ミュウツーなど新たなファイター参戦に加え、何より全スマブラの中で最もスピーディかつエッジィなゲームバランスに仕上がっており、国内外では『スマブラ』新作が出ても『DX』(海外では「Melee」と呼ばれる)を遊び続ける人も少なくないほどで、ニンテンドーゲームキューブで最も売れた作品でもある。

 丸一年、400日近く1日も休まず、40時間働いて4時間寝るといった、まさにクランチの極地のような状態で作ったようで、桜井の鬼気迫る執念が生み出した怪作と言えるだろう。

 桜井政博はハル研究所の入社早々、画期的なアイディアから『星のカービィ』のヒットを作り出し、あの岩田聡と汲んで創り上げた『スマブラ』は、全く新しい格闘アクションのゲームデザインをベースに、任天堂とそのセカンドパーティ全てを巻き込んだ夢のゲームを完成させた。ゲーマーでありながらゲームクリエイターという桜井のアイデンティティを詰め込んだ傑作に仕上げた。

 それだけに、2003年、桜井がハル研究所を退社するという発表は、業界にとっても驚きがあった。インディーゲーム文化が本格的に成立した今こそ、ゲームクリエイターが独立する事例は珍しくもないが、当時、日本でゲームを作る=ゲーム企業に所属することが基本であり、他社への移籍はまだしも裸一貫で独立する事例は非常に珍しかった。

 その決断について桜井は当時、「現在の体制のままゲームを作り続けていくことに無理を感じた」「開発者や会社のためではなく、お客さんのためにゲームを作ることを理解してもらいたい」と述べている。当時(そして現在も)ゲーム業界は、桜井がゲーム業界に入った当初と比べ、徐々に「大作化」の傾向が強まっており、作品を生み出すコストが年々増加していた上、リスクを嫌った企業は徐々に姿勢を硬直化させていたのだ。

 独立した桜井はセガと『そだてて!ムシキング』というたまごっちのようなゲーム、また当時のバンタイと『メテオス』という落ち物パズルを作るほか、ファミ通での連載や、各社のコンサル業など幅広く活躍。一方、『星のカービィ』や『スマブラ』など、かつて桜井が作った作品は、もう続編が見られないものと考えられていた。

 だがそんな桜井を再び任天堂、そして『スマブラ』へ引き戻したのは、桜井の師であり上司、あの岩田聡だった。

 同じハル研究所でタッグを汲んでいた岩田は、2002年、あの山内溥会長きっての願いで任天堂社長に就任。そんな彼が計画していたのが、革命的なゲームハード、「ニンテンドーDS」と「Wii」である。今までのゲームハードの延長線ではなく、全く新しい操作、全く新しいゲーム作品を次々に連発し、今までゲームに触れたことのないユーザーにまで届き売る傑作は、桜井が憂慮するゲーム業界の縮小を打破せしめた。

 そんな「Wii」の発表直後、岩田はホテルの自室に、すでにハル研究所を辞めていた桜井を呼び「新作『スマブラ』のディレクターとなってほしい」と頼み込む。桜井は一度迷い、もし自分が引き受けなければと聞き返すと「その場合、『スマブラDX』26体のファイター含めすべて一切変更せず作るように指示する」と、岩田は徹底して桜井の作家性を尊重する旨を、逆に言えば桜井がいなければ新作『スマブラ』はファンが満足できるものに仕上がらない旨を、半ば「脅す」(岩田談)形で桜井に強く訴えた。

 すでに『スマブラ』開発から退いた桜井だが、岩田を含め各関係者から「桜井が作らないスマブラは、作っても仕方ない」とさえ言われ、再び地獄の戦場、もとい『スマブラ』開発へ乗り出す。それも、当初依頼されていた案件を全て断り、東京、高田馬場にわざわざ一からオフィスを借りる。「『スマブラ』をつくるためには、本当に、すべてを捨てきらないとダメなぐらいやらないといけない」と桜井は振り返る。無論そのための環境に任天堂は全力で投資した(参考:https://www.nintendo.co.jp/wii/interview/rsbj/vol1/index2.html)。

 かくして2008年に発売されたのが、『大乱闘スマッシュブラザーズ X』だ。全くゼロから桜井と100名のスタッフにより、Wiiという新ハードに向けて再構築された『スマブラ』はそれだけで一大事業だが、何よりも驚いたのは、ある2人のファイターの参戦だった。

 それは、ソニックとスネーク。ソニックといえば、セガの大人気ゲーム『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』、そしてスネークは、コナミの『メタルギアシリーズ』の一部主人公、ソリッド・スネークだ。そう、元はと言えば「ニンテンドウオールスター!」だった『スマブラ』に、ついに任天堂「外」のキャラクターが参戦してしまったのである。

 特にスネークは、あの『メタルギア』の小島秀夫監督と桜井が交友があった上、コナミとの相互理解、一方で任天堂の世界観との合意、全ての関門をクリアしたまさに一大事業。さらにスネークばかりではなく、専用アクションの無線を通じてキャンベル、オタコン、メイ・リンなどお馴染みの面々まで「参戦」する豪華ぶりだった。これは任天堂作品でありながら、桜井はあくまで独立した立場故に実現した、まさに『スマブラ』のドリームだろう。

 さらに2014年、Wii Uと3DSで同時展開された『大乱闘スマッシュブラザーズ for Nintendo 3DS / Wii U』では、カプコンの『ストリートファイター』からリュウ、『ロックマン』からロックマンが、プラチナゲームズの『ベヨネッタ』からベヨネッタが、そして極めつけにスクウェア・エニックス『FINAL FANTASY VII』からクラウドが参戦した。

 クラウドは、スクエニ作品そして『FF』として最も人気のあるキャラクターに選ばれただけに長らく参戦が希望されたキャラクターだった。ただしゲーム業界的には『FF7』は当時のスクウェアが任天堂からソニーへ供給先を変更したこと、デジキューブの流通に際して任天堂の手法に批判的だったこと、創業者同士の諍いなど諸々が絡み、要はスクウェアと任天堂が決別する象徴的な作品でもある。結局、スクエニ合併後、和田洋一社長の謝罪で両社の関係は回復するものの、それでも『FF7』は両社にとって亀裂を生んだ後ろめたい作品だったことに違いない(参考:https://note.com/waday/n/n27fb1b6a2838)。

 その「両社」のゴタゴタに縛られないのも、フリーという立場を選んだ桜井ならではだったのではないか。「クラウド参戦」は任天堂という社の枠組みさえ超えた可能性を見せた。

 そして2018年、ついに『大乱闘スマッシュブラザーズ SPECIAL』が発売。ついに「全ファイター参戦」が発表され、これまで『スマブラ』新作発表の度にあった「誰がリストラされるのか」と不安視を全て覆される。

 そのファイター数、DLCを含めれば82体。82体である。桜井氏自身「今回全員参戦は奇跡で、最初で最後だと思っています。」と述懐するように、これまでも、そしてこれからも、およそ一本のゲームで実現する究極のクロスオーバーが『スマブラSP』だった。

 マリオ、ソニック、ピカチュウ、スネーク、クラウドといった歴代ファイターに加え、『スプラトゥーン』からインクリング、『悪魔城ドラキュラ』からシモン、リヒター、更にダウンロードコンテンツでは『ペルソナ』からジョーカー、『バンジョーとカズーイの大冒険』からバンジョー&カズーイ、さらには『ドラゴンクエスト』からは各作品の勇者が駆け付けた。

 なかでも『Minecraft』からスティーブ&アレックスが参戦したことは、『スマブラ』初、完全な独立資本で最初作られたゲーム=インディーゲームの参戦として非常に感慨深かったことを筆者は記憶している。

 そして10月に発表された、ソラ。その実現がどれほど難しいかは冒頭に書いた通り。一体どれほど長く、そして複雑な交渉があったのか定かではない。しかし、ついに『スマブラ』はビデオゲームにおいていまだかつてない、そしてこれからも恐らくない、国家も、企業も、媒体さえ超えた、究極のコラボレーションゲームをたった一本で結実させた、文化遺産級の作品にまで到達した。

 桜井曰く、この『スマブラSP』は、いまは亡き岩田からの、最後のミッションだったという。そして『スマブラSP』を最高のゲームにすることこそ、岩田に対する何よりの手向けだった(参考:https://www.famitsu.com/news/202001/31191758.html)。

 桜井は岩田について、生涯でいちばんの上司であり、いちばんの理解者だったと振り返る。同時に岩田は、決して怒りを表面に出さない人徳者であり、部下の主張をすぐに理解できる頭脳明晰な人間であり、未開拓の仕事も勉強と共に挑戦する努力の人であり、矢面に立ってでもファンに説明するオープンかつサービス旺盛な人であり、何より人の気持ちがわかる人だったとも語る。

 21世紀の任天堂が歩むべき道筋を作った岩田と、前代未聞のクロスオーバーを成し遂げた桜井。2人はただ初代『スマブラ』のプロトタイプを作った時のみならず、『スマブラDX』の開発が難航している時、また一度フリーになった桜井を『スマブラX』に引き入れた時、『スマブラSP』にソラが参戦するまでの間、幾度も支えあい、またゲーム業界を牽引する関係だったのではないかと思う。

 『スマブラSP』のソラ参戦。そこへ至る道筋は、筆者には想像もできないほど長く、険しい道のりだったに違いないが、そこに希代のゲーマーにしてゲームデザイナー桜井政博と、桜井にとって最良の上司であり理解者だった岩田聡、この2人がいなければ、決して実現することはなかっただろう。

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