『スマブラDX』の功績:「ゆかいなeスポーツ」の誕生と〈競技〉/〈遊戯〉の両義性

 『スマブラDX(大乱闘スマッシュブラザーズデラックス)』とは、任天堂の大人気「対戦アクションゲーム」シリーズだ。いや、シリーズディレクター・桜井政博にならって「ゆかいなパーティゲーム」と呼ぶのが正しいかもしれない。

 マリオやピカチュウ、カービィといった有名キャラクターたちが殴りあったり蹴りつけあったり、ときには踏んづけあったりして相手を吹っ飛ばした方が勝ち、という「ゆかいな」としか言いようがない対戦ゲームである。本作はシリーズの第2作目にあたり、今年(2021年)で発売20周年を迎える。

〈競技〉としての『スマブラ』

 ゲーマーの間では、「日本人初のプロスマブラプレイヤー(スマブラー)」を生んだ作品として知られているだろう。2014年、aMSa(アムサ)というプレイヤーがゲームの動画配信を行う団体VGBootCampとスポンサー契約をし、晴れて「日本人初プロスマブラー」となった(1)。そしていまや年間10億ドルともいわれる市場規模のeスポーツ業界に、日本のスマブラプライヤーたちが参入していく下地を築いたのである(2)。

 「パーティゲームの『プロ』とはどういうことなんだ?」と思われるかもしれないが、ここにはちゃんとした事情がある。というのは、『DX』はもともとアメリカで「格ゲー」としてプレイされていたのだ。アメリカでは本作の発売直後からさまざまな大会が開かれ、2006年には北米最大のゲームイベント「Major League Gaming」の競技種目として採用された(3)。

 なぜパーティゲームに過ぎない『スマブラ』が、「格ゲー」として、いわばある種の「競技」としてプレイされるようになったのか。理由はかんたんで、操作難易度が高いからだ。

 『DX』はとにかく操作テクニックの複雑な作品として知られている。ゲーマーでない方に一言で説明するならば、本作は「世界一指を速く動かさなければならない格ゲー」なのだ(そもそも「格ゲー」なのかということも含めて諸説あるが)。プレイ動画を見てもらえばそのゲームスピードが一目で理解できるだろう。

 ゲームをまったくやらない人からすれば「どうして攻撃が当たらないところでそんなにウロウロしているんだ」と思うかもしれないが、あれはすべてフェイント(ステップという)である。ほかにも1フレーム(60分の1秒)単位の操作精度が要求される場面もあるなど、とにかく異常なまでの操作難易度が格ゲーオタクたちに火を付け、競技シーンを確立していったのだ。

 ところがこのことは、もともとの『スマブラ』のコンセプトを破壊してしまったともよく言われることである。というのも、シリーズ第1作の『ニンテンドウオールスター! 大乱闘スマッシュブラザーズ』(Nintendo 64、1999)は「アンチ格ゲー」として、すなわち上述したような高度なテクニックを身に着けなくても誰でも簡単に遊べる対戦ゲームとして開発されたからだ。例えばディレクターの桜井は、「対戦」のおもしろさを認めつつも、しばしば格闘ゲームの極端な競技性や敷居の高さに難色を示すような発言をしていた。

「本来『スマブラ』は日々マニアだけのものになっていく格闘ゲームに対するアンチテーゼとして作られたハズ。なのに、(筆者注:『DX』では)ゲームに慣れた人に向けた仕組みにしてどうする?」(4)

「初代『ストリートファイターⅡ』は、やっぱり対戦が面白かったわけです。その後、山のようにシリーズや亜流作品が出て対戦バランスは洗練されていきました。反面、それがなぜか物足りなかったような記憶があります」(5)

 ここでは格ゲーが「競技」としての公平性を求めるあまり、戦法が高度に最適化されていったり、キャラクターごとの個性が消えてしまったりすることへのネガティブな感情が表れている。だからこそ『スマブラ』ではマリオとカービィといった、身長や体重もまるっきり違うキャラクター同士が「ちぐはぐ」な戦闘を行うことそれ自体のおもしろさを追求していたわけで、そのことは初代『スマブラ』に対してなされた「『勝つ』よりも『楽しめる』ことを祈って」(6)という言葉にも象徴されている。

 桜井は、ゲームに潜む〈競技〉性よりも〈遊戯〉の精神に則ってゲームを設計していくデザイナーであると言えよう。ここで言う〈競技〉〈遊戯〉の定義は、ロジェ・カイヨワ著『遊びと人間』にならい、「外部化された勝利条件を追求するもの」を〈競技〉、「自己目的化した快楽を追求するもの」を〈遊戯〉としておこう。

 初代『スマブラ』は個性的なキャラクターたちを操作すること自体の〈遊戯〉精神を期待して作られたものだったが、2作目の『DX』において「勝利」を追求する〈競技〉性が極端に強調されてしまった。桜井はこれを反省し『DX』以降のシリーズについて「『スマブラDX』ほどマニアが手応えを得られる仕様のものは出ないだろう」(7)とまで発言するくらいだった。

 だが、このように『スマブラ』が〈競技〉化していたことには一定の、いや、大きな意義があった。日本のeスポーツ業界に多大に貢献したという意味ではもちろんのこと、『スマブラ』の持つ〈遊戯〉精神がむしろ〈競技〉の中でこそ再発見されたとも考えられるからだ。

〈競技〉が浮き彫りにする『スマブラ』の〈遊戯〉性

 例えば前述した日本人初プロスマブラー、aMSaのプレイスタイルを見てみよう。aMSaは「世界一のヨッシー使い」として知られているが、実はヨッシーはいわゆる「強いキャラクター」ではない。むしろ、彼が競技シーンで活躍するまでは「ザコキャラ」としてみられていたくらいだ。それでも彼がヨッシーを選択し続けてきたのは、単に「ヨッシーが好きだから、使っていて楽しいから」といった理由だ(8)。「勝利」を最優先するならば、より性能が優れているとされている(フォックスやシークといった)キャラクターを選ぶべきだが、aMSaは頑なにヨッシーだけを選び続け、その独自のプレイスタイルが見る者を魅了してもいる。

 ここには〈競技〉に最適化するべきなのに「あえて」、〈遊戯〉に徹するという逆説が存在する。勝利への情熱と同じくらい、時にはそれ以上に、単に「自分が楽しいと思えるプレイスタイルを極めたい」という〈遊戯〉精神が発揮されていることが、彼のプレイスタイルの一つの魅力だろう。

「僕のプレイはよく『強さのベクトルが違う』と言われる。対戦結果よりも理想とするプレイの完成を目指す僕にとっては何よりのほめ言葉だ」(9)

 こういう「理想とするプレイスタイルの完成を目指す」タイプの選手は、eスポーツではなく「スポーツ」業界のトップアスリートにも存在していたことを思い出せる。例えば競泳のマイケル・フェルプスといえば、2008年の北京オリンピックで8個の金メダルを獲得(史上最多)し、しかもそのうち7つが世界新記録という脅威的な実績を残した「もっとも偉大なオリンピック選手」だ(10)。

 彼の強さの秘訣は(相手に)勝つことよりも(自分の)「スキルとの競争」に注力していたことだと分析されている(11)。例えば競泳では、ゴールタッチ直前では息継ぎをせず最後の力を振り絞ってラストスパートをかける、というのが定石とされている。しかしフェルプスは最後の25mを泳ぎきるまで一ストローク一呼吸を続けるというスタイルを貫いた。彼が得意としている「ターン後の潜水」のデメリットを最小化するためだ。潜水時間が長くなればなるほど後半の体力消耗が激しくなるため、ゴール直前であっても息継ぎのペースを変えなかった、その方が(自分にとっては)速く泳げると判断したわけである。

 つまり盲目的に「勝利に最適化された(と思われている)行動」をなぞるだけではなく、それに加えて自分なりのプレイスタイル(遊戯)を追求することが、かえって「勝利」に近づく、ということがあり得るのだ。aMSaが単に「強キャラ」を選ぶということをせず、ヨッシーのパフォーマンスを最大化させることで実績を残しているように。

 「勝利」に最適化した行動は、(特にデジタルゲームであれば)データからある程度までは導き出せる。『スマブラ』であれば「どの技がどれくらいの強さでどれくらいの速さで繰り出されるのか」といったことを調べるのは時代が下るにつれてかんたんになっているし、最近ではそのような情報が公式から発表されるくらいである。

 しかし、その行動に自分の「身体」がどれだけ適合するのかはやってみなければわからない。そしてそもそもそれをやっていて楽しいのか、つまらないのかということもやってみなければわからないし、つまらないのだったら自分が再現する必要はない。どんな行動を取ればいいのかはすでにわかっているのだから。

 「自分の身体」という乱数が追加されたときに、どのようなプレイスタイルが最も効果的なのか。どのキャラクターを選んだときにパフォーマンスが最大化されるのか。それは〈遊戯〉の中でこそ発見されるものである。そして『スマブラ』においてはその選択肢が多様であることを、「世界一のヨッシー使い」aMSaが示してくれているのである。

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