本日『女神異聞録ペルソナ』25周年 人気シリーズの原点が”ジュブナイルRPG”として語り継がれる理由

「女神異聞録ペルソナ」がジュブナイルRPGである理由

 「ペルソナ」シリーズはよく”ジュブナイルRPGの名作”として挙げられることが多い。事実、シリーズ展開をまとめた公式ページにも、「現代日本の街を舞台に学校生活や友情、恋愛などの身近な出来事を体験しながら、同時に不可思議な噂や都市伝説などオカルティックな事件に立ち向かうジュブナイルRPGシリーズ」としっかり記載されている。この文言通り、本シリーズが”ジュブナイルの側面を強く押し出している”という点は、コミュニティ間と開発陣の両方でおおむね認識されていると言って良いだろう。

「ペルソナ」シリーズ 公式サイト

 しかし、今一度振り返ってみると、「女神転生」シリーズおよび「真・女神転生」シリーズも同じように若者を主体としているタイトルが多い。例えば「中島朱実」(デジタル・デビル物語 女神転生)や「ヒーロー」(真・女神転生)など、本稿で取り上げた各タイトルの主人公はいずれも少年であり、人間的にも成熟しきっていない。主役は若者という部分に関して言えば、後年に発売された『女神異聞録』との共通性が見受けられる。

 だが、『女神異聞録』から生まれた「ペルソナ」シリーズと従来シリーズとでは、世界観や描かれているテーマが似ているようで異なっていた。「女神転生」や「真・女神転生」はキャラクターの人間性を掘り下げると言うよりも、全編にわたって人間と悪魔・神々の戦いに終始し、終末的な空気感が常に漂っている。実際に『真・女神転生』を例に挙げると、「悪魔と手を組んだ革命家が行政を支配下に置く」・「ICBMが東京に落ちて壊滅的な被害を招く」……等々、1990年代の日本を舞台にしていることもあり、世界が崩壊していくさまがより現実味を帯びていた。

 対して『女神異聞録』は、登場人物の人間性、並びに少年少女が織りなす関係性にフォーカスしていたように思う。「ペルソナ=人格の力」と述べたが、本作は一貫して”自分と向き合うことの尊さ”を描いているのが特徴であり、メインキャラクターは思春期を迎えた高校生で、子供と大人の間で揺れ動く精神もまだまだ青いからだ。

 大なり小なり、彼ら(彼女ら)は乗り越えるべき課題を抱えている。誰からも好かれるアイドルかと思えば、「人に嫌われることを恐れて良い子を演じている」。由緒正しき生まれで不自由なく暮らしているように見えても、「合理的に考えるがあまり他人を見下して心を開かない」。作中では、そうした誰でにも生じうるコンプレックス・悩み・トラウマがペルソナの発現を伴って明らかとなる。そうしてあぶり出された課題を前に若者が葛藤を繰り返し、明確な手段や暫定的なものであれ、未熟ながらも自分なりの答えを導きだしていく。この過程こそ、『女神異聞録』と「ペルソナ」シリーズがジュブナイルRPGの名作と呼ばれる最大の所以ではないだろうか。

Persona アトラス公式サイトより

 「秩序を求めるか、混沌を望むか」といった大局的な思想の差異を描いた従来シリーズに対し、日常から非日常へ巻き込まれた人間の差異に着目した『女神異聞録』。本作は昨今の「ペルソナ」シリーズとゲームシステムが大きく異なるほか、テンポ感の悪さも否めない。はっきり言って今から遊ぶとなると、ノンストレスで快適なプレイを求めるのは難しいだろう。とは言え、「ペルソナ」シリーズの原点たる『女神異聞録』の魅力は今なお色あせていない。多少の煩わしさを乗り越えてでも、本作のストーリー展開を体験する価値は大いにある。プレイ手段こそ限られているが、興味のある方は一度手にとってみて欲しい傑作だ。

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