東北在住の英国人が、教師を辞めて世界的YouTuberになるまでの話
真実を伝えた福島のドキュメンタリー
日本に来たからには、必ず撮りたいと思っていたのが福島の現状を伝えるドキュメンタリーです。海外における福島のイメージは決して良好なものとは言えず、イギリスやアメリカの友人に「東北在住」というと「原発事故が起こった福島があるところだ」と驚かれます。YouTubeのコメント欄にも、「福島は危険なところだろう」といった書き込みが見られます。福島というキーワードを検索すると、恐ろしい内容ばかりが出てくるので仕方のないことかもしれません。
しかし、福島全土が危険なわけではありません。福島県はとても広く、危険とされているのは海側に面した原子力発電所を含む一部の土地であって、会津若松や郡山は安全です。「危険だ」というのは偏ったイメージによる風評被害に他ならず、私はそれを壊したいと常々思っていました。また、私も日本に住んでからの7年間、毎日のように福島に関するニュースは耳にしていたので、自分の目で確かめる必要性を感じていました。
福島のドキュメンタリーを撮影するために、立入禁止区域にも行きました。津波で破壊された街や村、草が生い茂った道を目にするたびに、とても感傷的になりました。しかし、伝えたかったことは原発の恐ろしさや悲惨さではなく、そこで生活している人々の力強さです。
例えば、津波の後、飼育していた牛を全頭殺処分するようにと行政に言い渡された、畜産業の男性と出会いました。言うまでもなく、この牛たちはペットではありません。生活を守るためには処分もやむなし、と考えることもできますが、彼は牛たちを殺すことができず、いまもパイナップルの皮を与えながら、その命を守り続けています。彼の生き方は、人々の心に訴えかける力強いメッセージになったはずです。
彼のエピソードを筆頭に、福島の現状を伝えられたことを誇らしく思っています。津波と福島に関するドキュメンタリーは1度で終わりではなく、いまも作り続けています。
YouTuberとして、視聴者には笑いや発見を届けたい。アイディはどんどん湧いてきて、枯渇することはありません。
映像の幅を広げクオリティを支える「Tokyo Creative」
ここ数年は個人レベルの動画の範疇を超え、テレビのドキュメンタリーと変わらないクオリティの作品を届けていると自負していますが、その影には「Tokyo Creative」の存在があります。
Tokyo Creativeの前身は、ジャンルの垣根を超えて外国人YouTuberをコラボさせ、日本全都道府県を紹介する動画を制作する「odigo travel」というメディアプラットフォームでした。私も一緒に全国を回りYouTube動画を作りましたが、それを機にTokyo Creativeは単なるスポンサーやマネージャーといった立場ではなく、国内外で日本に関するコンテンツを制作している外国人YouTuberのプロダクションサポートを幅広く行なっており、クリエイティブチームとしての立ち位置をとってくれています。例えば、2019年にHYDEさんのドキュメンタリーを作ったことがありますが、その規模とHYDEさんのアーティストとしての知名度の高さを考慮し、ディレクションの大部分は自分で担当するものの、通常とは異なる趣を出そうと考えました。そこで、アーティスティックな映像製作が得意なメンバーを揃えたいとTokyo Creativeにリクエストし、優秀なメンバーを集めてもらったのです。
また、毎日のように宣伝やパートナーシップのオファーが来ますが、アクセスが難しい場所を紹介する動画などを作りたいときにも、同じクリエイティブ目線を持っているTokyo Creativeが交渉や手配を担ってくれます。
限界に挑んだ自転車日本縦断「Journey Across Japan」
「Abroad in Japan」の目玉となる動画に、自転車で日本を縦断した「Journey Across Japan」というものがあります。これは私のバケットリストの上位にあった企画でしたが、大掛かりな内容のため、実現できるかどうか定かではありませんでした。しかし、行動に移さなければ何も始まらない。そこで、2018年にTokyo Creativeに提案したのです。すると、話はとんとん拍子に進み、友人のドキュメンタリーを作り終わったタイミングで実行するということになりました。
実は、その友人のドキュメンタリーというのは1時間半もので、編集作業に4ヶ月もかかっていたのです。4ヶ月も部屋にこもっていると、対照的なことをしたくなるもの。それに自転車で日本縦断すれば外に出る理由にもなりますし、デスクワーク続きでなまった体を強制的に動かすことで、健康も取り戻せると期待もしていました。
「Journey Across Japan」は私単独の企画ではなく、Tokyo Creativeとのチームプロジェクトとなりました。Tokyo Creativeのスタッフが常に3人ほど旅に加わり、先回りしてホテルを手配してくれたり、安全確保と部分的な撮影のために車で併走してくれました。それでも9時起床で50キロ以上走り、人と会って撮影をして、5時に夕食、夜9時から朝方4時まで編集作業という日々を送るのは想像以上に消耗しました。
第一、この企画には脚本がなかったのです。視聴者にも共に旅を楽しんでもらえるよう、以前から私のYouTubeチャンネルに出演しているお馴染みの仲の良いメンバーがゲストとして6人参加してくれましたが、毎日が行き当たりばったりでした。それが悪いという意味ではまったくなく、だからこそ予定調和な内容にならず、幽霊トンネルを訪れたり、とても小柄な大食いチャンピオンと食事をしたり、充実した時間を過ごしました。
見ず知らずの人たちとの思いがけない出会いもありました。女性が急に立ち止まりビスケットをくれたのも印象的でしたし、岡山では女性が柿をくれました。大阪のアメリカ村で知らない人たちと飲み交わしたこともあります。どれをとっても素晴らしい時間だったことには間違いありません。
ただ、そうは言っても、脚本のないこの企画を連日5時間睡眠でこなすのは並大抵のことではありませんでした。当初の計画では動画を毎日アップロードするはずでしたが、徐々に3日おき、5日おき、最後は2週間おきといった具合に間隔をあけることになり、最終定には2ヶ月で28本という結果になりました。「Journey Across Japan」は特設ページを作り、そこにゲストメンバーの写真やルートを地図を掲載しています。地図をみると、初期の頃は頻繁に動画をアップしているものの、後半になるとポツンポツンとしか動画が作られていないのがわかると思います。
この企画の動画はすでに何百万人もの人たちに楽しんでもらえています。新潟、福井、岡山といった外国人観光客にとってマイナーな場所を紹介することができましたし、瀬戸内街道を自転車で渡ったエピソードは自信作です。 難しい挑戦でしたが、「Journey Across Japan」を通して、日本についての知られざるディープな情報を伝えられたと思っています。
しかし、プロジェクトをやり遂げた後の私は、3ヶ月は全く使い物になりませんでした。2ヶ月もの間ぶっ通しで自転車を漕いで、撮影して編集して……という日々を送っていたので、肉体的に限界がきていたのでしょう。そして、訪れる場所を告知していたことで、そのエピソードを待ち望む声が多く寄せられ、「早く期待に応えなければ」と精神的にも追い詰められていました。
いまでもこのプロジェクトをやって正解だったと信じていますが、反省するべき点があるなら、編集者は雇うべきだったと思います。自分ひとりで背負いがちなのが私の悪い癖です。撮影も編集もコントロールしたいと思っていましたが、すべてを一人で賄うことは無理があったのです。