外国人YouTuberの僕が、東日本大震災翌年に移住した日本で感じた“難しさ”

英YouTuberが震災翌年の日本で感じたこと

 世界に向けて日本の魅力を発信し続けている英国人YouTuber、クリス・ブロードによる連載『ガイドブックに載ってない日本』。第二回では、ついに日本に降り立ったクリスが英語教師として奮闘していた時期を振り返ってもらった。東日本大震災の翌年に始まった日本生活は、どのようなスタートを切ったのか。日本で語学を教えることの難しさや楽しさ、成功体験から失敗談まで、赤裸々に語ってもらった。

第0回:外国人YouTuberである僕が「日本人が見落としている日本の魅力」を伝えるためにできること
第1回:外国人YouTuberの僕が、“奇妙ではない”日本のアイデンティティに惹かれた理由

初めて触れる日本文化と戸惑い

 私が日本にやってきたのは2012年、あの東日本大震災の翌年のことです。赴任先は、福島県にほど近い山形県。東北の状況は自分でも調べ、周囲からは「危険なのではないか」と、この時期に移住することのリスクについても聞かされましたが、日本に対する興味の方が大きく、新しい土地に来られることを楽しみにしていました。

 しかし、山形という私にとって未知の土地での生活は、順風満帆ではありませんでした。

 教師として学校に向かう初日、30度を超える酷く蒸し暑い日だったことを鮮明に覚えています。エアコンのない部屋で、教師らしい清潔感のある格好をしようと片手に悪戦苦闘。恐る恐る学校の門をくぐり、最初の試練は校長先生とのコミュニケーションでした。

 いまも記憶に焼き付いているのは、校長先生が自己紹介をされたあと、1分ほど沈黙が流れたこと。イギリスではこのような沈黙を経験したことがなかったので、自分が気づかないところで何か失礼を働き、気分を害してしまったのかと、本気で心配しました。その後も居心地の悪さを感じ、校長先生から嫌われているのではないか、という邪推、疑念が拭えなかったものです。

 後々、他の英語教師たちも同じように沈黙する様子を見て、これは日本の文化なのだということを知りました。日本人は隙間を埋めるように忙しく話すのではなく、沈黙を通じてリフレッシュしたり、思考を巡らせたり、他人の意見を噛み砕いて飲み込んだりするのだと。また、他人とそうした時間を共有することで、居心地の良さも感じる。これはイギリス人の私にはない発想でした。

 また、私を混乱させた日本文化のひとつに、「間接的に伝える」というものがあります。冬にTシャツを着ていると、生徒や同僚の先生方から「寒そうだね」「寒くないの? 」と聞かれることが多々ありましたが、それは「長袖のシャツを着たらどうか」と遠回しに伝えてくれているのだ気づくまでに、かなり時間がかかりました。

 私は言葉通りの意味に捉えて、単純に「寒くないですよ」と答えていたのですが、彼らは私を傷つけないよう、礼儀正しくアドバイスをしてくれていたのだと思います。

 私は日本に住むようになって9年目に入りましたが、イギリスでは日常茶飯事だった、街で人が口論している様子を見たことがありません。日本人は家のなかで声を荒げることがあったとしても、公共の場では基本的に、とても礼儀正しい。「本音と建前」という文化に戸惑う部分はありましたが、それが日本人の奥ゆかしさ、礼儀正しさにつながっていると、いまは理解しています。

悩み苦しんだ9ヶ月

 私が配属されたのは、東北にあるALT(外国語指導助手)導入校の2校のうちの1校でした。そこには、ニュージーランドからやってきたダンという英語教師がいたのですが、彼は流暢な日本語を話し、漢字検定1級にも合格しているという優秀さ。当時の私はと言えば、日本語はからっきしで、生徒が話しかけてきてくれても、「すみません、何を言っているのかわかりません」という状態で、教師として手応えを得ることもなく、引け目を感じていました。

 異国で言葉をうまく話せず、自分がやるべきこと、やりたいことができない辛さは表現しがたいほど大きく、実際に、日本で教えることに喜びを感じられず、1年間で帰国してしまう英語教師もいます。私も最初の9ヶ月は、思い出すのも憚られるほど辛い時期を過ごしました。授業の進め方についても勝手がわからず、過度なまでに、生徒が楽しみやすいクイズやゲームに時間を割いていましたし、英語の教科書にネイティブからするとおかしな表現を見つけて笑ったりと、一生懸命であっても、生徒に対していい学びの時間を与えてあげられなかったと後悔しています。

 しかし、それで教師を辞めてしまったら、自分を支えてくれた人たち、日本に来るきっかけを与えてくれた人たちに申し訳が立たない。自分の居場所を作るためには、その場で自分が信頼に値する人間であることを証明しなければなりません。そこで熱心に日本語を学ぶようになり、すると、状況はやはり好転し始めたんです。

 日本語を学ぶにつれて、生徒たちは気軽に私のもとを訪れ、会話を楽しんでくれるようになりましたし、彼らとの交流が増えていくなかで、教師としてできることも増え、信頼も厚くなっていきました。一時は2年目の契約を更新するかどうか悩んでいたことが嘘のように、やりがいを見出せるようになっていったんです。

試験のためではなく、生きた英語を教えたい

 最初の一年が終わり3月を迎えたとき、学校に新しい先生が配属されました。女性の先生でしたが、彼女はとても地に足のついた人で、私に「もっとクリスらしく授業をしたほうがいい」と助言してくれたんです。

 そのときにはYouTuberとしての活動も始めており、5~6本の動画を配信していたのですが、彼女はそのことも知っていてくれて、その上で、自分だけの能力を授業にもっと活かすべきだと伝えてくれました。私は1年間で自分の居場所を作り、周囲を観察して、日本ならではのシステムを理解することに努めてきました。そうして徐々に自信がついてきたなかで、その先の一歩を踏み出すための背中を押してくれたのが、彼女の言葉だったんです。

 私はかわいい生徒たちに、「もっと生きた英語を教えたい」と考えました。日本の英語教育は、会話力を身につけるものというより、試験をパスさせることに重きを置いているため、「言語を学ぶ」という意味では、ベストなものとは思えなかった。私は英語をただの「試験科目」ではなく、「身近なツール」として感じてほしかったので、より実用的な授業にしていこうと考えました。私が必死に日本語を学んだのは、試験に合格するためでなく、日本の人たちときちんとコミュニケーションを取り、そこを自分の居場所にして、周囲にいい影響を与えるためだったからです。

 授業の方針を変えるとともに、生徒たちの意識改革も行いました。日本ではディベートの指導をしませんが、海外では、自分の意見を持って発言することが重要です。例えば、イギリスで日本のように受け身に振る舞えば、チャンスを失ってしまう。実際に海外でコミュニケーションをとることを視野に入れるなら、日本語を話すときと英語を話すときでは、別人格になるくらいの意識を持つべきだと伝えました。

 私の良き友人に、Ryotaro Sakuraiという人がいます。彼は、かつてロンドン、シアトル、ドイツに住んでおり、英語と日本語を流暢に話しますが、まさに話す言語によって違う人間のように感じられます。ロンドンなまりの流暢な英語を話すときは、ハッキリとした物言いで、FワードやSワードも飛び出します。しかし、日本語を話す時は礼儀正しく、丁寧な言葉遣いになる。相手によって態度を変える、ということではなく、その場に適した振る舞いをしているということです。私は、生徒たちに別人格を作るようにと話すときは、いつだって彼の話をします。

 また、英語を学ぶ上では「沈黙」が役に立たないことも伝えました。クラスに積極的に参加し、意見を交換する重要性を説いたんです。アメリカやイギリスに行ったことがない子たちは、こういったことを知りませんし、試験のことだけを考えるなら、それでもいいのかもしれない。しかし英語教師としては、いつか海外に行って素晴らしい体験ができるように、生徒の意識を変えていくことは欠かせないと考えました。

 その上で重要なのは、間違えることを恐れない姿勢です。私は生徒に、「間違えることはおかしいことではない」と繰り返し伝えました。生徒が間違えたときに、「正解ではないけれど、よく発言したね」と、間違いを正しながら、その努力を褒めるようにしたんです。より親密になり、モチベーションを高めてもらうために、ときには“賄賂”を渡したことも。コンビニに連れて行って、お菓子を買ってあげたり(笑)。もちろん、そのことで英語を学ぶ姿勢が変化した子もいれば、変化しない子もいましたが、少しでも楽しく学んでほしかったんです。

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