緊急事態宣言下でさらに注目 コロナ禍で誕生した「食送付エンタメ」の現在
年末年始、皆さまはどうお過ごしだっただろうか。
例年であれば会食の増える時期であるが、COVID-19感染者数の増加を見て、会食を控えたという方も多いのではないか。リモート飲み会をしたり、いつも一緒にいる人とテイクアウトや出前で食事を楽しんだといういう方もいるだろう。
そんな食文化は、リモート文化と組み合わさって、新しい進化を遂げている。
本稿ではその変化の一つとして、「食を送る」という楽しみ方の新しい形が様々なフィールドに生まれてきたことを紹介し、この「食送付エンタメ」文化の性質を考察していきたい。
年賀状を“食べる”
まず最初に紹介したいのは、株式会社味の海翁堂南部庵の「食べられる年賀状」である。
これは、魚肉シートにフードプリンターで年賀状の画像を印刷したというユニークな商品だ。商品は透明なビニールで包装されており、その上に切手を貼ると年賀郵便として郵送できる。
この「食べられる年賀状」には、「お年賀ギフト」とは違う魅力がある。
通常、人がものをもらう場合、「手紙」と「贈り物」を異なるカテゴライズで捉えているのではないか。
「贈り物」にはもちろん送り主のチョイスが反映されるが、送り主からのメッセージ性がより強く出るのは「手紙」の方であり、「食べられる年賀状」はこのカテゴライズをズラす。
本商品は手紙をビニール一枚で覆ってはいるが、それ以外にはほとんど包装がないと言っていい。「メッセージ」と「食」が一つになっているのである。コロナ禍では「接触」が極力避けられてきたが、本商品は様々な人の手を通って郵送されてくる。ビニール一枚を通して、様々な手が本商品を運ぶ。
最後にはビニールは剥がされるが、そこから取り出されたメッセージは口に運ばれて、胃の中へと吸い込まれてゆく。童謡「やぎさんゆうびん」(まど・みちお作詞、團伊玖磨作曲)の歌詞のように、この手紙は食べられて、消えてしまうのだ。もしもこのナマモノの手紙を取っておいたとしたら、いつか賞味期限を迎えてダメになる。
そこに存在するコミュニケーションは、瞬間的なものだ。Instagramの「ストーリー」機能など、しばらくしたら消える投稿のできるSNSが増えているが、これを現実空間でも実現したのが、本商品だといえるだろう。
メッセージ自体は残らないが、コミュニケーションの記憶は残る。
それはお互いだけが存在を知っている、ひそやかで大切なコミュニケーションなのである。
飯を“投げる”
次に、「食を送る」という行為をエンタメイベントに仕立て上げた事例を考察していこう。
コロナ禍のオンラインアイドルイベントでは、出演者にご飯を送るシステムが登場した。
例えば「アイドル投げ飯食堂」という生配信イベントでは、視聴者が出前アプリを用いて、イベントを行なっている出演者にご飯を送る「投げ飯」という仕組みが作られていた。このイベントの4回目の配信の動画「アイドル投げ飯食堂 4号店」がYouTube上に残っているので、それを見ていただくとわかりやすい。
イベントの視聴自体は無料であり、視聴者はチャット欄を通して出演者とコミュニケーションを取ることができる。特に「投げ飯」をしたい視聴者は、自分のお金を使って出前アプリで注文を行って、このイベント会場にご飯を送る。すると、その送り主に対して出演者から感謝が述べられるという仕組みになっている。
他にも例えば、lyrical schoolというガールズラップユニットが出演していたイベント「推シ宴」では、いくつか指定されたギフト(食べ物以外もあった)の中から視聴者が注文を行うと、そのぶんをスタッフが出演者に渡すという形式が取られていた。
生配信動画のアーカイブが「【12/12】「推シ宴」powered by 湯会【lyrical school】」としてYouTube上に残っているので、これを見るとわかりやすいだろう。
こちらの動画では、出演者の前にどんどん積み上がっていくギフトが面白く、また他の人が何を頼んでどう出演者とコミュニケーションしているかが分かることも面白かった。
この配信は、もとは宴会場で楽しむ「湯会」というイベントがコロナ禍で開催できなくなったことで開かれたものであったのだが、宴会の雰囲気をうまくオンラインに作り出すことに成功していたように感じられる。ほかにも、年賀状を注文した人には、イベント中に出演者が年賀状を書くという仕組みもあった。
以上のようなイベントは、オンラインを通じてのやり取りと、現実空間でものを送る行為をどう組み合わせるかが試行錯誤された事例であったといえよう。
ドライに考えるのであれば、誰かを応援するにはお金を送るのがベストな選択肢であり、送られた方はお礼をデジタルで伝えれば十分かもしれない。
しかし、そうはならないのが人間である。
「食送付エンタメ」イベントは、擬似的にみんなで一緒にご飯を食べているような気分にもなるし、送られたものと送った人が紐付けられることで、単にお金を送る以上に繋がった感覚がそこに生まれる。
文化人類学では「贈与」「共同飲食」の在り方が研究されてきたが、コロナ禍ではこのような新しい贈与や共同飲食の在り方が生み出されているし、これからも次々に生み出されてゆくだろう。