5人の識者が語るARGの進化史と、ポスト真実の時代における“ゲームと物語のあり方”

5人の識者が語るARGの進化史と、ポスト真実の時代における“ゲームと物語のあり方”

「架け橋」というキーワード

竹内:今三宅さんから説明があったような新しい技術が普及すると、ARGもまたそれに呼応するように変わっていくと思うんですよね。というのも『3D小説 bell』は小説家が     「Twitterがある世界の、小説の形」をブレストする中で原型のアイデアが生まれています……が、企画立案当時、彼らはARGというジャンルの存在に気付いていなかったんです。この作品は、ARGの文脈を踏まえて生まれてきたのではない、ということです。

 実際、他のARGの事例もそうなんですが、「こんな新しいことができるようになった」という、技術が拓いた新しい可能性から、新しいエンターテイメントを想像すると、みな似たようなところに集束するのかな……というのが自分の所感です。だから近々で言えば、例えばZoomの普及率が80%を越えたら、またちょっと違ったデザインのARGが、世界で同時多発的に生まれるんじゃないでしょうか。

 そういう意味で、自分はARGにとっての「場所」って、十分条件であって必要条件ではないと思っています。フィクションのもうひとつの現実と、実際の世界で、重複をどこに作るかを設計したとき、その費用対効果が最も高いのが「場所」なのだろうな、と。だから場所があると効果的だけど、場所でなくてはならないということはないんです。

 実際、先ほど、えぴくすさんが挙げてくれた3D小説の新大阪のマンションの事例にように、小説内のキャラと現実のアクターを重複させることで、代替現実感を出すことはできます。場所に固執する必要はないと思いますね。

城島:大事なのは「お話が面白いかどうか」じゃないでしょうか。ドラマとして面白いかどうかが第一。次に、物語に仕込まれている驚き。これをどう作るか。物語が面白くなかったら、及第点は取れないんです。「システムは面白くても、物語はね……」と言われたら0点ですよ。

 もちろん、面白い物語を作るのは難しくなりました。例えばアニメにしたって、昔みたいに「アニメ」で一括りにはできない時代です。誰にとって面白い物語かを考えるとき、一律に「この人たち」とターゲットするのは難しくなりました。でも、どこに向けて、どういう物語を作り、観客にとっての喜びを作るのか、真剣に考えなくてはならない。

 というか、世の中は物語を馬鹿にしていると思いますよ(笑) これはすべてのものに言えると思うんですが、物語がしっかりしていて、根幹がしっかりしていれば、作品はぶれないんです。そして物語をしっかり作れば、多少冒険しても、根幹に戻ってこれるんですよ。物語をもっと大事にしましょう!(笑)

竹内:確かに、「ARGは面白い」というのは、「演劇は面白い」というくらい意味のない言葉なんですよね。面白いのは物語であり、3D小説でも面白さの核心はシステムではなく優れたストーリーテリング     なんです。優れたストーリーテリングを引き立たせる黒子としてARG的な施策が活用されたという認識です。実際、ARG的な施策をメインにして物語をオマケのように扱っていた企画は、私自身がプレイヤーとして参加していても途中で離脱してしまいましたね。ただ体験型エンタメを作る側は、自分が使おうとしているフォーマットが、どれくらい物語を語るのに向いているのか、どれくらいの物語を語れるのかというのは、慎重に考えねばならないことだとも思っています。

 例えばリアル脱出ゲームは純粋に、パズルを解くのが主目的というゲームであって、そこで語れる物語の文字数上限は相当に限られてます。だから「本格的な物語を60分の脱出ゲームに盛り込むぞ!」という意欲を感じる公演に行くと、謎を解くことに脳のリソースをう奪われて複雑な物語の内容が頭にまったく入ってこない、みたいになりがちです。ARGも、主戦場とするメディアごとに「伝えられる情報量の上限」があるということは、ゲームデザイン時に意識しておいた方がいいですね。

えぴ:ストーリーと世界観は別ですからねえ。IPものだと世界観を借りてこれるので、色んな語りをふわっとカットできるのは強みですね。その上で、ARGを考えるとき大事な点として、ARGはあくまでエンターテイメントの発想法でしかない、ということがあると思っています。ARGという手法で、どういうエンタメを作りたいか。そこを考えなくてはならない。ARGは「現実に物語を重ねるための手法のセット」であって、与えたい体験のデザインはまた別に考えねばならないんです。そして物語体験をさせたいなら物語が大事なのは当然なんですよね。

――物語への欲求という点で言えば、コロナ以降ではプレイヤーサイドの意識変容があるのではないかと思います。従来は用件と用件の間に移動なり何なり何かしらの余白があったわけですが、Zoom会議が人との関わりの中心だと時間や空間がぶつ切りになっています。またコロナというのは「悪い方向の変容」ですから、何か別の変容を体験したいという欲求も高まっていると思います。この状況下で、人はどんな物語を求めるのでしょうか?

城島:コロナ以降、ドラマが面白くないですよね。現実がすごすぎて、ドラマ世界がたいしたことがなくなってしまいました。比較の相手が現実で、それがまるで映画の世界のような出来事なのだから、勝てるはずがありません。このような状況において「非日常を体験できて、ちょっと泣けて、ああ楽しかった」というところに収まった参加型エンタメが受けるという構図はすごく分かりやすいですし、人間的だなと感じます。

三宅:コロナ以降って、日常の拘束力が高いですよね。我々は「いろんな変化がある日常」を知っているので、なおさら。この状況下で、いくばくかのお金を支払って、オンラインで非日常を体験し、日常とは違う自分・違う時間を得られるというエンターテイメントには、特有の開放感があります。

城島:もしかしたらそういう、世界とつながっているんだぞという感覚のある、出口的なイベントが受けるのかもしれないですね。

石川:自分としては、イマーシブシアターを中心にしたイマーシブ系が色々面白いと感じています。あれって参加者にとって負担が高いような印象がありますが、謎解きというハードルがないぶん、敷居が低く感じる人も少なくないんです。          

謎解きは日本ではかなり広まりましたが、それでも謎解き要素が存在することが参加のハードルになっている人たちは一定数いるんです。リアル脱出ゲームとかに一緒に行こうという話をすると、「面白そうだけど、謎解きが難しそう、他の人の足を引っ張りそう」といった声を聞くことは決して珍しくありません。その点、イマーシブシアターは参加者としての選択だけすればよい気楽さがあります。参加する側からすると、「考えなくても進む」「自分が解かなくても進む」のは、大いにハードルが下がるんです。

三宅:RPGでAボタンを連打していると戦闘に勝てる、みたいな。

石川:それです。実際、自分は海外のARGだと、謎解き要素のレベルが高すぎて謎解きにはまるで参加できません。でもイマーシブ系なら気楽に参加できるんですね。日本では、リアルのイマーシブ系は、さあこれから盛り上がるかというところでコロナということになって広まっていませんが、能動的にある程度参加した感があって、かつ自分が頑張らなくていいものという視点で考えると、気楽に参加できる体験型エンタメとしてWebでももっと普及し得るんじゃないかと思います。

城島:制作側として言えば、クライアント依存ではありますが、謎解きのレベルを下げることはままありますね。例えば「おうちソクたび」さんとのコラボ企画の場合は、謎解き要素はあえて簡単にすることで、旅体験に力を入れました。参加者の関心が推理中心に向いちゃうと、ガイドさんの説明が聞けなくなるんですよね。ただそれでも、心臓部にある「驚き」は守って作っています。

えぴ:補足すると、「ソクたび」は、もともと「何となくこんな旅行をしたい」をパッケージしてくれるサービスでした。でも実際の旅行が難しくなったことで生まれたのが「おうちソクたび」というサービスです。「おうちソクたび」では、参加者の手元に、特産品がつまった箱が届きます。これを食べながら、現地の風景を配信映像で見るわけです。そして     生配信を通じて特産品を作っている現地の人と話をしたりするんですが、そのなかで事件が起こるのが今回のコラボ企画なわけです。

実際、「おうちソクたび」って、インタビュアーが歩いて話を聞いてまわってるだけといえばそれだけなんですが、現地とつながっている感がすごくあるんですよ。画面の中にある店先のものと、手元にあるものが一致しているっていうのは、すごく強いですね。

城島:「現実とWebの中の世界との架け橋になる何か」というポイントがすごく大事で、もしかしたらこれからのWebイベントのキーになるような気がします。人肌で感じられるものが手元     にあることで、世界がより身近でリアルに感じられるんです。

三宅:「架け橋」がキーワードなのかもしれないですね。それが食べ物なのが、「おうちソクたび」である、と。「場所」というのも結局は「架け橋」であり、それは匂いでも絵画でもネットでもいいのかもしれません。

石川:そこですね。ただ、例えば「食べ物」が架け橋になると言っても、ただ参加者の家に食べ物を送ればいい、というわけではないですよね。家にものが送られてくるというリアルは、架け橋の道具としてやりやすいですし、そのようなイベントも増えています。でもせっかく家に送られてくるのに、ただなんとなく「公演の間にお召し上がりください」というだけで、公演の内容と全然噛み合っていなかったりすると肩透かし感ばかり強まります。

城島:3D小説の場合、「現実とWebの中の世界との架け橋」が上手く行ったのではないかと思います。そこがつながると楽しさが倍増するだけでなく、「実際にそこで起こった」という感覚が伝わると、本人は現地に行ってなくても、そこに行った感が得られますからね。

えぴ:「参加者の誰かが体験している」というのが伝わってくると、自分が当事者として体験していなくても、自分が体験した気持ちになれるんですよね。イマーブシアターもそうですが、自分が問題解決のキーとなるアクションを行っていなくても、誰かがやってくれることで、自分もそこに関われた感が得られるんです。

石川:ARGもそういうのありますよね。謎を徹底的に解く人と、それを見る人がいて。後者が圧倒的に多い(笑)

えぴ:このあたりはゲームデザインの技術ですが、各参加者が必ず障害を解決しなくてはならないかどうか、というのは設計上重要なポイントです。これが個人戦やチーム戦だと、「自分が解かなくては!」という強度が強いですが、40人で参加となるとその強度はかなり薄まります。1,000人以上の参加者全体で障害を越えていいなら、謎は超難関でもいいわけです。RPGで、すごく強いボスキャラを、他人が倒していくのを側でみている感じですね。

 このあたりのバランスは色々あり得ますが、インターネット越しに2時間で見られて、40人くらいが参加していて、自分が頑張らなくても誰かがやってくる……それくらいの温度感が、負荷的にはちょうど良いのかもしれません。

竹内:密を避ける体験型エンタメといえば、えぴくすさん的には、『Hunt A Killer』はどうですか。

えぴ:ああ、コロナ前からあったアレですね。殺人事件の証拠が毎月少しずつ     届く、ディアゴスティーニ的な海外のコンテンツ。この時期には良いコンテンツだと思うので、城島さんには日本語で遊べるものを検討して頂けたらなと(笑)

 ただ、ここまで話してきて、やっぱりアレってちょっと足りないものがあるんだなとも思いました。キットはとても凝っていて、開封するととてもワクワクはするんですが、どうしても各ご自宅に分断された体験で。「みんなで盛り上がる」っていう要素が薄いんですよ。Facebookにグループがあったりはするんですが……

竹内:まぁ基本的には、孤独に超高難易度と戦うことになりますね。YouTuberがプレイ動画をUPしていたりするんですが、開封した後で何をすればよいのか見当もつかず怒り出す動画がけっこう出てきます(苦笑)運営側もその辺の欠点は意識していて少しずつ良くなってはいると聞いてます。

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