オンライン同時視聴ができる「GroupWatch」や「ネトフリシネマ」は日本人にぴったりのサービスだ
ちなみに、少々脱線するが、いま述べてきたような動きには一人ひとりのコメントを「読む」という意識がより強く働いているといえよう。例えばニコニコ動画やYouTubeのライブチャットなどは、コメントは流れるものという意識で、「発信する」ことに重きを置いているように感じる。Instagramのライブ配信等へのコメントは「拾われたい」という意識があるだろうが、結果的に投稿数が多いと流れていく。
ある種自分本位な発信から、より見られることを意識した発信へ――。このような動きが進むと、どういう事態が発生するか。それは、不特定多数で盛り上がるのではなく、参加人数の制限・選定を行ったうえで、小さなコミュニティで盛り上がろうとする流れだ。ある程度気心が知れた人々で楽しむほうが、精神衛生上(エスカレートするネット上の誹謗中傷の影響も少なからずあろう)安心だし、“イベント”としてのクオリティも上がる。そういったプロセスの中に、「GroupWatch」等が求められる土壌が出来上がっていったのではないだろうか。
さらに、新型コロナウイルスの発生により、全世界的に人々は自宅で過ごさざるを得なくなった。やはり「外に出られない」状況になると、自然と人は他者とのつながりを(今まで以上に)求めるものだ。そうなってくると、「GroupWatch」なり「ネトフリシネマ」なり、こういったサービスやイベントへの需要は、より高まってくる。
外に出るということは、必然的に感染するリスクが高まるということ。ならば、不要不急の用事は避け、自宅で他者と盛り上がりたい――。そう考えると、オンラインであっても人は他者を求め、つながりたいのだ、ということが見えてくるように思う。技術がどれだけ進もうとも、人は根源的な「誰かと過ごしたい」という欲求からは逃れられないのだ。